第7話 いつでもまっすぐ歩けるか
1985年、僕が6歳のときにブルーハーツは結成されたが、視聴率100%男としてバラエティの歴史を作った欽ちゃんが、休養のため全てのレギュラー番組を降板したのもこの年だった。やがて『ひょうきん族』と『ドリフターズ』が土8戦争を繰り広げるが、当時僕の真ん中にはとんねるずがいた。
とんねるずの笑いは、その場にある全ての人・モノを使って笑いに変える空間芸であり全体芸だった。そのため学校で再現しやすく、なにかを模倣する能力が人より少しだけ長けていた僕は、とんねるずの真似をすることで耳目を集めた。テレビを見て、隙あらばそれを学校で披露することは食事を摂ることと同じくらい、僕にとって自然なことだった。目立ちたいという思いと、再現したいという思い、どちらが先行しているのか分からないほどに身体が勝手に動いた。
当時のテレビは華やかで、過激で、エロくて毎日かじりつくように見ていたが、常に僕の目を引いたのが、大人2人のフリートーク番組だ。
親が旅行に出かけると、兄は決まって友達の家に泊まりに行く。一人になった僕は当然お色気番組を夜な夜な探すことになるわけだが、そんな中偶然目にした『鶴瓶上岡パペポTV』に目を奪われた。大人のフリートーク好きの源流は、この番組の影響かもしれない。
洒落てるわけでもお色気でもない、大衆酒場のようなリラックスした大人の空間。煙草片手に流暢な関西弁を話す上岡龍太郎から漂う大人の色気と、知的な笑い。自分が絶対的であるかのように話したかと思えば、笑福亭鶴瓶に突っ込まれて子どものように笑う。
日曜日に放送される『いいとも!!増刊号』で一番楽しみだったのがタモリ・さんまの『日本一の最低男』。これが始まると、読んでいたジャンプを中断するのが僕の日曜午前のルーティーン。
1989年に深夜帯で始まった『ガキ使』もすぐに好きになり、毎週ビデオ録画で追っかけた。VHSからハードディスクの変遷を経て、40歳を過ぎた今も録画し続けることになるとは思いもしなかった。
僕らの間で『ガキ使』は、エンタメやお笑いに敏感な一部の友達との会話に出てくる程度だったが、中学に上がる前に『ごっつええ感じ』がゴールデンタイムで始まると、のちにお笑い第三世代と呼ばれるスターが出揃うこととなり、しのぎを削った熾烈なお笑い大戦争が始まることとなる。
1990年、とんねるずがドラマ『火の用心』に専念するため『みなさんのおかげです』を一時休止させると、ウッチャンナンチャンが『誰かがやらねば!』を後任番組としてスタートさせた。これは繋ぎ番組だったが好評を得たため、以前『ひょうきん族』を放送していた土曜20時枠で『やるならやらねば!』を開始した。
僕の教科書は、毎日湯水にようにテレビから溢れてくるエンターテインメントだった。カラカラに乾いたスポンジは余すことなくそれらを吸収し、気の済むまで学校で絞ると家に帰ってまた吸収。勉強を一切吸収しないそのスポンジは、エンターテインメントにのみ吸収性も速乾性も早かく、6年間はあっという間に終わった。
卒業式で僕は、フタバさんという女の子と一緒に皆勤賞で表彰された。
一日でも休んでしまうと知らない世界になってしまうという幼稚園時代のトラウマから、僕は熱があっても登校し、どうしようもなければ早退と、とにかく丸一日完全欠席だけは避け続けた結果、皆勤賞を受賞してしまった。恐怖から逃れ続けた結果の皆勤賞。
フタバさんは細くて大人しいタイプで、どちらかというと暗い印象の子だった。それがなぜか中学に上がると、彼女は学年一の不良少女になった。
6−3−3制というのはよくできたもので、中学に入ると急にみんな大人になる。
そして全ての求心力が「不良」に集まった。
悪いことをするものが偉い。喧嘩が強いやつがカッコいい。
制服がそうさせるのか、性の目覚めによるものなのか、頭の良さや身体の発育や運動機能、エンタメの好みに至るまで、中学に入った途端違いが顕れる。
フタバさんはオヘソをチラ見せする短いブレザーに、地面スレスレのスカート、ウェーブががったパーマヘアーをなびかせ、当時でも退廃化しつつあったヤンキーファッションだったが、色っぽく見えた。
