第32話 48億の個人的な憂鬱5

父に会いに、広島に行った。


60歳の定年退職を迎える直前、父は人生初の単身赴任をすることになった。


場所は広島。


父より一足先に退職して時間ができた僕は、一人、秋の広島へ向かった。


そういうことがしてみたかった。


曲作りのため。一人旅。広島。


全てが新鮮な響きで、一人暮らしをしている父の家で2泊3日することに抵抗を感じないほどに、羽を伸ばしたかった。


東京駅で弁当を買い、広島行きの新幹線に乗る。平日の昼間だから自由席もガラガラで、弁当を食べ終えるとすぐにイヤホンをして、流れる景色に目をやる。


CDショップに長く勤務していたことですっかり洋楽漬けになっていた僕は、この頃世界的に盛り上がっていたロック・リバイバルブームに傾倒していた。ストロークス、ハイブス、リバティーンズ。


回りに人がいないのをいいことに、周りの音が一斉聞こえなくなるほどにボリュームを上げリバティーンズに酔いしれていると、大阪駅の看板が見えた。


小学校のクラスで、中学校のゴール下で、高校で、いつも誰かを笑わせることに奔走していたのは、テレビで見たことをやってみたかったからだ。お笑い芸人になろうと思ったことは一度もない。


漫才なら、誰かとコンビを組まないといけないし、ピン芸人を目指そうにもなにをすればいいか分からない。落語も出来るとは思えない。


シンガー・ソングライターは、自分一人ギターを抱えれば無限に表現ができる。これしかないと思ってはや10年。25歳。無職。なぜ今広島に向かっているのか。向こうで父に冷静に説教されるんじゃないか。わざわざ広島で怒られたら、たまらない。


父の仕事が終わる夕方過ぎに広島に着き、ほどなくすると埼玉から広島へ運ばれた我が家のマークⅡと久しぶりに対面した。


「別にわざわざ広い家借りてもな」


父が生活する家は洒落っ気のない、こじんまりとしたマンションだった。父の整髪料やクシ、ドライヤー、胃薬、Asahiスーパードライの空き缶。家でよく見たそれら、、、が、父がここに住んでる感を醸し出していた。


ビールはロング缶が増えている気がした。母の目がないのをいいことに、少し酒の量が増えているな。


軽装に着替えた父と近くの定食屋で適当に飯を済ませ、また家に戻る。この日は木曜日。明日は一日広島を一人で散策し、土曜は父に広島案内をしてもらう。そして日曜の昼の便で帰る。


「寝室はお前好きに使え。俺はこっちで寝るから」


リビンクのソファは背もたれを倒してベッドに出来る仕様で、父はそこで早々に寝た。僕は寝室とトイレを行ったり来たりしながら、ただただ詞を書き続けた。


多分、こういうときじゃないと書けない詞がある。思いつかないメロディーがあるはず。どうもリバティーンズのメロディーに引っ張られる。でもこのメロディーから派生したいい曲が書けそうな気がする。


朝起きると父の姿はなく、すでに出社した様子だった。


コンビニで買ったサンドイッチを頬張り、父から預かった鍵を持って家を出た。


父の住んでいるマンションから歩いて20分程度のところに広島城がある。とりあえず、近場で行けそうな観光地らしきところに行ってみる。


途中、アパレルショップの路面店が目に入った。おしゃれな作りに目を引かれて入ってみると、あまり東京と変わらない印象を受けた。


「なにかお探しですか?」


同い年? 少し上か? 小綺麗な雰囲気のお兄さんが話しかけてきた。


「いや、ちょっと寄っただけでして」

「ご旅行ですか?」

「いや、父がこっちで仕事してて、ちょっと」

「どちらからいらしたんですか?」

「東京です」

「東京ですかあ」

「あ、いや、東京っていうか、あの、俺は埼玉なんですけど」

「埼玉も都会ですよ。田舎でしょう、ここは」

「いや、そんなに変わらないですよ」


発作的に「東京から来た」と言っている自分がいた。品川駅から来たから東京から来たに嘘はないが、東京在住でも出身でもない。そして、広島の人にとっては埼玉も都会なのか、おべっかか。あんた埼玉なんてよく知らないだろう。客だから適当に合わせてくれただけか。


ところであの人、広島の人だよな? 方言ってないんだな。


大阪駅を目にしたとき、最初にイメージしたのが関西弁だった。


上岡龍太郎、明石家さんま、ダウンタウン、ナインティナイン。京都、和歌山、兵庫、大阪と微妙にイントネーションは違うが、テレビで見続けてきたあの関西弁が、ここを降りればそこら中で関西弁が聞けるんだと思うと、ふいに飛び出したくなる衝動に駆られた。


専門学校にいたときも、新宿で働いていたときも、みんな全国津々浦々から集まって来ていたはずなのに、そういえば生方言を僕は一度も聞いたことがない。


陽が落ち始めた駅前で、ケータイでなにか話している派手目な女子高生の姿が視界に入った。長い金髪で顔は見えなかったが、彼女の言葉に僕は一瞬で心を奪われた。


「…じゃけ、すぐ行くけん」


じゃけ?


けん?


その瞬間だけ街の雑踏音が消え、彼女の声だけが正確に聞こえた。


けんって言った今。菅原文太の「朝日ソーラーじゃけん」というCMを咄嗟に思い出した。


女子高生が「けん」とか言うの? すごくない? かわいくない? どう思う?


道行く人々誰かに話したくなったが、話しかけたところでその人も広島人だし、そんなことを見知らぬ人に言えるわけもないが、それくらい驚いた。


友人同士だと出るのか。敬語だと出ないのか。


埼玉生まれ、埼玉育ち、生息地は主に埼玉と東京で25年。


この25年、僕は世間をまるで知らずに生きてきた気がした。テレビを見てるだけでは感じ取ることができない当たり前を知った。


その土地に流れている風、空気、雰囲気。


ケータイで話す女子高生の一言で、知らない世界が山程ある気がした。急に日本が広く感じ、自分が小さく感じた。この広い世界に、自分の歌が本当に届けられるのか。そんな存在になれるのだろうか。どんどん現実味が薄れていく。


「今日はどこ行ってたんだ」

「広島城とか。その辺をブラブラ」

「で、曲は出来そうなのか」

「何曲か」

「そうか」


本当に何曲か出来てきてはいたが、それを全国に届けられるイメージが全く沸かなかった。

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