第10話 夜の闇に悲鳴をあげた少年が
この世に無口な人などいない。
普段8喋っている人は、
この辻褄は必ず合うようになっている。つまりネットで雄弁な人は、リアルで
インターネットがないこの時代は、チラシの裏に書き殴るしかなかった。
脇道に生える雑草のように、ひたすら日陰で押し黙り、帰宅すると、鬱積した思いをチラシに吐き出す。19時からはテレビにかじりつき、寝る直前までウォークマンで音楽を聴き続ける。
そんな中学三年間だった。
それが、最後の最後で爆発した。
卒業式の少し前、三年生を送り出す「三送会」という催しが体育館で行われた。
三年生と先生、そして、生徒会所属の一、二年生が参加する。
長机にテーブルクロスを敷き、サンドイッチとジュースが出された。立食パーティーのように体育館でなにかを食べる非日常感に、みんなのテンションが上がっていくのが分かった。
例によって不良連中がテーブルクロスを外したり、サンドイッチを勝手に食べたり投げたりして、悪を競ってゲラゲラ笑う。
「だからなにが面白いのそれ……」と心の中で呟くいつものルーティーン。不良連中のつまらない悪事競争をみんなで笑って崇める時間。早く終われ。
正面の大きなスクリーンに、それまでの学校行事や林間学校の写真が、スライドショーで映し出された。その度にワーとかギャーとか不良グループを中心に奇声が上がり、会場がドッと沸く。
学年のマドンナ的女子が大きなスクリーンに映し出されると、ここぞとばかりにイヤらしい目つきでスクリーンを凝視したのは、僕だけではなかった。お前ら普段は直視できないからって。俺もだけど。
すると次のスライドに、わずかに僕が映っている写真が出た。
キラキラした女子たちの隣に映る小さな自分を見て、なんて地味な三年間だったんだと思った。
自分は目立つ星に生まれたと思っていた。
物心ついた頃から自然にテレビの真似をして、目立つことが出来ていた。
三送会中も、今こういう言葉を発すれば笑いが取れるかもしれない、この流れでこれをしたら、みんな驚くかもしれない、そんなイメージだけが何通りも頭に浮かぶ。
しかし、それを実行する勇気が出ない。
怖い。黙るしかない。
黙った分、言葉が頭に浮かび続ける。その言葉を家に帰って書き殴る。
まあいい。ここは自分のフィールドではなかったのだと溜息をついた直後、事件は起きた。
顔立ちが中国人っぽいからという理由で、「チャイナ」と呼ばれていた若い女の先生がいた。
一年生のときの僕の担任でもあったチャイナは兄の代からそう呼ばれていて、自然に僕らもそう呼ぶようになっていた。どことなく、幼稚園のときの美人先生に似ている。
「チャイナー、俺おにぎり2つね! ツナマヨと昆布!」
「俺焼肉弁当ね!」
弁当を持って来ない不良連中は、昼になると500円玉をチャイナに渡し、近くのコンビニに買いに行かせていた。
「チャイナーこれ違うじゃーん」
「あれー? これじゃなかったー?ごめーん」
そのやり取りでまた教室が笑う。いやだから面白いか今。
そもそも買ってきてもらって、お礼も言えないのかお前ら。
笑いとは共感であり、品の悪さを競うことではなく、なんてことはおくびにも出さず、みんなに合わせて「あはは」と硬い顔で僕も笑う。
三年間、溜まりに溜まっていたそんな認知的不協和ストレスを、チャイナのドラムが刺激した。
チャイナは昔バンドをやっていて、ドラムが叩けるという話しは聞いたことがあったけど、そんな彼女が、この三送会で吹奏楽部の中に入り、ステージでジャズドラムを披露してみせたのだ。
すごい。
かっこいい。
ドラムを叩くチャイナの姿は、いつも軽妙に生徒と接するチャイナではなく、20代の、ただのかっこいい女性だった。
僕同様、生バンドの迫力を初めて感じた者も多く、それまでとは違った盛り上がりが、体育館内に醸成され始めた。
同時に、僕の体内でなにかが熱くなっていくのが分かった。
いよいよ催しもの感が高まってきたところで、体育教師のムッチーこと、ムラマツ先生が、フォークギターを抱えて壇上に現れた。
「おい、ムッチーがギター持ってるぞ」
「まさかな……」
他の先生たちも何人か出てくると、ムッチーのギター伴奏に併せて、合唱で長渕剛の『乾杯』を歌った。
『乾杯』は、当時の誰もが知るヒットソングで、大人が歌うことに違和感はないけど、いつも見ていた先生たちが長渕を歌う違和感が、卒業式を目前に控えた僕の中で虚実が入り交ざり、心が激しく掻き乱された。
やがて『乾杯』の演目が終わると、実行委員の拙いアナウンスが聞こえてきた。
「これからイントロクイズをおこないます。曲を流すので、分かった人は手を挙げて答えてください」
三送会も終盤に差し掛かり、参加型の催しが始まった。
曲が出題されると例によって不良たちが騒ぎ、みんなが笑い、「俺はもっと早く分かっていたけどな」と影でブツブツ言う
はずだった。
結果このイントロクイズは、僕が1人で全問正解し、会場をドン引きさせることとなった。
当時の僕は単に音楽に詳しいというだけでなく、マニアと呼べるほどテレビにも精通していたから『クイズ・ドレミファドン!』を始め、その手のフォーマットを扱った番組も散々見てきている。
そのため、実行委員がどのような曲を出題するかなど、簡単に予想できた。
