第19話 ムリヤリ僕は笑うんだ

とこまで言っても僕は‘’才能信者‘’だった。


宇多田ヒカルは歌手・藤圭子の娘で、いわゆる二世タレントだ。


デビューまでの足掛かりは、一般人に比べ早かったかもしれない。万全な体制が取られた、あまりに出来すぎたデビューだったかもしれない。


それでもあの才能は、いつか誰かが見つけただろう。


彼女と同じ才能が、自分にもきっとある。


10代だった僕はまだ、自分の才能だけで突出できると信じて疑わなかった。しかしそれは、根性がない臆病な自分への言い訳材料に過ぎなかった。


「なんでこの俺が」「そんなことしてまで」「俺を誰だと」


何者でもないくせに、言い訳だけは一人前。


才能は、思いと行動力との掛け算でしかないのだ。


二年に上がる頃には、すっかり学校の環境に慣れてしまい、僕はサボりがちになっていた。


秋谷先生と作ったデモテープも、オーディションを通過することはなく、『ファイナルファンタジー8』の冒険に出る毎日。


プレイステーションはファミコンに変わる勢いで広がりを見せていて、ソフトが音楽CD同様ディスク状だったのが、ファミコン世代の僕らには衝撃的だった。


そうして、選ばれし特別な人間は、どこにでもいる学生のように分かりやすく堕落した。


そんな人間が次に陥るのが、「分かる人にだけ分かればいい」という逃避思考だ。


宇多田ヒカルにようにはなれないかもしれない。


しかし、例えわずかでも分かる人にだけ分かればいい。俺の作る音楽は、そういう次元なのだ。


では、どれくらいの人に分かってもらえればいいのか。


宇多田ヒカルのデビューアルバムは発売一ヶ月で、500万枚売り上げた。


ならば50万枚か、5万枚か、5000枚か。


具体的な数字を考えることからは逃げる一方で、FF8にはHPやMP、レベルやギルなど、明確な数字を追求する。


(成人式何時に行く?)


正月が明け、成人式が近づいてくるとニサワからメールが届いた。


あれだけ騒がれていたノストラダムスの大予言はあっさりと外れ、2000年は何事もなく訪れた。


(みんなでモッズスーツに白の革ネクタイで行くか 笑)


ミッシェルファンのウツミからも、全員に返す形でメールが来た。


成人式当日、「行ってくる」とスーツ姿で家を出た僕は、市内の公園から公園を自転車で渡り歩き、ほどよい時間に帰宅した。


僕は成人式には行かなかった。


あの三送会の珍事件を覚えている者などいないにしても、奴らの悪を競う笑いにまた辟易するのも嫌だったし、なにより、今の自分を見せるのが嫌だった。


20歳になる頃には、とっくに世に出ているはずだった。


そして中学時代の奴らを見返してやるつもりだった。


成人式は、いつもの連中が袴姿でワーワー騒いでいたとニサワからメールで聞き、行かなくて良かったと思った。


思おうとした。


しかし僕の選択が正しいとは言えず、ヤキモキする気持ちを落ち着かせるように、またFFの旅に出た。


そうして呆気なく卒業式を迎えた。


幼稚園からなんとなく続いて来た道が、ここでぷつりと切れた。


ニートという言葉もない時代、僕は実家で路頭に迷った。


「借りれる親がいるなら、親から借りろ」


ミュージシャンを目指す日々でお金がなくなり、親なんか頼ってたまるかと消費者金融にはまって転落していった奴を俺は何人も見てきたと、秋谷先生は幾度となく僕らに話した。


