第33話 48億の個人的な憂鬱6
土曜日は、父の運転する車で広島案内をしてもらった。
原爆ドーム、平和記念公園、そして安芸の宮島。修学旅行でも広島は来なかったから、僕には驚きの連続だった。
平和記念資料館で、リトル・ボーイを見た。
実際はどれくらいの大きさだったんだろうと思った。
“実寸”
との記載を見つける。
“全長3.2メートル、直径71センチ”
これ実寸?
こんな小さいのが、何十万人もの命を奪い、街を破壊し、今なお続く後遺症を残しているのか。
僕は自由に生きていたいのに
みんな幸せでいるべきなのに
爆弾が落っこちる時 僕の自由が殺される
爆弾が落っこちる時 全ての幸せが終わる
ブルーハーツの歌に『爆弾が落っこちるとき』という歌がある。小学生のとき繰り返し聴いていたこの歌が、音声ガイドを掻き消すように脳内再生される。
いらないものが多すぎる
『はだしのゲン』で描かれた世界。手塚漫画でも度々題材になる原爆投下。映画、ドラマでも幾度となく登場する世界を作った張本人は、こんな小さな物体だった。
この小さな物体は、何十万人もの命を一瞬で奪った。
僕の歌は、僕が作るものは、どれくらいの人を救えるだろう。少なくともこんな物体よりは価値があるはずだ。歌は盤となり、あるいは電波に乗って、大勢の人に届けることができる。なにがリトル・ボーイだ。戦闘機が買えるくらいのはした金ならいらない。
…人を救う? ただ自分が目立ちたいだけのくせに? お前なんかに広島の歌が歌えるか。それくらいの覚悟があって歌い手になりたいと思っているのか。一時の感傷に浸った程度で歌える内容じゃないぞ。お前のゲスいその野心もまた、本当はいらないものなのだ。
「先行ってるぞ」
リトル・ボーイの前に立ち尽くしている僕に、父はそう声をかけ通り過ぎた。リトル・ボーイの前で、この旅何度目かわからない自信なき自分とまた出会った。
安芸の宮島を観光した帰り、「焼肉が食える中華屋さんがあるぞ」と父に言われ、ある店に連れて行かれた。広島の人は、ラーメンと焼肉を一緒に食べる文化があるのかと思った。
店内はカウンター席とお座敷があり、一見どこにでもあるような町中華のようにも見え、お座敷にある衝立や店内の装飾といい、どこか料亭のような高級感もわずかに漂う不思議な店だった。そして、どの席にも小さなガスコンロが置かれていた。
ああ、これで肉を焼くのか。確かに焼肉が食える中華屋さんだが、コンロ置いているだけといえばだけのような。
「あら、いらっしゃい」
前掛けをつけた着物姿の妙齢女性が、父を見て声をかけた。店員の女性と適当に一言二言交わし、カウンター席に座った。僕は淡々と肉を焼いて食べ続けた。
「仕事でかしこまった所も行くけど、こういうところの方が落ち着くんだよな」
そう言って父は小さなグラスのビールを飲み干すと、すぐまたアサヒの瓶ビールを追加で頼んだ。
母は料理にこだわる人だったから、我が家はあまり外食をする習慣がなかった。ただ小学生のとき一度だけ、母が用事でいない日曜の昼、近所に新しく出来たラーメン屋に父と2人で行ったことがある。
父はそのときも野菜炒めとビールで一杯やりながらタバコの煙を燻らせていた。カウンター席だったから、隣から見る景色が今とまるで同じだ。父からの景色は僕が随分大きくなったと見えることだろうが、小学生のときのラーメン屋を覚えているかは分からない。
友達となら延々喋り続けられる僕は、そこから外に出た途端に無口になる二重人格のような子どもだった。
書道塾に通っていたとき、学校で同じクラスの女子が一人だけいた。他校の子しかいないと思ってここにしたのに。
「なんで鷺谷ここだと一言も喋らないの? 学校ではいつもあんなにうるさいのに」
「…」
「鷺谷くん、さっき提出してもらったこれなんだけどね」
「はい」
「はい? はいだって。あの鷺谷が」
女子の息の根を止めてやろうかと思ったのはこのときくらいだ。俺はここでは学校とは別人格でやってるんだ。だから「俺に構うな」というオーラをサイヤ人並の覇気で出していたが、それでもその子はからかいに来た。
幸い、さほど僕には興味もなかったようで頻度こそ少なかったが、暇になるとたまに僕をいじりに来た。
そんな性格だから、成長するにつれ父と話す機会は減っていったが、かといって険悪な仲でもなく、この期間も僕と父は学校の先生と卒業生のような距離感だった。
そして特別なにか深い話をするでもなく、僕の広島旅行は終わった。このときの僕にお酒を飲む習慣があれば、いくらか話はできたのかもしれない。
僕がお酒を飲むようになるのはもう少し後のこと。お酒を飲むようになって、広島旅行最後の夜の「焼肉が食える中華屋さん」を思い出す。
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