第5話 パパ、ママ、おはようございます

林間学校で日光に行ったとき、湯呑み茶碗に文字を入れる絵付け体験というのがあった。


「おとうさん、おかあさん、いつもありがとう」と日頃の感謝を書いて親へプレゼントするもの、ドラゴンボールのキャラクターを描くもの、何を血迷ったか麻雀牌を描くものもいて、なんてバカな小学生だと彼らを横目に、僕は迷うことなくブルーハーツの歌詞を筆入れした。『リンダリンダ』の「愛じゃなくても~」から始まる、あのフレーズだ。


書道教室に通っていたこともあり、小学生にしては上手く書けた。焼き上がった完成品はのちに学校で手渡され、僕のリンダリンダ湯呑み茶碗は家の食器棚の中に飾られることとなった。


珍しくキレイに書けた文字、自分だけのリンダリンダ湯呑み茶碗。僕はどんなお土産よりも、どんなおもちゃよりも気に入った。


そのわずか一週間後、僕がいる目の前で父がその湯呑み茶碗をバラバラに割ってしまった。


食器棚から皿を取り出そうとして、手前にあったリンダリンダ湯呑み茶碗に腕を引っ掛け、落としてしまったのだ。


父が謝るところはほとんど見たことがない。例え自分が悪くても、強引に誰かのせいにする強情な父だ。この場合は「そんなところに置いておくのが悪いんだ!」とするのが妥当なラインかと思われたが、さすがに今回ばかりはそうもいかない。食器棚の中に置いてあったのだから。


それでも、強引に押し切ることもできたかもしれないが、まだ酒が足りてなかったか、さすがの父も罰が悪そうな顔をし、僕は半べそ状態で二階へ駆け上がり、布団にくるまった。


父を責めるのも嫌だった。いっそ「そんなところに置いておくのが悪いんだ!」と強引に怒られた方が気持ちが整理しやすかったかもしれない。取り払えない嫌な感情に包まれながら、僕は眠りに落ちた。


翌朝、一階に降りていくとリンダリンダ湯呑茶碗はヒビだらけの状態で復活していた。


「あの後破片を拾って、アロンアルファで一つずつお父さんが繋げたのよー」と、台所で母が朝食の準備をしながら言った。父はすでに出社した後だったが、僕は寝起きでボーっとしながらその湯呑み茶碗を手に取った。ツギハギの線はどうしようもないが、確かに形を戻していて、歌詞もちゃんと読めた。


このとき父は、なにを思いながら繋ぎ合わせたのだろう。


少なくとも、ブルーハーツの歌詞を何度も見たはずだ。バラバラになった破片を繋げるうえで一番のヒントが歌詞だから。


パズルも完成型のイラストを見ながらピースをはめていくように、15個程度に割れた破片を繋ぎ合わせるには、歌詞こそが最大の頼みの綱。無地の湯呑み茶碗だったら、かなり難しかっただろう。


「愛じゃなくても、恋じゃなくても、えー…」

「離しはしない…決して負けない…んー…」


なぜ小学生の息子が、こんな歌詞を湯呑み茶碗に入れたのか。この歌を歌っているのは何者か。そんなことを一度は考えたかもしれないし、単なる図として見ていただけかもしれない。


今となってはもう確認する術はない。

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