第9話 仮面をつけて生きるのは息苦しくてしょうがない

夢の覚醒と、性の開花のド真ん中で悶々とする僕にも、一つだけ解放場所があった。それが、バスケのゴール下だった。


小学生時代、同じ地元の野球チームに属していた友人らはたいてい野球部に入ったが、僕は坊主にするのが嫌で、逃げるようにバスケ部に入った。


入学した1992年当時は『SLAM DUNK』が大流行中で、バスケ部の入部希望者は100人近くにまで及んだ。そのため、体育館で練習できるAチームと、校庭で自主練するBチームに分けられた。体育館をバスケ部が全面使えるわけではないので、当然そうなる。


三学期が始まる頃には、Aチームに呼ばれる者が同級生からも現れた。決して下っ端が足を踏み入れることが許されない聖地・体育館に呼ばれる連中は、まるで農民が城に招かれ武士になるかのようで、威張りっぷりが凄まじかった。


我こそは稀代のスポーツ、バスケ部のAチームぞといった足取りで、彼らは彼女なるものを校内でも侍らかせ、渡り廊下で筋トレする僕らをヒョイとまたいでは、おやおや愚民どもが今日もじゃれておるわといった具合で体育館へ向かう。人間ここまで変わるものかと僕は血の気が引いた。権威は人を変える。


当時発言権があったのは不良とスポーツマン。僕は短距離走だけはそれなりに速かったが、長距離が大の苦手で、マラソン大会では「鷺谷! そんなわけねえだろ!」といつも先生に怒られた。


兄は毎年一位だったし、中三のときの伝説のマラソン大会がインパクトに残っているようだった。


大会一ヶ月前、野球部でもエースだった兄は練習中に足を怪我した。さすがの鷺谷も今年は断念かと囁かれている中、兄は出場し、ラスト、足を引きずりながら執念で一位でゴールしたことが教師たちの間で伝説となり、「鷺谷! そんなわけねえだろ!」という、伝説の兄の弟である僕への言葉に繋がる。


そんな兄のDNAの残り滓が僅かにあった僕も、二年生に上がる頃Aチームに呼ばれユニフォームをもらうことになった。奴ら、、の人格を変えてきたこのユニフォームが、僕にはとても汚らわしいものに思えた。


Bチームの校庭での練習は、顧問の監視の目がないお気楽な世界だったが、Aチームの体育館練習はまるで違う世界だった。床を擦るバッシュの音、みんなのかけ声、顧問の怒号。


実に場違いな空間に思えた。僕は見よう見まねで彼らと同じように振る舞ったが、まるでやる気が起きなかった。


しかし他校に試合に行ったとき、応援に来ていたその中学の女子に体育館裏に呼ばれ、飴をもらったことがある。


「ぜひ食べて下さい。まゆみ」


いかにも女子が好きそうな花柄のメモ帳を切り離した紙に、そんなメッセージが添えられていた。今思えばこのときが俗に言う、モテ期到来だったのかもしれない。しかしこれはAチームという権威がもたらした飴であり、僕がモテたわけではないという妙な意地を張った。そうして僕は、Aチームの練習をサボりBチームと校庭にいることが多くなった。


難しくなっていく授業と、不良たちのつまらない言動、1限目から5限目までうんざりする時間が続く日々の中で、全てを吐き出せるのがBチーム連中と過ごすゴール下だった。


ゴールを支える置き石に腰掛け、小学生から馴染のニサワ、ウツミ、タケワキを相手に僕はテレビで見たエンタメを喋り続け、いつものように再現した。小学校時代に比べると随分小さくなったが、ここだけが唯一の僕の解放区であり、非公式クラブ・エンタメ部。


ゴール下コミュニティは少しずつ盛況を見せ始め、バスケ部だけでなくサッカー部やテニス部の連中も来るようになった。不良も真面目もバカもスポーツマンもジャンルに関係なく集まった。エンタメ好きはどこにでも必ずいる。


中三の運動会の休憩時間、フタバさんと席が隣になったときのこと。すでに経験済と思われる彼女からは大人の魅力が漂い、「卒業式で一緒に皆勤賞もらったよね」とはとても言い出せない雰囲気だった。


