第33話 48億の個人的な憂鬱 5

土曜日は父の運転する車で広島案内をしてもらった。


原爆ドーム、平和記念公園、そして安芸の宮島。修学旅行でも広島は来なかったから、驚きの連続だった。


平和記念資料館で、リトル・ボーイを見た。


投下された原爆はどれくらいの大きさだったんだろうと思ったとき、


“実寸”


との記載を見つけた。


“全長3.2メートル、直径71センチ”


こんな小さいのが何十万人もの命を奪い、街を破壊し、今なお続く後遺症を残している。


ブルーハーツの歌に『爆弾が落っこちるとき』という歌がある。小学生のとき繰り返し聴いていたこの歌が、音声ガイドを掻き消すように脳内再生される。


僕は自由に生きていたいのに

みんな幸せでいるべきなのに

爆弾が落っこちる時 僕の自由が殺される

爆弾が落っこちる時 全ての幸せが終わる

いらないものが多すぎる


『はだしのゲン』で描かれた世界。手塚漫画でも度々題材になる原爆投下。


ドラマでも幾度となく登場する世界を作った張本人は、こんな小さな物体だった。この小さな物体が、何十万人もの命を一瞬で奪った。


なんと簡単で、創造性がないのだろう。


何十万人もの命を救うことのできる歌もまた無差別に降ってくるが、こんな単純で、力尽くではない。ブルーハーツの後遺症は今も多くの人を勇気づけてる。


なにがリトル・ボーイだ。戦闘機が買えるくらいのはした金ならいらない。


……命を救う歌?


少なくともお前なんかにそんな歌は作れない。


ただ自分が目立ちたいだけだろう。


お前のゲスいその野心もまた、本当はいらないものなのだ。


もう一人の自分がすぐにぎり、僕を白けさせる。


「先行ってるぞ」


リトル・ボーイの前に立ち尽くしている僕に父はそう声をかけ、通り過ぎた。


安芸の宮島を観光した帰り「焼肉が食える中華屋さんがあるぞ」と父に言われ、ある店に連れて行かれた。広島の人は、ラーメンと焼肉を一緒に食べる文化があるのかなと思った。


店内はカウンター席とお座敷があり、一見どこにでもあるような町中華のように見えて、お座敷の衝立ついたてや店内の装飾が料亭のようでもある不思議なお店だった。


そしてどの席にも、小さなガスコンロが置かれていた。


これで肉を焼くのか。確かに焼肉が食える中華屋さんだが、コンロ置いているだけといえばだけのような。


「あら、いらっしゃい」


前掛けをつけた着物姿の妙齢女性が、父を見つけ声をかけた。店員の女性と適当に一言二言交わし、カウンター席に座る。


「仕事でかしこまった所も行くけど、こういうところの方が落ち着くんだよな」


そう言って父は小さなグラスのビールを飲み干すと、すぐまたアサヒの瓶ビールを追加で頼んだ。


母は料理にこだわる人だったから、我が家はあまり外食をする習慣がなかった。


小学生のとき一度だけ、母が用事でいない日曜の昼、近所に新しく出来たラーメン屋に父と2人で行ったことがある。


父はそのときもカウンター席の隣で野菜炒めとビールで一杯やりながら、タバコの煙を燻らせていた。


隣から見る景色が今とまるで同じ。


父から見れば僕が随分大きくなったと映るだろうが、小学生のときのラーメン屋を覚えているかは分からない。


小学生のその頃僕は書道塾に通っていて、そこに学校で同じクラスの女子が一人だけいた。


他校の生徒しかいないと思ってここにしたのに、誤算だった。


「なんでサギタニってここだと一言も喋らないの? 学校ではいつもあんなにうるさいのに」


「……」


「サギタニくん、さっき提出してもらったこれなんだけどね」


「はい」


「はい? はいだって。あのサギタニが」


女子の息の根を止めてやろうかと思ったのはこのときくらいだ。


俺はここでは学校とは別人格でやってるんだ。


そのため「俺に構うな」というオーラをサイヤ人並の覇気で出したが、それでもその子はからかいに来た。


幸い僕にはさほど興味もなかったようで頻度こそ少なかったが、暇になるとたまに僕をいじりに来た。


見知った友人となら延々喋り続けられる僕は、そこから外に出た途端無口になる気持ちの悪い子どもだった。


そんな性格だから、成長するにつれ父と話す機会も減っていった。


かといって険悪というわけでもなく、僕と父は、業生と先生のような距離感だった。


特別なにか父と深い話をするわけでもなく、広島旅行は終わった。


このとき僕がお酒を飲めていれば、もう少しなにか話ができたのかもしれない。


30歳を過ぎてお酒を飲むようになってから、ふいにこの「焼肉が食える中華屋さん」を思い出す。

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