第10話 夜の闇に悲鳴をあげた少年が

中学校での3年間、僕は脇道に生える雑草のようにひたすら日陰で押し黙り、放課後のゴール下でわずかに息継ぎをし、帰宅すれば鬱積した思いをチラシの裏に書き殴り、19時からはテレビにかじりついて、寝る直前までウォークマンで音楽を聴き続ける。


それが、最後の最後で爆発した。


卒業式の少し前、三年生を送り出す「三送会」という催しが体育館で行われた。三年生の生徒と先生、そして生徒会所属の一、二年生。


長机にテーブルクロスを敷き、サンドイッチとジュースが出された。体育館で立食パーティーのようになにかを食べる非日常感に、みんなのテンションが上がっていくのが分かった。


例によっていつもの不良連中がテーブルクロスを外したり、サンドイッチを勝手に食べたり投げたりと悪を競ってゲラゲラ笑う。「なにが面白いんだよそれ…」といつものように心の中で呟く。


正面の大きなスクリーンに、学校行事の思い出写真や林間学校の映像が流された。その度にワーとかキャーとかまた不良グループを中心に声が上がると、会場がドッと沸く。


普段は決して直視できない学年のマドンナ的女子が大きなスクリーンに映し出されると、日陰者の僕はここぞとばかりにスクリーンのマドンナをイヤらしい目つきで直視した。すると次のスライドに、わずかに僕が映っている写真が出た。キラキラした女子達の隣に映る小さな自分を見て、なんて地味な三年間だったんだと溜息をついた直後、事件は起きた。


顔立ちが中国人っぽいからという理由で、「チャイナ」と呼ばれていた若い女性の先生がいた。一年生のときの僕の担任でもあったチャイナは、兄の代からそう呼ばれていたから自然に僕らもそう呼ぶようになっていた。どことなく、幼稚園のときの美人先生に似ている。


「チャイナー、俺おにぎり2つね! ツナマヨと昆布!」

「俺焼肉弁当ね!」


弁当をいつも持って来ない不良連中は、昼になると500円玉をチャイナに渡し、近くのコンビニに買いに行かせていた。


「チャイナーこれ違うじゃーん」

「あれー? これじゃなかったー?ごめーん」


そのやり取りでまた教室が笑う。いやだから面白いか今。そもそも買ってきてもらってお礼も言えないのかお前ら。笑いとは共感であり、品の悪さを競うことではなくてだな、なんてことはおくびにも出さず、みんなに合わせて「あはは」と硬い顔で僕も笑う。この認知的不協和が3年間溜まり溜まっていた。


チャイナは昔バンドをやっていて、ドラムが叩けるという話しは聞いたことがあったが、そんな彼女が三送会で吹奏楽部の中に入り、ステージでジャズドラムを披露してみせたのだ。


ドラムを叩くチャイナの姿は、いつも軽妙に生徒と接するいつもチャイナではなく、20代のただのかっこいい女性だった。


すごい。かっこいい。


催しもの感が高まってきた後で、体育教師のムッチーことムラマツ先生が、フォークギターを弾き始めた。その伴奏に併せて、教師たちが合唱で長渕剛の『乾杯』を歌った。


長渕剛をムッチーが。というかムッチーギター弾けるんだ。


『乾杯』は、当時の誰もが知るヒットソングで、大人が歌うことに違和感はないが、いつも見ていた先生たちが長渕を歌う違和感が、卒業式を目前に控えた僕の中で虚実が入り交ざり、自分の中でなにかが熱くなっていくのがわかった。


「これからイントロクイズをおこないます」


実行委員の拙いアナウンスが聞こえてくる。


「これから曲を流すので、分かった人は手を挙げてください」


三送会も終盤に差し掛かり、参加型の催しが始まった。問題が出題され、例によって不良たちが騒ぎ、みんなが笑い、「俺はもっと早く分かっていたけどな」と影でブツブツ言う、


はずだった。


結果このイントロクイズは僕が1人で全問正解し、会場をドン引きさせることとなった。


当時の僕は音楽に詳しいというだけでなく、オタクというレベルを越え、もはやマニアと呼べるほどテレビにも精通していたから、出題される前から答えは透けるほどに見えていた。こういうとき、どういった曲が選ばれるか、手に取るように分かった。


生徒会の仕切りと考えれば出題はおそらく流行りのJ-POPから始まり、CMソング、途中で一昔前の昭和歌謡、妙手で童謡、このあたり。TRFなどの小室系や、CMソングではミスチル、同じ系統が続いたあたりで石原軍団や昭和歌謡、そろそろ卒業ソング回りの仰げば尊しあたりが来る。


