第25話 聞いたこともないような歌いかたをしたい

前のバイト先に比べると、可愛気がないくらい洋楽に詳しい人が多かった。


都内のCDショップだから当然といえば当然だが、音楽情報雑誌『Rock'in on』『Rock'in on JAPAN』『CROSSBEAT』などを読み漁っては職場で共有し、方々フェスやイベントに出かけていく。元々ここに来る前からそんな生活をしていた人ばかりだから、基礎知識からして尋常じゃない。


人によって特性があって、この人はポスト・ロック、この人は60s~70sロック、この人はR&Bと、社食で一緒になったときにはそのジャンルの歴史や今のおすすめアーティストなどをしつこく先輩たちから聞き出した。音楽知識を溜め込むことに興味はなく、自分が作る音楽に取り入れられるものがないかという一心だった。


当時のロック好きは誰もがレディオヘッドに一目置いていた。「レディへは別格」という体裁を取っておけば自分のセンスが担保されると思っているような人が多かった。なんてことはない、それは評論家たちが音楽雑誌でレディオヘッドを過剰なまでに絶賛していただけ。そして、彼らのいう日本ロックの始祖は決まって、はっぴいえんど。それも雑誌の受け売り。


J-POPしか聴いていない奴には分からないだろう、といった洋楽ファンの優越感を満たすのに、レディオヘッドはうってつけのバンドだった。この頃の松っちゃんはすでに神格化されつつあったが、「松本人志の笑いがわからない奴はバカ」と語るお笑いファンとどこか似ていた。


イエローモンキーの吉井和哉が、レディオヘッドのライナーノーツに「いつか対バンしようぜ。負けねえよ」と寄稿すると、洋楽ファンはこぞって彼の発言をバカにした。日本人ごときがなにいってるんだと、日本人がバカにした。


僕はそう批判される吉井和哉が好きだった。ロックやる人はそれくらい大口叩けないと。やっぱりイエモンはその辺のバンドとは違う。


栄華を極めたヴィジュアル系バンドらが活動休止、解散、結婚に流れ、やがて来るアイドル全盛期前夜のJ-POPシーンは大人しかった。インターネットの普及やiPod第二世代の登場で洋楽がより近づいてきたこの時代、エミネム、ノラ・ジョーンズ、そしてストロークスなどのロックリバイバルブームなど、海外の音が続々と入ってきた。Dragon Ashが売れて古参のヒップホップ勢がマウントを取り出すように、この時代は洋楽勢が元気だった。


まだまだ文化の中心に音楽はいて、ファーストがセカンドがと、みんな研究熱心だった。音楽通、洋楽通としては、誰の、何枚目のCDを評価しているかでポテンシャルが決まる。今やファーストもセカンドもない。サブスクでスポティファイ。


テレビは『トリビアの泉』『伊東家の食卓』『SMAP×SMAP』が高視聴率を取り続けた。父はエンタメにほとんど触れない人だったが、この年に放送された『北の国から・遺言』を観ていたことに少し驚いた。下に降りていったときちょうどラストシーンが流れていて、終わったあと「ふ~ん」と呟いたので、どう思ったのか聞きたかった僕は「面白かった?」と聞くと「まあまあだな」とだけ返し、すぐ二階へ上がっていった。


思えば父が映画、ドラマ、音楽、なにかのエンタメについて語っているのを僕は一度も見たことがない。

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