「鷺谷ってさあ、なんであんな奴らとつるんでんの?」

「えっ? あ、ああ…いや、別に、面白いから」

「ふーん…」


フタバさんの中には、不良=イケてるグループという公式があるようだった。僕は不良ではなかったが、小学生のとき率先してみんなを笑わせるタイプだったから、あんたはそっち寄りじゃないの、なんでおとなしい連中と一緒にいるの、という意味で言ったらしかった。


僕はエンタメを共通言語に人と付き合っていたから、フタバさんが不思議がるほどに友達のジャンルがバラバラで、ゴール下コミュニティに集まるもの同士も面識がなかったりする。そのため、音楽話のこの流れならX Japan好きのこいつにあの話をしてもらおう、野島伸司作品の話ならドラマに精通してるこいつ、そうすればこいつがこいつに興味を持って仲良くなるかもしれないと、僕だけが知っている彼ら個々人の知識や見解をみんなの前で披露させる係りに徹した。


欽ちゃんはなぜあんなに面白いのか。小学生のとき『欽ちゃんの仮装大賞』を観ながら考えた。とんねるずはその場にいる人全員を使って空間ごとお笑いに変える全体芸。ダウンタウンはマイク一本あれば二人だけで爆笑を生み出せる職人芸。ウンナンはそのどちらもこなすし、受け手にもなっても笑いを起こせる。


坂上二郎さんとのコント55号も面白いけど、テレビスターとしての欽ちゃんの面白さは、人を受けさせる才能だ。『欽ちゃんの仮装大賞』を観ていると、相手が小学生だろうと高齢者だろうと、限られた時間の中で2、3質問するだけで爆笑を生む。


テレビでやってたことを再現するような空間はここにはない。ならば欽ちゃんだ。質問者と回答者と聴衆。最低3人いればあれのミニマム版を再現できる。


僕にお笑いの才能はないけど、あのフォーマットを再現して楽しい空間なら作れる。みんなが持っている知見を引き出していく。すると普段目立っているような奴らが、おとなしい連中の話に目を見開く。それを、どうだ、すごいだろうこいつと我が物顔で満足する僕。誰でも一つや二つは必ず面白い話や見識を持っていて、それを不良・真面目、上下関係なく、みんなでエンタメを共有しながら「楽しい」を何倍にもしていく。


面白さとは、発信者の言動に限らず、誰かへのリアクションや相槌一つで生み出せるものでもあり、全員で構築していくものなのだ。テレビを見ていたものなら分かる摂理。だからそこに不良もおとなしいもないんだよと、エンタメ論をフタバさんに力説する余裕はなく、時折足を組み替えるフタバさんのブルマに目が行かないようにするのに必死だった。


もらったあの手紙を捨てず、バスケに打ち込んでいれば。校内の不良グループたちと愛想笑いで付き合っていれば。もしかしたら、そこそこモテた青春時代が待っていて、そこそこ充実した人生が待っていたのかもしれない。


しかし当時の僕は、毎日吸収するエンタメの興奮を誰かと共有せずにはいられなかった。ブルーハーツの『STICK OUT』は初期を彷彿させるほどの名作だったし、とんねるずとダウンタウンは『なるほどザ・ワールド』で共演するし、部活どころではなかった。


ある日、ゴール下で修学旅行の下痢話をしているとき。Aチームのヨコタが体育館からバッシュを面倒くさそうに脱ぎ、履きかけの外履きを引きずりながら走ってきて、こう言った。


「サギー。もうAチーム来なくていいってー」


いつもAチームの体育館練習をさぼり、Bチームのゴール下で延々喋り続けている僕を顧問は見限った。


戦力外通告だった。


その場にいた連中は一瞬僕を憐れんだが、僕はここで喋り続けるお墨付きをもらったように感じて、心が軽くなった。


Aチームがどうした。俺にとってはここが世界だ。バスケのゴールは決められないが、喋りのダンクは決められるぞ。これが俺のスラムダンクだ。


「しかし下痢と言えばさ…」


と、僕はそのまま話し続けた。


そうして僕の人生は横道に逸れ続けた。


小学校とは打って変わり、無口で陰気な中学生になっていった僕は、日の当たらないゴール下でのみ三年間喋り続け、卒業式を迎える直前、それは爆発した。

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