気持ち悪いくらいの早さと、気持ち悪いくらい大声で手を挙げる僕をカッコいいと思うものは誰一人としてなく、全員の冷ややかな眼差しが一斉に僕に集まった。そういえば小学校のとき元気だったよねあいつ。なんかずっとおとなしかったけど。ここで目立てると思ったんだろうねえ。


学年の人気者や不良グループがハイハイ! と手を挙げ、女子がワーキャー騒ぎながら盛り上がるはずだったイベントは、いつもは目立たない日陰者の変なオタクが急にやる気になったことで、楽しかった体育館の温度は急速に下がることとなった。


やってしまった。


エンタメの情熱に押され、なにかのスイッチが入ってしまった。3年間、ゴール下以外では一切押し殺していた、目立ちたがり屋の本性が最後の最後に出た。


圧倒してやりたかった。目立ちたかった。不良こそ正義という方程式を壊してやりたかった。


完全に悪目立ちだった。


もういいや。どうせあと何日かすれば二度と会うこともない。高校は私立だし、この学校の人間は誰もいない。


1960年に公開された、少年少女の純愛を描いた日本の戦争映画『紺碧の空遠く』の中で、特攻隊の出撃を控えた予科練生が第二ボタンを引きちぎり、思いを寄せる少女に渡す場面がある。


第二ボタンを渡すのは、心臓に一番近い位置だからと諸説あるが、この映画が元となり、卒業式では第二ボタンを好きな子に渡すという風習があった。


卒業式では、本当に第二ボタンがなくなっている奴がいた。なにかをもらったり、抱きつかれたり、華やかな人たちや不良連中らは、泣いたり笑ったりを、嫌味なくらい繰り返した。


他校の女子生徒から飴をもらって一時期勘違いしかけた僕は、校舎を出たと思えば、忘れものを取りに返るフリをしながらトイレに戻ってみたり、あるかもしれない“なにか”を期待しながら、時間をかけて外に出た。


当然誰からも声をかけられることはなかった。見えていないんじゃないかと思った。いっそ本当に今だけ見えなくなっていい。誰にも相手にされていない自分より、誰にも相手にされていない自分を見られる方が恥ずかしい。ノストラダムスの大予言でどうせみんな死ぬんだと思うことにした。


全てのボタンが留められた僕の制服は、誰に引っ張られることも抱きつかれることもなく、前日母がかけてくれたアイロンのおかげでまっさらなまま校門を出た。


出たところにフタバさんがいた。


あっ、と僕に気付いた彼女は口元を緩め、僕のところに寄ってきた。


「鷺谷、三送会すごかったじゃん」

「あ、ああ、なんかね。じゃ、じゃあな」


一人で校門を出たのをフタバさんに見られたのが恥ずかしくなり、僕は逃げるように彼女の側を離れた。彼女は中学に上がる直前、親が離婚していたらしい。その後19歳で結婚し、双子を出産したと風の噂で聞いた。


その日の夜、幼稚園から一緒のカワベと待ち合わせして、学校の校庭に侵入した。そして僕らは校庭のベンチで『タモリ倶楽部』の魅力について語り合っていた。


カワベとは小学校時代一度もクラスが一緒になることはなかったが、中一のときチャイナのクラスで同じになってからはよく話す仲になり、陸上部だったがゴール下コミュニティの一員でもあった。


彼は上に二人姉がいる末っ子で、テレビや音楽もどこかマニアックな観点を持つ彼と僕はウマがあった。その日も、空耳アワーの企画性と、タモリと安齋肇が生み出す独特の空間について熱く語り合っていた。


「そういえばあの体育館って、登れるんでしょ」

「ああ、先輩がよく登ってた。行ってみる?」

「卒業式のあとだし、行っちゃいますか」


そんな謎の動機に輪をかけるように僕らは、体育館の上で味噌汁を飲むという計画を立てた。卒業式後の妙なテンションか、数日前悪目立ちした体育館の上から“なにか”を見下ろしてやりたかったのか。


チャイナがいつも不良連中に買い出しに行かされていた学校近くのセブンイレブンで、ワカメの味噌汁を買ってお湯を注ぎ、こぼさないよう慎重に歩きながら真っ暗な体育館に戻った。


体育館横にあるハシゴに手をかけ、二人で協力しながら無事に味噌汁を上に運ぶことに成功した僕らは、思ってたより全然キレイじゃなかった夜景を眺めながら、3月の寒空の下、味噌汁を啜った。


ロマンチックな気分にも切ない気分にもならなかった。ただただ寒くて、ただただ味噌汁が温かくて、タモリ倶楽部の安西さんが僕らは好きだった。


ふいにカワベが言った。


「そういえば君、イントロすごかったね」

「…ああ、なんかね」


そうして僕の中学生活は終わった。

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