第36話 48億の個人的な憂鬱9
テラダ家を引き戻すかのように、車に乗り込む直前でおばあちゃんは旅立った。
この日は土曜日。なるべくみんなに迷惑をかけないよう、このタイミングで逝ったんだろうと父とエミコさんが話す声が聞こえてきた。兄が到着して一段落つき、これからの持久戦に備え始めたところでの急転直下。確かにそんな気もする。
ただ、死ぬときまで誰かの迷惑を考えなければならないのかとも思った。いや、死ぬときこそ、考えるべきなのだろうか。生きてるときに散々迷惑かけたから? 死ぬときくらいは人に迷惑をかけずに?
生きてる人なんて、多かれ少なかれ誰かに迷惑をかけているんじゃないのか。地球にとっては、人類そのものが迷惑だ。 地球がその重みに耐えかねて軋んでる。
病院を出ると、相変わらず雲ひとつない青空が無責任なほど広がっていた。12月に珍しい台風一過の空気は、どこか生暖かくて心地よかった。
僕らはそのままおばあちゃんの家に移動し、親連中は葬儀屋さんとの打ち合わせに入った。霊柩車のグレード、戒名をどう付けるか、こういった選択の一つ一つで金額が変わることを初めて知った。人が死んだ直後に、ここまで現実と直面するものなのかと僕は驚いたが、「だから良いんだ」と帰りの車で兄は言った。
悲しむ暇を与えないほど、次から次へとやることが押し寄せるから正気を保っていられる。エミコさんに至っては、今警察で取り調べを受けているそうだ。投与していた薬に間違いはなかったか、つまり、この死に事件性がないかと疑われるのだ。
あくまで形式的なもので、警察も本気で疑いはしないだろうが、実の母の死の直後に取り調べを受ける心労は計り知れない。
葬儀の打ち合わせは長引きそうだし、先に帰っててくれということで、兄の車で僕らは一足先に帰ってきた。兄は家族があるし仕事もあるが、僕の急務はラブの散歩だった。
ゴロは、僕が19歳のときに大往生した。その悲しみから、もう犬は飼いたくないと思っていたが、犬好きの父がラブラドール・レトリーバーをどこかの知り合いからもらってきた。
たくさん子どもが産まれたんで、良かったらどうです、ラブラドールか、そりゃあいい、そんなところ。名前は「ラブ」と父がつけた。ゴロのときといい、いつも名前が適当だ。
兄に家まで送ってもらうと、その気配に気づいたラブが気が触れたように喚き散らした。朝みんないないしどこ行ってたの!と暴れ狂うラブの首根っこをつかみ、抑えつけるようにして散歩用のリードを繋ぐ。昔は小さかったのに、5年経ってすっかり成犬。とんでもない力で引っ張られながら、僕は近所の公園にラブと出かけた。
使い古して汚れたiPod miniを再生する。エレカシの『友達がいるのさ』。2004年にリリースされたEMI時代最後のシングル。
この時代エレカシは、打ち込みを取り入れてみたり、小林武史にプロデュースを依頼したりと、解放と制限を自らに課しながらもがき、その模様を収めたドキュメンタリーフィルム『扉の向こう』を、クマと渋谷の映画館に観に行った。監督は、のちに日本映画界のトップに上り詰める是枝裕和。
内容は、少し前の深夜放送でやっていたものとほぼ同じで、開始早々「まったく同じじゃんこれ」と2人でボヤいた。
この頃のエレカシはセールス的にも奮わなかったが、傑作も多く、スタンスやアプローチが変わっても、宮本浩次が作る曲は一貫性があり、ミッシェルを知る少し前から僕は好きだった。
曲が終わるとポケットからiPodを取り出し、また再生する。リピートボタンの存在を知らないというより、リピート設定をしてしまうと、他の曲も聴きたいときに不要になる。だから繰り返し聴きたいときは、手動でリピートする。
今日はこんなもんじゃ済まさないぞ!とラブの勢いは収まることなく、強い力で僕の腕を引っ張る。おかげで曲終わりにリピートができずにいると、聴き慣れない曲が流れてきた。
声は吉井和哉。
ラブに引っ張られながら聴き続けていると、ある一節で僕は思わず立ち止まった。
「青い空は無責任」
おばあちゃんが旅立ったあと病院を出て見た、最初の空。
あのまんまだ。
