第18話 あきらめきれぬことがあるなら
「デビューするのは簡単だ」
唯一僕のことを気にかけてくれていた専門学校の講師、秋谷先生は授業中よくそう話した。
各教室に置かれたカラオケを使っての歌唱実習や、教師陣を前にした合同発表会など、音楽の専門学校然とした授業はあるにはあったが、腕立て伏せや腹筋の授業もあり、学校側も何をすればいいのか模索しているところがあった。
しかし、音楽バブルをモロに食らった僕らの世代は音楽業界を目指す者が多く、音楽専門学校というビジネスは当時全国各地に乱立した。今ならアイドルか、お笑いか、YouTuberか。
この学校の先生たちは、SPEEDのコーラスをやっている人とか、誰それのサポートギタリストとか、かつてホコ天でカリスマ的人気を誇ったバンドのなんたらさんとか、いろんな人がいた。
授業もほどほどに雑談会になることもよくあり、「どうすればデビューできるのか」という話題にはみんな夢中になった。
「デビューするのは簡単だ。業界の人となにか繋がりがあってポンとデビューして売れちゃう奴もいる。お前らはこの学校に高い金払って、人脈を作りに来たと思え。先生に媚びてもなんでもいいから売って可愛がられろ」
秋谷先生は彫りの深い端正な顔立ちで、ハードロックバンドのようなウェーブがかった長髪を背中まで伸ばした40代前半の男性。いかつい黒のロングブーツを履いてゆっくりと歩く、威圧感ある人だった。
「本当の狂人はミュージシャンなんかなれない。マリリン・マンソンでもイギー・ポップでも狂人に見えて、LIVEを見ればいかに入念にリハーサルしてるのかが分かる」
「ロックスターだなんだといって表向きは不遜な態度でも、裏ではちゃんと礼節ある奴が業界では生き残れる。本当に生意気な奴はすぐ消える」
秋谷先生は僕らが抱くロックスターのイメージを、いつも優しく壊してくれた。
「鷺谷は自分で曲作ってるんだろう? デモテープ送ったりしてるのか」
「はい。でも今は募集してるところがなくて」
「募集してるところがないからって諦めちゃうのかお前」
「え?」
「レコード会社なんか山程あるんだから、直接持ってったりもできるだろう」
「でも、会社に直接来られても対応できませんので絶対来ないでくださいみたいなこと書いてありますよ」
「書いてあるからそれを律儀に守ってそのままおっさんになるのか? さっきも言ったろ。結局は人と人の繋がりなんだ。何度も会ってりゃ情も出る。会社の前で土下座してデモテープ持ち込んでデビューしたやつもいるぞ。こうしてる今も、常にそういう奴らとの戦いなんだからな」
若き孫正義は藤田田に直接会いに行き、若き藤田田は松下幸之助に直接会いに行き教えを請うた。ミュージシャンに限らず、成功者たちに共通しているのは覚悟だ。やるやらない、良い悪いは抜きにしても、レコード会社の前で土下座するほどの覚悟があるのかどうか。
ストリートに出るのも避けていた僕に、そんな根性はなかった。優れたデモテープさえ送ればいい、良い曲を書けばいつか連絡が来るはずという、あまりにも安全圏からの戦いしかしていなかった。
「とりあえず今度デモテープ持ってこい」
秋谷先生はなぜか僕に興味を持ってくれた。佐野元春を神と崇めているような人だったから、ボブ・ディランのようなシンガーソングライター志望の僕に興味を持ってくれたのかもしれない。
秋谷先生は僕の曲を良いとも悪いとも言わず、放課後の教室でデモテープ制作に付き合ってくれた。
僕が家で使っているMTRの扱いをすぐに理解した秋谷先生は、僕にボーカルディレクションをしながら録音してくれた。
「今リズム狂ったな。もう一回やろう」
「普段の授業ならもう少し上出るだろう。ちゃんと声出せ」
「そこはあまりピッチ意識しなくていい。感情込めて歌ってみろ」
秋谷先生は僕に「頑張れ」とは一度も言わなかった。それよりも、「さっさとやっちゃえよ」というニュアンスで接した。
ミュージシャンとして世に出るというのは、誰かに頼まれてやることでも応援されることでもない。自分がやりたいから勝手に目指すことだ。
「デビューするのは簡単だ。難しいのはそのあとだ」
秋谷先生がいつも言っていたこの言葉の意味が分かるまで、僕にはもっと時間が必要だった。
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