第19話 ムリヤリ僕は笑うんだ

本当に才能があるやつは専門学校なんか来ない。


秋谷先生が言いたかったことは、きっとそういうことだ。


才能がなくても世に出る方法が、行動力だ。行動し続けるものには助走をつけてくれる人がいつか現れる。助走は、走っているものにこそ与えられるものであり、止まっているものをわざわざ押しに来てくれる人はいない。いるとすればそれはお母さんかお父さん。


助走がつくと、決して自分一人では出せないスピードにまで加速し、感じたことのない速度の中で新しい世界を体感できる。そうして、蕾のような小さな才能が開花していく。


癌細胞一つ見つけるのに苦労するというのに、才能の在処を見つけるのは大変だ。外から見てわかるのは「覚悟」だけ。


お前らに才能があるかどうかは分からない。だから、それがあるかどうか自分で見定めるために手を抜かず全速力で走れ。そうすれば、もしかしたら誰かが助走をつけてくれるかもしれない。そして大衆の前に出ろ。真価はそこではじめて試される。音楽的素養なんか、そのとき考えればいい。


宇多田ヒカルはあまりにあっさりと日本を制した。彼女は有名人の子ども、いわゆる二世タレントであったため、デビューまでの取っ掛かりは一般人に比べ多かったかもしれない。それでもあの表現力は、放っておいても誰かが見つけただろう。


彼女と同じ才能が、自分にもきっとある。


どこまで行っても僕は才能信者だった。しかし、才能は行動力との掛け算でしかない。10代だった僕はまだ、自分の才能だけで突出できると信じて疑わなかった。自分は選ばれし特別な人間なのだと。それは、根性がない臆病な自分への言い訳材料に過ぎなかった。


二年に上がる頃にはすっかり学校の環境に慣れてしまい、僕はサボりがちになっていた。秋谷先生と作ったデモテープもオーディションを通過することはなく、そしてそれ以上自分の才能を試す冒険には出ず、この頃発売された『FF8』の冒険に出る日々だった。選ばれし特別な人間は、どこにでもいる学生のように分かりやすく堕落した。


そんな人間が次に陥るのが、「分かる人にだけ分かればいい」という逃走思考。宇多田ヒカルにようにはなれないかもしれない。しかし、例えわずかでも分かる人にだけ分かればいい。ではどれくらいの人に分かってもらえればいいのか。宇多田ヒカルのデビューアルバムは800万枚売り上げることになったが、80万枚か、8万枚か。または8000枚か。具体的な数字は考えない。しかしFF8にはHPやMP、レベルやギルなど具体的な数字を追求する。


そうして呆気なく卒業式を迎えた。


小学生、いや、幼稚園からなんとなく続いて来た道が、ここでぷつりと切れた。


今俺なに?


ニートという言葉もない時代、僕は実家で路頭に迷った。


「借りれる親がいるなら、親から借りろ」


秋谷先生はよくそう言っていた。ミュージシャンを目指す日々でお金がなくなり、親なんか頼ってたまるかと消費者金融にはまり転落していった奴を俺は何人も見てきたと、僕らに何度も話した。


「そんなプライドや意地なんか早く捨てろ。デビューすることを一番に考えろ。変なサラ金に手出すくらいなら、親に土下座して金借りろ」


差し当たってお金が必要なわけではなかったが、無収入では弦も変えられない。「お前、仕事もしていないのか」と父にどやされる未来が見えて、僕はすぐに求人誌を近所のスーパーからかき集めてきて仕事を探した。


よくCDを借りに行っていたレンタル店が、バイトを募集しているのを見つけた。


ちょうど4月から働ける人を探していて、僕は連絡して面接に行った。その店を選んだ理由は幾つかあったが、決め手は開店時間が12時だったこと。夜型の僕にはピッタリだ。


4月。僕は晴れて平凡なフリーターとなった。この年僕は20歳になる。このあたりから僕は少しずつ自分の才能を疑い始めた。


10代は、自分の才能を信じる力だけでそれなりに充実した心持ちで生きていくことができるが、20代は思い込む力だけで生きていくことはできない。


バイトの初日はひどく緊張したが、シンガーソングライターという大きな目標と、軍団という自分を解放できるホームがあることを心の拠り所にすることで、僕は真面目に仕事をする人という自分を、自然に捏造することができた。