先輩の誰々ともうヤッたらしい、といつもみんなに噂され、僕を含め男子たちはフタバさんをエロい目で見ていた。
よく一緒に麻雀をしていた友人らも、怖い上級生たちと付き合うようになり、悪ガキから「不良」になっていった。女子たちはそんな彼らの彼女となり、「女」になった。
ブルーハーツを模したキャラクターも登場する漫画『ろくでなしBLUES』も当時流行していて、僕にも不良への憧れはそれなりにあった。
修学旅行初日の朝、
せわしなく駅に向かうサラリーマンを横目に制服姿の中学生たちが駅前に停車中のバスに搭乗していき、先生が全員を確認するとバスが走り出す。先生がもうこちらに来ないことを確認した僕は、女子の前で得意気に缶コーヒーを取り出す。
「あー鷺谷。コーヒーなんか買って。不良ー」
「うるせえなあ」
前田太尊気取りで、飲み慣れたようにコーヒーのプルタブを慎重に開け、口にする。修学旅行のバスの中で缶コーヒーを飲むことが僕の精一杯の悪行であり、カッコいい不良の素行だった。
しかし普段決して飲むことのないコーヒーを口にした僕の胃は、驚きで悲鳴を上げた。隠れて缶コーヒー飲んだらちょっとお腹下しちゃったのでバス停めてくださいとは死んでも言えない。表情にも出せない。
「鷺谷ー。なにカッコつけて外ばっか見てんのー」
「うるせえなあ」
今のは本当にうるさい。さっきのは想定したやり取りだったが、今俺に構うな。いないものとして扱ってくれ。
流れる景色を眺める物憂げな少年は、脂汗を流しながら下痢と格闘することになった。途中休憩のサービスエリアにつくまでなんとかやり過ごしたが、旅行中はずっと下したままで、そこから20年間僕は自らコーヒーを口にすることはなかった。
シャツの第二ボタンを開けるくらいが精一杯のツッパリで、喧嘩に明け暮れることも悪事に手を染める根性もなかった僕は、回りに誰もいないことを確認してから道路に唾を吐いてみせ、怖そうな人たちを見つければそそくさと隠れて第二ボタンを締める、そんな中学生だった。
スポンジを絞る場所がなくなった。
不良にも真面目にもなれない僕のスポンジはどんどん浸水していった。誰かとエンタメを分かち合えないことが、こんなにも退屈なのか。みんなを笑わせて目立った小学校とはうって変わり、悶々とした日々が続く。親とも次第に言葉を交わさなくなっていった。
そんな僕をよそに、成熟しつつあったテレビはいよいよ隆盛を極めていく。
お笑いBIG3や第三世代だけではなく、ドリフも現役、志村けんも大活躍。上岡龍太郎も東京で活動を始めたが、テレビは決してベテラン勢一辺倒というわけではなく、松村邦洋・松本明子によるアポなし突撃番組『電波少年』や、『ボキャブラ天国』からは爆笑問題、『とぶくすり』からはナインティナインと、新しい風がどんどん吹き込んでくる。
光GENJIのような輝かしさを放てなかったアイドルSMAPがバラエティに進出し始めたのもこの頃。アイドルをどこか下に見ていたはずの僕は、SMAPには惹かれた。男子がアイドルに抱く「そんなわけないじゃん」に対し、彼らは「うん、そんなわけないんだよ」と返すように泥まみれになったり下ネタを言ったり、アイドル像をどんどん壊していった。
ドラマでは、当時天才モードの中にいた脚本家・野島伸司が、凄惨ないじめで自殺した子の父親による壮絶な復讐劇を、『人間・失格』で描いた。主演は、僕と同い年のKinKi Kids。
年末年始の特番シーズンでは、友達に録画をお願いして回るのが恒例だった。ビデオデッキは一台しかないし、とても一番組だけの録画では事足りない。
家では、父がいるとテレビはプロ野球中継一色になるので、リビングのビデオ録画を回しながら、隣の和室で旧式のテレビに一人かじりつく。兄も母もスポーツ観戦が好きだったから、「入ったー!」とか「下手くそー!」と聞こえてくる隣で、とんねるずやウッチャンナンチャン、ダウンタウンを見て大爆笑する日々。
それを共有できる場が減っていったストレスは、やがて僕を一つの方向へ導くことになった。
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