第28話 48億の個人的な憂鬱
ライブに行くのは苦手だった。
みんなと同じように振る舞えないし、溶け込めない。人混みが苦手で、出不精で、キザったらしいそんな中二病的理由から僕はライブが苦手だった。そもそも、ステージに立ちたいと思っている人間からすれば、客席からステージを見るのは嫉妬千万で、楽しむ心の余裕がない。悔しさが募って直視できない。
ミッシェルの解散発表を聞いたとき、僕はすぐブルーハーツのことを考えた。
小学生の頃よく聴いていた歌を聴き続けている大人がどれくらいいるかは知らないけど、僕はブルーハーツを大人になるにつれ好きになっていった。昔から体内のどこかで眠っていたものが、ある日突然意味をなして突き動かしてくる。その衝動はいつも勇気やエールに変わって身体を鼓舞してくるまるで逆・癌。
今こそブルーハーツを見に行きたいと思っても叶わない。ミッシェルもそうなるのではないかと思った。あのとき行っとけば良かった。一度生で見てみたかった。必ずそう思う。絶対思う。
普段ライブに行く習慣がない僕はチケットの取り方が分からず、ネットを彷徨っていると、あっという間に完売になった。当然諦めきれず、僕はヤフーオークションを見張った。今でいう転売ヤーは当時から存在していて、ミッシェルの幕張ライブはヤフオクでも売り出されていた。結局、4,500円のチケットを、3倍の14,000円で購入した。
会場は幕張メッセ。埼玉県民の僕らは電車で向かい、会場に着くと若い女性のファンが多さに驚きながら、「一曲目はなにか」という予想をクマとしていた。
「静かに始まるか、いきなりかましてくるか」
「CISCOあたりが妥当では」
「でも最後のライブだから、まさかの『世界の終わり』からとか」
SEが小さくなり「いよいよか」と歓声が上がってはまた静かにSEが流れ出してどよめきが収まる、それを開演予定時刻から20分経っても繰り返していた。
この日はどこかの路線で大きな事故があり、まだ会場に来れない人が結構いるらしいという話があちこちから聞こえてきた。なるほど、その辺りを配慮して少し遅らせているのか。
突然『ゴッドファーザー~愛のテーマ~』が爆音でかかった。次の瞬間、後ろ、いや、右から左からどこからか分からないほどに、僕は人の圧力で押し流された。
やがてアベさんのギターが鳴った。僕はかろうじてクマと目を見合わせながら「ドロップだ…!」と互いに言ったのを最後に、終演まで会うことはなかった。人の熱気と怒号で押し潰されるように、僕らは全く違うところまで押し流された。
僕は運良く前の方へ流されたことで、より見える位置に来れた。近い。やがて、「Ohーーーー!」とチバさんの叫ぶような歌いだしが会場に響くと、全身に鳥肌が立った。
これが本物の歌か。
ライブだとうるさくて良く聴こえないんじゃないかとも思っていたが、はっきり聴こえる。本当に3つの楽器だけだ。なんだこのグルーヴは。
ライブってこういうものなのか。僕は今までなにをやっていたんだろう。なにをしようとしていたんだろう。
合唱するように歌うファンの目は、ようやく始まったという嬉しさと、終わりも始まったという複雑な表情に見えた。寂しさがあるのになぜここに来る。楽しさを求めて来たのではないのか。
この人たちは歴史を見に来たんだ。ドラマの最終回、映画のラストシーン、例え悲しい結末が待っていても、みんな最後まで見届ける。ミッシェルガンエレファントという物語のエンディングを、みんな見に来たのだ。
僕にはなにも歴史がない。刻んでいない。ビートルズマニアだった専門学校時代の同級生が結婚したとき、会場の軽井沢まで僕はギターを持っていって披露宴でビートルズを歌った。MCもダダ滑りで、会場を出るとき同じクラスだった知人に、
「俺、軽井沢までギター持ってきて大滑りして、なにやってんだろう」
「そうやっていろんなところに足跡を残していくんでしょう、サギは」
僕の足跡は痔のライブとか滑りMCとか、そんなのばっかり。比べようがないミッシェルの最後の歴史を目の前にして、自分がいる地点をはっきりと確認した。この人たちは今から終わるんだ。こんなにかっこいいのに終わるんだ。僕はまだなにも始まってもいないのに投げ出そうとしている。
ミッシェルは最初から今のミッシェルだったわけではない。最初から黒スーツだったわけではない。出てきた頃はあどけなさ残る幼な顔で、深夜番組で釣りをしたり、ポップなことも随分していた。本人たちは嫌だったかもしれないが、まだなにも残していない者に説得力はなく、X Japanだって『元気が出るテレビ』で食堂で歌ったりしてた。
振り返ってみればちょっと恥ずかしい歴史も含めて、ここにいる人たちはみんな、彼らの物語を見届けにきた。自分の物語にミッシェルがいたからだ。ミッシェルを見るということは自分を見ることであり、彼らの音楽は、自分の物語の音楽でもある。
僕は誰かの物語になっているだろうか。そんな音楽を作っているだろうか。いや、もはや歌云々ですらない。何かを見せれているのだろうか。歴史を。物語を。
ビートたけしは、「芸人とは生き様だ」と言った。表に出る人たちはみんななにかの芸をする人たちであり、ミッシェルもまた芸人だ。
最後に『世界の終わり』が演奏されアベさんが「ありがとう」と一言呟いて、ラストライブは終わった。
ボブ・ディランのようなフォーク・シンガーになりたかった。ギター一本で東京ドームを満員にしてみたかった。
僕は翌日、昔作った歌を弾き語りでレコーディングした。J-POP的ではなかったし、放置していた曲だった。高音パートを多用するありきたりのバラードや、無駄にギターを重ねてみたり、これまでいろんな曲を作って、いろんなレコーディングを試してきた。この曲は、ただの弾き語りだ。歌うような、喋るような、素朴で味気ない歌だったが、クマにその曲を誉められたことをよく覚えていた。タイトルは『憂鬱のレモンティー』。
いつものように自分の部屋でレコーディングを済ますと、録ったデモ・テープを「全て」に送った。募集しているところもしてないところも、クマが言うように「全てに」送ってみた。
すると、あるラジオ曲から連絡が来た。
「この曲を番組で流すことにしました」
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