第45話 やるか逃げるか
6才児と再びスタジオに入り『そうだ埼玉』の音源を完成させると、ダンスの振り付けやプロジェクトのロゴデザインを作れる人を探し、依頼した。
このあたりは仕事でよくやっていたことだけど、一番難しいのが出演者。
「AKBのやつ? 違うの? じゃあ結構です」
「埼玉県庁がやっているんじゃないの? なら間に合ってます」
シマムラくんと手分けし、埼玉県の企業に片っ端から電話をかけていく。
相手にされないのは当然だった。
AKB48とか、埼玉県公認とか、“みんなが知っているなにか”という取っ掛かりがなければ、勝ち目がない
信用とは認知であり、認知とは信用だ。
例え胡散臭くても、認知されていれば信用される。
例え真面目そうに見えても、知らない人は胡散臭い。
容姿や素行を問わず有名人がモテるのは、そのためだ。
テレビがCMを出すのもそのためだ。
見たことあるものを人は信用する。
見たことないものは信用しない。
だから売れなきゃダメなんだ。目立たなければ。
この世は広告と営業で回っている。
そもそも僕は、肩書きで勝負できる場所に属したことが一度もない。相手にされないのが当たり前。このときすでにフリーランスの仕事もなくなっていたから、いずれにせよ退路もなかった。
埼玉と、エンタメと心中する。
とにかく電話をかけてかけて、かけまくる。
「担当者に代わります」
待っている間に流れるカーペンターズ『青春の影』の電話保留音。高校時代を思い出す。
みんなが結婚して子どもを産み、家を買うかどうかというときに、昼間から実家で電話をかけている。
頼まれてもいないことを。望まれてもいないものを。
そんなことはもうどうでもいいのだ。
小利口な自分などクソ喰らえ。
やりたいことを、全部やる。
止まるという選択肢は今の僕にはない。
担当者と話せるまでにたいてい一週間かかる。最初は不在。戻り時間を聞いてまたかける。つかまらない。
ようやく話せたら企画概要を話し、資料をFAX、メール添付送信。
この工程を一人100社、二人で計200社にアタックした。
何かを売りつけようというわけではないのだけど、怪しまれる。売りつけられなければ、それはそれで怪しまれる。
最終的には丁重に断られるのだけど、中には嫌味を言ってくる人もいた。
「んなもんやるわけねえだろ」と怒られることもあったし、保留音のまま電話が切れることもあった。
「とりあえず会社来いよ」と呼ばれプレゼンし、「検討して連絡するわ」と言われるも連絡がなく、こちらからまたかけると思い出したかのように断られ。
これが埼玉の裏の顔か。この対応を忘れないぞとリストのEXCELに事細かに入力することで、ストレスを緩和させた。
出演OKをもらった企業には、練習用ダンス映像のYouTubeリンクを送り、社内で練習しておいてもらう。踊ってもらう尺は5秒から10秒程度で、踊るパートをこちらで指定してお願いする。
日程と場所を決めたら撮影に向かう。
10秒程度であっても、みんながうまく踊れないのは当然なので、ここはイベント業で叩き込まれたノウハウで円滑に現場を動かす。
最終的に、46社が参加してくれることになった。
ミュージシャンを目指していた頃の自分を呼び起こして作った『そうだ埼玉』は、837人の埼玉県民が踊る動画となった。
10ヶ月間かけ自腹で完成させたこのプロジェクトは、地元メディアからいくつか取材を受け、完成動画をYouTubeに公開後、再生回数は3万回程度まで伸びたが、そこまでだった。
企画から作曲、レコーディング、交渉、資料作りから撮影、宣伝まで全部やった。
「世の中みんな口だけ。本当に形にしちゃうんだからすごい」
そう誉めてくれた人もいた。
確かにそうかもしれない。
でもやっぱり、結果が伴わなければ存続不能だ。
自分のタイミングで、勝手に始めたことに世間がついてきてくれるほど甘くはない。
仮にこれが“いいもの”だったとしても、時代がそれを求めなければ結果は伴わない。
10年後20年後評価されたとしても、僕は全く嬉しくない。そんな高度な芸術をやるつもりも、やっているつもりもない。
“分かってくれる人だけ分かってくれればいい“
心を防御しながら夢ばかり見ていた20代の頃の自分が、自分に攻撃されないように作った言い訳。
イベント会社や音楽メーカーにいたとき、大きな仕事でうまくいったこともあったけど、全ては“会社”という背景があったから。自分でムーブメントを起こすのは、絶望的に難しかった。
現実という刀に、真正面から斬りつけられた。これだけ頑張って、この程度の反響。
父が死んだときは背中だった。現実から逃げ出したところを、背中からばっさり斬りつけられた。
今回は真正面。
爽快な痛みだ。
やり尽くした。
いつもやりたいことは山ほどあって、何度目かのモラトリアム期間で全てやり尽くした。
大きく目立つことはできなかった33年間だったけど、これ以上はもうできない。普通の人にしては、よくやった。
あの10ヶ月間をまたやる気にはもうなれない。今後
『そうだ埼玉』を完成させた2014年は、32年間続いた『いいとも!』の最終回があった。とんねるずとダウンタウンとウッチャンナンチャンが同じ板の上で揃う、歴史的瞬間だった。
小さいときからずっと真似をしてきた人たちが全員集集まったこの放送は、のちにバラエティのお葬式と呼ばれた。
シマムラくんは無事再就職が決まり、東京で働き出した。
「そうだ埼玉プロジェクト」で見込んでいた制作期間は3ヶ月だったけど、彼は最後まで付き合ってくれた。
僕は、そうだ埼玉のYouTube公開と共にリリースした埼玉情報ウェブサイト『そうだ埼玉.com』を運営しながら、マネタイズの可能性を探っていた。
記事が見られた回数だけ収益が上がるGoogleアドセンス、紹介したものが売れるとマージンがもらえるアフィリエイトなど、試せるものはなんでも試した。しかし、生活していけるほど稼ぐことは難しいと感じた。
『そうだ埼玉』の完成から半年が経った頃、僕は転職サイトへの登録を済ませた。
シマムラくんは、『そうだ埼玉』を通して得た知見も活かしつつ、東京のプロモーション関係の会社に入った。
彼は元々優秀な人間だったし、あのずば抜けた容姿の上に、ずば抜けた根性の持ち主でもあるから、どこへ入っても活躍できるだろう。
欲しがる企業も多いはず。僕より3つ下だからまだ31歳か。
僕はどうだろう。
ここに入りたいという企業も業界も、さほどない。
やってみたい業界で仕事もしてきたし、自分でお金を出して好きなようにもやってみた。もう十分だ。
どういうところなら自分を雇用してくれるだろう。
経歴をそれっぽく謳えるのは音楽業界だけど、今から音楽業界というのもどうか。
将来性以上に、表も裏もやり切った感が大きい。
となると広告業か。
これまでやってきたことを最も活かせるのかもしれない。
シマムラくんがその業界へ行った意味が分かったような気がした。
ならばいっそ彼が入った会社に……
そんなことを考えながら求人サイトを見ていたときだった。
あるwebメディアから連絡が来た。
「今埼玉県の女子高生の間でブームになっている“埼玉ポーズ”について、サギタニさんに取材させて頂きたいのですか」
僕は再び引き戻された。
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