第3話 意味もなくコーフンしてる

父は酒に酔ってよく暴れる人だった。


僕が小一のとき、酔った父は母の仕事道具を蹴り飛ばし、庭で飼っていたゴロを家の中に入れ、リビングを無茶苦茶にした。


「1年4組のみんなに言いふらしてやるー!」


と泣き叫ぶ僕の声も届かず父は暴れ続けたが、ゴロだけは楽しそうだった。


うちの父はやばい人なんだと思わなかったのは、どれだけ父が暴れようと母が一歩も引かなかったことと、今となってはドラマでも見ないようなそんな光景が向こう三軒両隣、昼夜を問わず同時多発する時代だったからだ。


「クソババアー! ぶっ殺してやる!」


と金切り声と同時になにかが激しくぶつかるような衝撃音が聞こえてくるのは、2軒隣のヤマグチさんち。


尾崎豊が若者の代弁者と呼ばれた1980年代は、校内暴力が社会問題化していた。


金曜8時放送だから金八と名付けられた『3年B組金八先生』や『スクール⭐︎ウォーズ』でも生徒と教師、親と子の対立は幾度となく描かれた。型にはめて子どもを均一に育てようとする社会、それに抗う生徒は腐ったミカン。


『湘南爆走族』や『ビーバップハイスクール』などのヤンキー漫画は、近所のお兄さんたちの家にはたいていあった。


猫にヤンキーファッションをさせた『なめ猫』の免許証がバカ売れするなど、とにかくヤンキー、スケバン、暴走族が、若者文化のど真ん中を闊歩していた。エンタメから始まった現象なのか、当時現象としてあったものをエンタメが増幅させたのか。


ヤマグチさんちのスケバン姉さんは美人だった。下校時に会うと「お前大きくなったな。男なんだから母ちゃん大事にしろよ」と僕の頭を撫でながら言った。長いスカートでぺちゃんこの鞄を小脇に抱え、タバコと香水が混じった変な匂いがいつもした。


ヤマグチさんちとうちの間のナトリさんちは、お父さんが酔って暴れるとお母さんが一本背負いでなぎ倒すという話が有名だった。


ナトリさんちのお母さんは、話し声も聞き取りにくいほど柔らかい声量のお嬢様感漂う小顔の長身美女だったが、学生時代は柔道の県大会で優勝した実力者で、怒らせたらやばいと、近所の子どもたちの間でも有名だった。


団塊世代の男たちはみなエネルギッシュだったが、女性も強かった。三歩下がって三つ指ついてなんて時代はもっと昔の話で、お前らもあんま調子に乗ってるとやっちまうぞという強さが女性にもあった時代だ。


そして若者たちは喧嘩に勤しむという、活気的と言えば聞こえはいいが、シンプルに暴力的な時代だった。


そんな中、“若者”にもまだ分類されないような子どもだった僕らの共通言語は、テレビ、ファミコン、ジャンプ。


当時の子どもたちの間ではファミコンソフトを貸し借りする習慣があり、ソフトの表面には「いのうえ」とか「やまだ」とか、マジックで名前が書かれているものが多かった。


「これ兄ちゃんの友達の?」


「知らない。政明の友達のじゃないの」


「いや俺も知らない」


又貸しも同じくらい横行していたため、誰のソフトが分からないものもあった。


みんなでソフトを持ち寄ってファミコンをやるとき、誰かが人から借りたものを持ってきて置き忘れていくと、いよいよ出生が分からなくなる。


その中の一つに、『上海への道』という出生不明の麻雀ソフトがうちにあった。


ガンダムや仮面ライダーに見向きもしなかった当時二年生の僕は、麻雀という大人の世界観漂う魅力に急激にハマった。


ルールも分からず、世界観だけでプレイしているうちに麻雀のことをもっと知りたくなり、近所の古本屋に自転車を走らせ、100円で投げ売られていた麻雀の教則本を買った。これが、人生で初めて自分のお金で買った本だ。


出版社は、まさか小二が読むことを想定して作っていないから、漢字はもちろん、言い回しや表現を解読するのが大変だった。しかし僕の好奇心は、そんなことではめげなかった。


学校に持ち込んで休み時間も読み耽り、帰ってくればゲームで実践。父が住む大人の世界への憧れか、みんなが知らぬ面白いものを先に見つけた喜びからか、どこからともなく来るその衝動に、意味もなく興奮していた。勉強が出来ない僕が国語だけできたのは、この本のおかげかもしれない。


クラスの友達にも教則本を紹介していったことで、僕の周りから麻雀ができる小二が増え始めた。やがてそれは学年中に伝承し、僕の代はおそらく、創業以来もっとも雀士が多い学年となった。


やがて、僕が古本屋で買った教則本は『スイミー』と同じくらいみんなに読まれる名作となった。自分が紹介したものが校内で流行っていくのが、僕はたまらなく嬉しかった。毎回ボロボロになって帰ってくるその教則本は、この世に一冊しかない小二男子たちの聖書となった。


そんな僕に、父は誕生日プレゼントで麻雀牌を買ってくれた。


家族でディスカウントストアに行ったとき、「これが本物かぁ…」と僕が麻雀牌を眺めていると、「これが欲しいのか」と父が言ってきた。


棚には、子どもでも安っぽいなと感じる3千円の牌と、ケースからして高級そうな2万円の二種類が陳列されていた。「まあ、練習がてらに…」と遠慮気味に3千円の牌を指差すと、「どうせならいいのを買え」と苦笑いする母をよそに、父は2万円の牌をカゴに入れた。「いいぞーこれは。高級な牌は音が違う」と帰りの車でも父はご機嫌だった。


