第37話 48億の個人的な憂鬱10
おばあちゃんが旅立ち、年が明けた2005年。ミリオンセラーが出るようなことはすっかりなくなった音楽業界は、アイドルや企画ものが席巻した。
修二と彰『青春アミーゴ』、O-ZONE『恋のマイアヒ』、ORANGE RANGEやケツメイシらのJ-RAP。アメリカからはiTunesが襲来し、音楽業界の在り方も変わり始めていた。
テレビは『エンタの神様』からテツandトモ、はなわ、波田陽区、レイザーラモンHGなどが登場し、何度目かのお笑いブームが到来。
少女漫画に活気があり、『NANA』『ハチミツとクローバー』『のだめカンタービレ』、そして『電車男』が映画・ドラマともにヒット。アキバ系文化も注目された。
力強く、かっこよく突出したものより、丸く柔らかいものが受けた。当時の20代はみんな疲弊していたから、エンタメに柔らかさを求めたのかもしれない。
「一つの企業に長く務め上げることこそが社会人としての成功であり、転職する奴は負け組」
僕らはそんな概念に苦しめられ続けた。
ブラック企業、パワハラという言葉が浸透するのはもっと後のことで、この頃身の回りでよく散見されたワードは、「うつ病」と「ニート」。
僕らが高校生の頃に「援助交際」という言葉が広まり、社会人になる頃に「うつ病」「ニート」という言葉が広がるのは、まるで僕らが悪い時代の象徴世代のようにも思われたが、のちに僕らはロストジェネレーション世代と呼ばれ、失われた30年のど真ん中だったことが明らかになった。
理不尽な上司、理不尽な会社という捉え方はこの頃なく、うつ病になって辞めていくものが負け組という画一的な概念しかなかった。
だからこそ僕らは、大人に、そして親に圧倒された。僕らの親は、こんな過酷な日々を送っていたのか。とても自分にはできそうにない。家なんか本当に建てられるのか。結婚して子どもなんか養えるのか。
それはできそうにないのは、自分ができない人間だからだ。根性がないからだ。だから俺はダメなんだ、いや、ダメになってたまるか、そのせめぎ合いで、心が病んでいく。
おばあちゃん亡くなる一ヶ月前、自殺した同級生がいた。
中学時代の同級生で、あまり話したことのない男だったが、顔と名前はすぐに分かった。
道路に飛び出す野良犬を飛び込んででも助けに行くような心の持ち主であったという彼は、社会に嫌気が指して公園のトイレで首を吊った。彼が就職してからの細かい経緯を聞かずとも、みんなが自分なりに理解できた。一歩間違えれば自分もそうしていたかもしれないという経験が、みんなにあったからだ。
バスケ部ゴール下の面々と通夜に顔を出したとき、僕らに挨拶する彼の母親の表情は、訪れた同級生への感謝、死を選んだ息子への悔しさ、悲しさ、どんな言葉でも表せられないものだった。
棺に入った彼の顔を見たとき、ぼんやりと過ることがあった死が生々しく近くに感じられた。彼の選択にどうこう言う資格が自分にあるとは思えなかったが、こんな表情を母親にさせてはダメだとは思った。
身体を壊してでも続けるか、負け組と罵られながら転職するか、ニートと化すか。死という選択肢はない。
僕は、夢見るニートとして努力の日々を送るでもなく、パチンコに溺れていくことになる。
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