当然そんな奴のスピードについてこれるものはなく、イントロクイズは僕の独壇場となった。
生徒会の仕切りと考えればおそらく流行りのJ-POP、trfあたりから始まって、CMソングからミスチル、途中で一昔前の昭和歌謡で石原軍団、妙手で童謡、または卒業ソング回りの『仰げば尊し』あたりが来る。
気持ち悪いくらいの早さと大声で手を挙げ、連続正解を続ける僕をカッコいいと思うものは誰一人としてなく、全員の冷ややかな眼差しが一斉に僕に向けられた。
そういえばいたよねあいつ……
小学校のときは元気だったよね……
なんかずっとおとなしかったけど……
ここで目立てると思ったんだろうねえ……
学年の人気者や不良グループが「ハイハイ! 」と手を挙げ女子がワーキャー騒ぎながら盛り上がるはずだったこのイベントは、いつもは目立たぬ日陰者の変なオタクが急にやる気になったことで、体育館の温度は急速に下がっていった。
やってしまった。
エンタメの情熱に押され、なにかのスイッチが入ってしまった。
本当のエンタメ的観点でいえば、ここは人気者に多少譲りながらの接戦を展開すべきだった。これではあまりに気持ち悪すぎる。
全て終わったあと、会場の白い目により緩やかにそう気付かされたが、もう後の祭り。
三年間ゴール下以外では一切押し殺していた、目立ちたがり屋の本性が、最後の最後に出た。
圧倒してやりたかった。
目立ちたかった。不良こそ正義という方程式を、壊してやりたかった。
完全に悪目立ちだった。
もういいや。
どうせあと何日かすれば二度と会うこともない。高校は私立だし、この学校の人間は一人もいない。
1960年に公開された、少年少女の純愛を描いた日本の戦争映画『紺碧の空遠く』の中で、特攻隊の出撃を控えた予科練生が第二ボタンを引きちぎり、思いを寄せる少女に渡す場面がある。
第二ボタンを渡すのは、心臓に一番近い位置だからと諸説あるが、この映画が元となり、卒業式では第二ボタンを好きな子に渡すという風習が、日本では培われてきた。
卒業式では、本当に第二ボタンがなくなっている奴がいた。
なにかをもらったり、抱きつかれたり、華やかな連中は、泣いたり笑ったりを嫌味なくらい繰り返した。
他校の女子生徒から飴をもらって一時期勘違いしかけた僕は、校舎を出たと思えば忘れものを取りに返るフリをしながらトイレに戻ってみたり、あるかもしれない“なにか”を期待しながら、時間をかけて外に出た。
当然誰からも声はかけられなかった。見えていないんじゃないかと思った。
いっそ本当に今だけ見えなくなっていい。誰にも相手にされていない自分より、誰にも相手にされていない自分を見られる方が恥ずかしい。
全てのボタンが留められた僕の制服は、誰に引っ張られることも抱きつかれることもなく、前日母がかけてくれたアイロンのおかげで、まっさらなまま校門を出た。ノストラダムスの大予言で、どうせみんな死ぬんだと思うことにした。
出たところに、フタバさんがいた。
あっ
と僕に気付いた彼女は口元を緩め、僕のところに寄ってきた。
「サギタニ、三送会すごかったじゃん」
「あ、ああ、なんかね。じゃ、じゃあな」
一人で校門を出たのをフタバさんに見られたのが恥ずかしくなり、僕は逃げるように彼女の側を離れた。
フタバさんは中学に上がる直前、親が離婚していたとのちに風の噂で聞いた。突然ヤンキーになったことと、そのことが関係していたのかどうかは分からない。
その日の夜、幼稚園から一緒のカワベと待ち合わせして、学校の校庭に侵入した。そして僕らは校庭のベンチで『タモリ倶楽部』の魅力について語り合っていた。
カワベとは小学校時代一度もクラスが一緒になることはなかったが、中一のときチャイナのクラスで同じになってからは、よく話す仲になった。彼は陸上部だったけど、ゴール下コミュニティの一員でもあった。
カワベは上に二人姉がいる末っ子で、テレビや音楽もどこかマニアックな観点を持つ彼と僕は、ウマがあった。その日も空耳アワーの企画性と、タモリと安齋肇が生み出す独特の空間について、熱く語り合っていた。
「そういえばあの体育館って、登れるんでしょ」
「ああ、先輩がよく登ってた。行ってみる?」
「卒業式のあとだし、行っちゃいますか」
そんな謎の動機に輪をかけるように、僕らは、体育館の上で味噌汁を飲むという計画を立てた。
卒業式後の妙なテンションか、数日前悪目立ちした体育館の上から“なにか”を見下ろしてやりたかったのか。
チャイナがいつも不良連中に買い出しに行かされていた学校近くのセブンイレブンで、ワカメの味噌汁を買ってお湯を注ぎ、こぼさないよう慎重に歩きながら、真っ暗な体育館に戻った。
体育館横にあるハシゴに手をかけ、二人で協力しながら無事に味噌汁を上に運ぶことに成功した僕らは、思っていたより全然キレイじゃなかった夜景を眺めながら、3月の寒空の下、味噌汁を啜った。
ロマンチックな気分にも切ない気分にもならなかった。
ただただ寒くて、ただただ味噌汁が温かくて、タモリ倶楽部の安齋肇が、僕らは好きだった。
ふいにカワベが言った。
「そういえば君、イントロすごかったね」
「…ああ、なんかね」
そうして僕の中学生活は終わった。
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