「サギの家、本物の牌があるんだぜ」


そうして僕は、小二にして同級生と卓を囲んでいた。


紙で作ったペラペラの自作麻雀牌は教室に入り込んでくる風であっという間に吹き飛び、誰かが買ってきたカード麻雀も感動したのは最初だけで、やってみると全体の手が確認しにくく、吹き飛ばない以外のメリットはなかった。


やがて上尾の小二雀士たちは本物の牌を求め、鷺谷家は放課後雀荘クラブと化した。


サッカー部のサワムラは学年の中では遅くに覚えた方で、鷺谷家でのデビュー戦で上がり牌が出たとき、緊張のあまり「ブ、ロン!」と叫んだ。


初めての実牌。デビュー戦。上がり牌が出た、ぶわっ! 上がり牌だ! なんだっけ!? ロンだ! ロン! が一気に略されそうなったかどうかはわからないが、僕を含む3人のベテラン勢は、初心者のサワゴンにいきなり当てられた悔しさから、審議に入った。


「…しかし、“ブ・ロン”というのはどうでしょうな」


「ロンって言わないとねえ」


「誤チー、誤ロンも罰符だから、ブ・ロンも…」


「チョンボですね」


「じゃあサワゴン、罰符で4000オール」


そしてなぜかサワムラは3人に4000点を払わされた。とても小二の会話とは思えない。やり口もヤクザのよう。子どもは侮れない。


デパートの最上階にあるゲームセンターにみんなと遊びに行くと、僕は決まって怖い中学生グループに捕まり、代打ちを命じられた。


「おー鷺谷。これやってくれよ」


兄は運動神経が良く、足が速いことで有名で、バレンタインデーにはチョコを山盛りに持ち帰ってくるほどの人気者だったが、僕は麻雀が強いガキとして、怖い上級生の間で有名だった。


当時のゲームセンターにある麻雀ゲームは基本二人打ちで、勝つとゲーム内に出てくる女性キャラクターが服を脱いでいく、いわゆる「脱衣麻雀」がしゅ


怖い上級生といっても所詮まだ中学生だから、誰も麻雀のルールなど知らない。でも女の裸は見たい。子どもは侮れない。


お金は彼らの持ち出しだったから、タダでゲームが出来るのは良かったけど、負けるわけにはいかないというプレッシャーが凄かった。一緒に来た僕の友人らは、少し離れたところから心配そうにこちらを見ていて、僕の姿は後頭部一つ見えないほど上級生たちに取り囲まれていたという。


真ん中に座っているのが、当時身長120cm程度だった小二の僕。中学生の出資により、これから女を脱がす仕事に入る。


こういうゲームは、役の大きさより早い手だ。泣いて三元牌か、断么九を狙うのが常道。とにかく1、2局上がって、彼らに裸を見せられればいい。


「よし」


と僕が小さく呟いてツモると、上級生たちは何が起きたか分からず、顔を見合わせた。隣に座っていたボス的存在のナイトウ先輩が「どうなった? 勝ったのか? 」とタバコ臭い顔を近づけてくる。


ナイトウ先輩は中学生にしてタバコを吸い、他校の不良を喧嘩で制圧していた地元では有名な悪童だった。


やがて下手なイラストで描かれた女が画面の中で脱ぎ出すと、「おお~…」と中学生とは思えぬ低い声で彼らは静かに歓喜した。


「ありがとうな、またやってくれよ」


最初は緊張と恐怖で手が震えたけど、喜んでもらえるのが嬉しくて僕はあまり嫌な気はしなかった。


父は酒好きが講じてか人付き合いもよく、我が家には父の同僚が飲みに来ることが多かった。僕は、大人が酒とタバコをやる空間が好きで、母が手料理を振る舞う中チョコンとソファに座り、おじさん達の会話をいつも眺めていた。


ほどなくすると、おじさん達は麻雀を打ち始める。父が高い牌を選んでくれたのは、自分も使いたかったからに違いないと思った。


もの欲しそうな顔をしている僕に気づくと、「マサアキ、やるか」と父は声をかけた。ここで、上尾の小二麻雀ブーム仕掛け人の登場となる。


父含めこのおじさん達はまだ、“小二の子が麻雀をやっている”という可笑しさの中にいる。それこそが隙。相手の戦力を見誤ったものに、勝利の女神は微笑まない。


闇に舞い降りた天才は、6巡目にしてリーチをかけた。


「おっ…」


3人の顔が一瞬真顔になった。たまらなく気持ちいい。待ちこそ悪いが、精神的にかなりリードできる。子どもを侮るな。


僕が入ったことで抜け、後ろで見ていたおじさんがこう言った。


「みんな、これはなしにしてあげましょう。マー君、これ待ちないよ」


よく見ると、僕の上がり牌は全て河に出尽くされていた。


「まあ小学生だからなあ」とおじさん達はにこやかに笑った。


大人たちをアッと言わせてやりたい、父の前で良いところを見せたい、いろんな感情で織り混ざり、上がり牌なしリーチという実に初歩的なミスをしてしまった。


サワゴンから罰符を巻き上げた天罰か。僕は闇に舞い降りた天才どころか、上尾で舞い上がるただの小二だった。


現代ではおじさんは「老害」と煙たがられるけど、僕は昔からおじさんの世界が好きだった。


それくらい、当時のおじさんに魅力があったからなのか、景気が良くてみんなに余裕があったからなのか。


やがて僕は、テレビから流れてきたある曲に魂を奪われた。ドラマ『はいすくーる落書』の主題歌だ。

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