「そんなプライドや意地なんか早く捨てろ。デビューすることを一番に考えろ。変なサラ金に手出すくらいなら、親に土下座して金借りろ」


差し当たってお金が必要なわけではなかったが、無収入では弦も変えられない。


「お前、仕事もしていないのか」と父にどやされる未来が見えて、僕はすぐに求人誌をスーパーからかき集めてきて、仕事を探した。


昔からCDやビデオをよく借りに行っていたレンタル店が、ちょうど4月から働ける人を探していたので、僕はすぐに連絡した。


そのお店を選んだ理由は幾つかあったが、決め手は開店時間が12時だったこと。夜型の僕にはピッタリだ。


4月。僕は晴れて平凡なフリーターとなった。


この年僕は20歳になる。


このあたりから僕は、少しずつ自分の才能を疑い始めた。


10代は、自分の才能を信じる力だけで、それなりに充実した心持ちで生きていくことができる。


しかし20代は、思い込む力だけで生きていくことはできない。


思い描いていた理想と現実の違いに、ことごとく打ちのめされる。


自分で描き、自分が作った現実に。


一階がCDとゲームの販売、二階が映画とCDのレンタルをしているそのお店で、僕は二階に配属された。


これから週に5日、昼から夜までここで働く。


心配性で気が小さい僕は、何度も確認して慎重にやるため大きなミスがなく、キザったらしい感じはあるが、まあそれなりに使えるやつくらいには思われた。


新作映画の入荷時には、レジ前に20人近くの行列ができた。まるで自分がなにかの番人になったかのように慣れた手付きで捌いていく自分に、ふと疑問を抱いた。


爆笑問題の太田光、エレファントカシマシの宮本浩次、天才肌の人たちは皆、アルバイト一つできないほど社会性がなかったと、売れる前のエピソード譚をよく見た。


もしかしたら僕は、普通に仕事ができる普通の人間なのではないか。


真面目に仕事をする自分を捏造しているのではなく、これが本来の自分の姿なのではないか。


器用にこなせている自分に疑問を抱く。こなせていることに喜びもある。ミュージシャンになりたいんじゃなかったっけ。


レジには、いつも不機嫌そうなおばさんや、ダルダルのランニングシャツの禿げたおじさん、何の仕事をしてるか分からないような美女まで、平日の昼間からみんなが映画を借りに来る。


日夜誰かに貸し出しているうちに、僕も仕事終わりに必ず一本、映画を借りて帰るようになった。バイトでも社割が使えたし、開店が12時だから帰宅後でも一本観れる。


それまで僕のエンタメの中心は、全部テレビにあった。


映画も、テレビから放送されるものがほとんどで、黒澤映画や古い洋画、単館系といわれるような作品とはまるで無縁だった。


毎日映画を観ていると、いかに自分が狭い世界に住んでいたのかと痛感した。


テレビより面白い映像がこんなにあったのか。全く知らない俳優や監督の作品でも、こんなに面白い映画があるのか。


このことをみんな、どれくらい知っているんだろう。少なくともあの、ダルダルランニングおじさんは知っている。


僕はプレステなどのゲーム類をリサイクルショップに持ち込んで、全て処分した。これが近くにあると、僕は永遠に没頭してしまう。


映画は2時間で終わる。こっちの方がいい。


しかし、映画の世界もまた、終わりがなかった。


先輩にも教わり、名作と呼ばれる映画を順に見ていく。すると、それまで蓄積されていた知見が繋がり始める。


あのドラマはこの作品が元になっていたのか。この映画は手塚治虫の世界観と酷似しているぞ。


アダルトビデオを初めて見たときのように、もっと他のものを見てみたくなる。映画自体は2時間で終わるけど、ゲームソフトを上回る膨大な量の映画が、この世に存在する。


エンタメの知見が増えるほど目が肥えてくる。肥えてくると、簡単に心が動かなくなり、のものに見える。


しかしボブ・ディランのように、最初よく分からなかったものの解像度がどんどん上がっていくこともある。すると吉田拓郎や佐野元春の見方が変わってきたりもする。


映画や洋楽に触れていると、ふいになにかを発見したような感覚に陥ることがある。しかし次の瞬間にはさらなる大海が広がり、見えかけていたなにかは、霧のように消えてしまう。


21時になると、夜勤の学生バイトと入れ替わり。


彼らとゆっくり話す時間はないものの同じ顔を突き合わせているうちに、一言二言、話す間柄にはなっていった。


「すごいイケメンがいる」


彼らからよく聞いていた謎のイケメン、シマムラくんは、僕だけ曜日が合わず一度も会ったことがない、2つ下の学生バイトだった。


将来はシンガーソングライターとして日本人初のグラミー賞を受賞する予定の僕にとって、上尾市でイケメンだなんだと噂されてる男など興味はないと、僕は一笑に付していた。


働き始めてから半年が経った頃。


仕事にもすっかり慣れ、そろそろ夜勤の学生バイトと入れ替わりかと気楽に時計を眺めていると、一人の男がこちらに向かって軽く会釈をしながらバックヤードに入っていくのを見た。


目を疑った。


テレビから出てきた人みたいだった。


シマムラくんだ。


間違いない。


あんなイケメン見たことない。


彼は少し照れくさそうにエプロンをつけながらレジに入ってきて、僕に挨拶した。


「おはようございます。シマムラです」


「あっ、ああ。シマムラくんだよね。いや、あの、初めてだよね」


「そうなんですよね。はじめまして。今日イワタが休みで急遽僕が入ることになって」


「そ、そうなんだ。あ、俺じゃあそろそろ上がろうかな」


次元が違った。


こんな近くにこんなイケメンがいるのか。というかいたのか。ここ上尾市だよな。専門学校でもあのレベルは見たことがない。


僕は逃げるようにタイムカードを打刻し、自転車をいつもより早く漕いで帰った。


家に着くなり洗面所に駆け込んで、鏡に映る自分の顔をまじまじと見て思った。


「だめだこりゃ」

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