一階がCDとゲームの販売、二階が映画とCDのレンタルをしている店で、僕は二階に配属された。これからここで週に5日、昼から夜まで働く。


心配性で気が小さい僕は、何度も確認して慎重にやるため大きなミスがなく、キザったらしい感じはあるが、まあそれなりに使えるやつくらいには思われた。


新作の入荷時には、レジ前に20人近く並ぶこともあった。まるで自分がなにかの番人になった気がするほどに、慣れた手付きで次々と捌いていく自分に、ふと疑問を抱いた。


爆笑問題の太田光、エレファントカシマシの宮本浩次、天才肌の人たちは皆アルバイト一つできないほど社会性がなかったと、売れる前のエピソード譚をよく読んでいた僕は、器用にこなせてしまっている自分に疑問を感じた。真面目に仕事をする人という自分を捏造しているのではなく、これが本来の自分の姿ではないか。もしかしたら僕は、普通に仕事ができる普通の人で、特別な人ではないのかもしれない。


レジには、いつも不機嫌そうなおばさんや、ダルダルのランニングシャツの禿げたおじさんや何の仕事をしてるか分からないような美女まで、みんなが映画を借りに来た。


日夜誰かに映画を貸し出していると、次第に興味が湧いてくる。僕は仕事終わりに必ず一本、映画を借りて帰るようになった。バイトでも社割が使えたし、開店が12時だから帰宅後でも一本観れる。


それまで僕のエンタメの中心は全部テレビにあった。映画もテレビから放送されるものがほとんどで、黒澤映画や古い洋画、単館系といわれるような作品とはまるで無縁だった。


毎日映画を観ていると、いかに自分が狭い世界に住んでいたのかと痛感した。全く知らない俳優や監督の作品でも、こんなに面白い映画があるのか。


有名とはなにか。賞とはなにか。テレビより面白い映像がこんなにあったのか。このことをみんな、どれくらい知っているんだろう。少なくともあのダルダルランニングおじさんは知っている。


そうして僕は映画に没頭していった。洋画も、洋楽も、先輩に教わりながら借り漁っていった。すると、それまで脳内に蓄積されてきた知見が繋がり始めた。


僕は、バカみたいに売れた小室サウンドもSMAPも好きだったが、この時代同じくバカ売れしたヴィジュアル系バンドは好きになれなかった。それはもしかしたら、僕が小室哲哉のようなレイブ・サウンドやアイドル文化に疎かったからかもしれない。


ヴィジュアル系バンドは、彼らが鳴らそうとしているサウンドのルーツを知ってしまっていたから、好きになれなかったのかもしれない。


知らなくて楽しめないことはあるが、知りすぎたことで純粋に楽しめなくなることもある。子どもの頃はみんなアンパンマンが好きだが、大人になると別のアニメに傾倒していく。エンタメの知見が増えるほど目が肥えてくる。肥えてくると、簡単に心が動かなくなる。手前、、のものに見える。一方で、ボブディランのような最初よく分からなかった音楽の解像度がどんどん上がっていく。すると吉田拓郎や佐野元春の見方がさらに変わってくる。なにかを発見したような感覚になり、自分が目指すべき方向が見えたような気になる。しかし次の瞬間にはさらなる大海が広がって、霧のようにそれは消えてしまう。


21時になると、夜勤の学生バイトと入れ替わりで上がる。彼らとゆっくり話す時間はなかったが、同じ顔をいつも突き合わせているうちに一言二言話すようになり、次第に打ち解けるようになった。


「すごいイケメンがいる」


と彼らからよく聞いていた男がいる。シマムラくんという学生バイトで、僕だけが曜日が合わず、一度も会ったことがない2つ下の男。


将来はシンガーソングライターとして日本人初のグラミー賞を受賞する予定の僕だ。そして東京で二年間、同じように勘違いした自称未来のスター達と毎日顔を合わせてきた。上尾市でイケメンだなんだと噂されてもたかが知れていると僕は一笑に付していた。


働き始めてから半年が経った頃、そろそろ夜勤の学生バイトと入れ替わりの時間だなと時計を眺めていると、一人の男がこちらに向かって軽く会釈をしながらバックヤードに入っていった。


目を疑った。テレビから出てきた人みたいだった。


シマムラくんだ。


間違いない。あんなイケメン見たことない。


彼は少し照れくさそうにエプロンをつけながらレジに入ってきて、僕に挨拶した。


「おはようございます。シマムラです」

「あっ、ああ。シマムラくんだよね。いや、あの、初めてだよね」

「そうなんですよね。はじめまして。今日イワタが休みで急遽僕が入ることになって」

「そ、そうなんだ。あ、俺じゃあそろそろ上がろうかな」


次元が違った。


こんな近くに、こんなイケメンがいるのか。ここ上尾市だよな。


僕は逃げるようにタイムカードを打刻し、自転車をいつもより早く漕いで家に帰った。そして着くなり洗面所に駆け込んで、鏡に映る自分の顔をまじまじと見て思った。


「だめだこりゃ」

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