『人生の終わり (FOR GRANDMOTHER)』という、吉井さんが祖母を想って綴った歌だった。
それからはこの曲が、僕の手動リピート曲となった。
エンターテインメントは、食欲のように身体が飢えを教えてくれないから、自分がなにを求めているのか気づきにくい。“それ”と出会ったあと、初めて欲していたことを知る。その出会いはいつも偶然だが、深層心理が無意識に“それ”に向かわせるよう、導いたのかもしれない。
今回の出会いはなんだ。ラブか。おばあちゃんがラブに乗り移ったか。いや、ラブに引っ張られていなかったらエレカシをリピートしてたわけで、できないほどに引っ張られたのは朝の散歩に行ってないからで、朝の散歩に行ってないのはおばあちゃんのところに行ってたからで。やはりどこか関係あるような、とはいえipod次第だったような。
共感とも違った、自分のテーマソングのように寄り添ってくれる歌がいつもあった。このときはイエモンのこの曲が、初めて身内の死と対峙することになった僕のテーマソングとなった。
葬式では、孫の僕らが受付を担当することになった。準備をしていると、父が会社の同僚と話しながらこちらへ来た。
「今日は本当にありがとうな。バタバタさせちゃって」
「いやいや」
「おいみんな。こちら同僚の中山さん。なにか分からないことがあったらこの男になんでも聞いて。この男は冠婚葬祭のプロだから」
中山さんは父と同い年で、白髪で小太りの優しそうな男性だった。初対面でも接しやすい雰囲気の人で、数多の経験を積んできたバックボーンが垣間見えるような安心感もあった。
同僚の母の死、そしてその孫たちと接するとき、という過去の自分のマニュアルを引いているかのような完璧な応対。一部上場企業で働き続けている人は、みんなこういう重みがあるんだろうか。僕はこんな大人になれるのだろうか。そろそろ26歳になる。まだなにも積み上げていない。
父は僕からすればたった一人の父だが、外から見ればこの中山さん同様、社会経験豊富な男の一人になるのだろう。父もまた、同僚の誰かの冠婚葬祭を取り仕切ったことがあるのかもしれない。
「しかしまあくん、大きくなったね。昔一緒に麻雀やったの覚えてる?」
初対面じゃなかった。あの場にいた人なのか。
やがてスーツ姿の大人たちが次々と現れた。バリバリ仕事をこなしてそうな若き企業戦士たちが父に深々と会釈をしながら入ってくる。父の部下だろうか。無職の僕は彼らを直視できなかった。
通夜の会食では、おばあちゃんの姉妹の娘のはとこのぴーよこちゃんと、誰が誰だか理解が追いつかぬまま父の紹介のもと、僕と兄は挨拶を続けた。
お兄さんは体育教師? もうご結婚もされて。立派ねえ。
えーと弟さんは…
ミュージシャン?
は?
来たよこの件り。
父方、母方ともに僕の親族はみんなエリートだった。いい大学に行き、銀行、公務員、一流企業へ就職していく中、大学も行かず音楽かじってるニート。一人くらい、僕のようなフラフラしたのがいてくれれば、まあそういう奴もいるよね的分散もできるが、気持ち悪いくらいちゃんとした人しかいない。
この歳になれば、自分が社会の中でどういう位置付けかくらい、嫌でもわかる。父の社会的立ち位置も頭では理解できてるし、兄の立派感は言わずもがな。でも弟は、なんか変な出来損ないになっちゃったわね、まあご両親とお兄さんがしっかりしてるから、さぞ甘やかされて育てられたんでしょう。会場は、そんな思いで満場一致したように見えた。そしてそれは、あながち間違いでもなかった。
でもお前ら。
今に引っくり返してやるからな。近いうち、必ずや俺の名前をテレビで見ることになるだろう。それまでは存分に蔑めばいい。だからそのときまで、せいぜい長生きしやがれ。
おばあちゃんのお通夜で、僕はそんな不謹慎なことを胸に抱きながら、サマにならない愛想笑いを作り続けた。
僕のこの思いはのちに実現することにはなったが、そのときすでに、父はこの世にいなかった。
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