第46話 でたらめだったらおもしろい
もう一つの隠し玉が発動した瞬間だった。
『そうだ埼玉』の撮影に行ったとき、出演企業の人たちと記念で撮っていた共通のポーズが、“埼玉ポーズ”だった。
これは『そうだ埼玉』ダンスの振り付けから、記念写真用に僕が抜粋して採用したポーズで、どの現場でもこれが受けた。
そのため、僕はもう一つの可能性として、埼玉ポーズ企画を動画完成前から同時進行で動かしていた。
最初にアタックしたのは、埼玉県全40市の市長。
「埼玉ポーズ写真を撮って送ってくれませんか」と連絡すると、半分以上の市長から写真が返ってきた。
そこで手応えを感じた僕が次に考えたのが、芸能人だった。
埼玉出身の芸能人が所属している事務所にダメ元でオファーし、第一号が埼玉出身のロックンローラー、ダイヤモンド✡ユカイ。
もらえた写真は『そうだ埼玉.com』に掲載し、市長も含め、様々な芸能人の埼玉ポーズ写真を、そうだ埼玉のSNSからも発信し続けた。
それがどこからともなく埼玉の女子高生に伝播し、彼女たちのプリクラを撮るときのネタポーズとしてSNSで拡散されると、「埼玉で謎のポーズが流行中」と話題になり、発信源の僕のところへ連絡が来た。
いくつかのwebメディアの取材を受けると、それらは全てYahoo!ニュースのトップで紹介され、騒ぎは益々大きくなった。
埼玉県出身のAKB48やモーニング娘。のメンバーまでが埼玉ポーズ写真をSNSに投稿し始め、ついにテレビ局から取材が来た。
テレビ局のあり得ないスケジュール感に振り回されることさえ快感だった。
こうやって撮影して、こうやって編集して、こういうタイミング放送されるのか。
そしてこういう反響が来るんだ。全部がおもしろい。転職前に、最高の思い出ができた。
テレビ、ラジオ、雑誌、ネットメディアへと僕は連日出演し続けた。多分これは瞬間的な確変タイムで、どこかでパタッと止まるはずだから、今のうちに出れるだけ出ておいた方がいい。
僕はメディアの奴隷と化して、あらゆる要望に全面的に従い、振り回されながら出続けた。2015年、テレビが力を持つ最後くらいのタイミングで出られたことはラッキーだった。
埼玉ポーズが生まれるきっかけとなった歌として『そうだ埼玉』の映像はテレビでも流れ、クマの歌は全国に轟くこととなった。
ゴール下コミュニティの連中や、軍団、専門時代の友人や前職時代の知人、あちこちから連絡が来た。母のところにまで連絡が来た。
親戚連中も驚いたようで、「サギタニ」という珍しい苗字だから、テレビで見てすぐ気付いたという。
あのとき俺を見下してたおまえら、見たかこのやろう、とは思えなかった。
ミュージシャンとして世に出たわけではないし、変な肩書きだし、お金が儲かったわけでも社会的地位を得たわけでもない。
埼玉で動画作って変なポーズ流行らせた変な奴がいるから、みんなも見てよというメディアの潮流に少し乗っかれただけ。
「埼玉ポーズ仕掛け人・サギタニマサアキさん」というテロップと共に自分が出ているテレビの録画を見て、理想とは随分かけ離れた未来が待っていたと思った。
日本人初のグラミー賞受賞・シンガーソングライターサギタニマサアキさんとしてテレビに出ることを夢見ていた僕は、埼玉ポーズ仕掛け人・サギタニマサアキさんだった。
「グラミー賞受賞」という、世界で一番かっこいいと思っていた肩書きは、「埼玉ポーズ仕掛け人」という、世界で一番かっこ悪い肩書きに変わった。
「目立ちたい」という、一貫して僕に通底してきた欲求の何割かは、「女にモテたい」という願望も多分に含まれていたが、この肩書きはもうダメだと思った。これは抱かれたくない。
しかし、目立った。
上尾の小二麻雀ブームの仕掛け人は、埼玉ポーズ仕掛け人になった。
みんなが知ることになるようなものを生み出したい。
“歌”を流通させようと思ったけど、妙な“ポーズ”に着地した。直球勝負での正面突破ではなく、変化球が導火線となった。
20代、潔癖なまでに高く掲げすぎていた理想の反動から、僕はもうどうでも良くなっていた。
あの歌を、あの動画を一人でも多くの人が見てくれるなら、でたらめでもなんでもいい。
秋谷先生はどこかで聴いてくれているだろうか。
歌ってこそいないけど、作曲からレコーディングまで丹精込めて僕が作ったこの歌なら、聴いてもらえる資格があるのではないか。でも、最後の連絡から10年近く経ってしまっているため、連絡先は消えていた。
やがて県内企業から、プロモーション企画や動画制作の依頼が来るようになった。
埼玉県について語る講演会にも呼ばれ、本の出版の話まで来た。
転職の機会を見失うほどに、僕はいつのまにか埼玉に特化した一人広告代理店として目の前の仕事をこなしていた。
埼玉ポーズが話題になったことで、元となった『そうだ埼玉』を歌うバンドに出てもらおうという流れで、さいたま市の成人式で歌ってくれないかという依頼が、6才児に来た。
会場は、さいたまスーパーアリーナ。
シンガーソングライターの夢を断念した僕は、6才児のギタリストとして1万3,000人の新成人が待つ会場で演奏することになった。
さいたまスーパーアリーナの成人式は県内でも特に豪華で、有名ミュージシャンのライブのように、カメラが何台もあり、その模様は常に後ろの大型ビジョンに、リアルタイムで映し出される。
当日、スタッフから伝えられた注意事項は2つ。
決められた場所から絶対に出ない
カメラに向かっていかない
クマがこの大舞台で、そんな約束を守るわけがなかった。
ブルーハーツを聴かずに親父は死んだ 鷺谷政明 @sagitani_m
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