第39話 僕は一人で決めたんだ

12月に祖母が亡くなり、3月に定年退職した父は、5月に念願の初孫と対面し、6月に死んだ。


僕はなにも見せられなかった。なにも伝えられなかった。兄は仕事はもちろん、結婚もして、ギリギリで孫とも会わせた。父に心残りがあるとすれば、それはきっと僕の存在だっただろう。こいつはこの先どうなるのか。


取り返しのつかないことをしてしまった罪悪感に襲われた。


いつか。


来月、来年、いつか。


その「いつか」がもうない。来月も来年も父はいない。僕を一生認識しない。奇跡が起きて、なにか大成功しても、父は知らない。知らせられない。


葬儀の前日、兄は近所のレンタルビデオ店でドリフターズやダウンタウンなどお笑いビデオを大量に借りてきた。2階の両親の寝室で、ほとんど使われなくなった古いビデオデッキを使って見ていた。


身内が死に、葬儀までの段取りが決まってしまうと遺族は暇だ。他にやるべきことがあったとしても、どうせ手につかない。


死を理解したあと散々泣き、苦しみ、そして葬儀でまた嫌というほど父の死を悼むことになるわけで、この宙ぶらりんの時間の感情の置き場がない。また父の話をして悲しむのも辛いし、かといって温かい思い出話をする余裕まではない。なにもできない。することがない。だからビデオを借りてきた。なるほど。


兄が実家にいて、実父の葬儀の前日に両親の寝室でお笑いを見ているその異様な光景に、不思議と違和感がなかった。だから僕は、まるでいつもそうしているかのように黙って後ろのベッドに寝っ転がり、一緒に見出した。現実をそのまま受け止めると、おかしくなってしまうかもしれないという、防衛本能も働いていたのかもしれない。


こんなときでもやっぱりお笑いは面白かった。笑うこともできた。父はいなくなったが、エンタメはずっとそこにあった。


「社葬のようだ」


父の葬儀に参列した人が口々に言った。ほんの数ヶ月前まで現役だったこともあり、通夜には数百人にも及ぶ会社関係者が訪れた。それは、半年前の祖母の葬式よりも何倍も自分を小さく感じさせるものだった。


僕は父の件を、地元の友人らには最小範囲で伝えていたが、高校の友人らには言わなかった。「父が死んだ」と言われたら、葬式に行かなくてはならない責務のようなものを発生させてしまうと思ったからだ。高校時代の連中は住んでる地域もバラバラだったし、上尾にわざわざ来てもらうのもと思い、言わなかった。


しかし“軍団”は現れた。


なんでいんの。


焼香する軍団を遺族席から見ながら、僕は小さく驚いた。こいつら焼香とかできるんだ。


卒業以降も特によく連絡を取っていたクマにだけは伝えていたから、そこから広まったらしい。


帰りに、父の知人に深々と挨拶をしていると、奴らが目に入った。


ほどなくすると近づいてきて、


「なに大人っぽい対応してんだよ」

「いやするだろ普通」


といつも通りの言葉を交わした。途端に日常が少しだけ戻った気がした。


そこから僕は、母のサポートをしながらCDを仕上げた。その中からベストだと思う曲をデモテープにダビングし、レコード会社に送れるだけ送った。CDも一方的にあちこちに送りつけた。


ネットで公開もした。当時はストリーミング再生一つさせるのも大変だったが、やり方を調べてなんとか公開した。


以前、ラジオ局でかけてくれた音楽評論家がまた僕の曲をかけてくれた。


「鷺谷政明くん。彼は以前、弾き語りの曲を送ってくれてとっても良かったんだけど、今回はCDを送ってくれてね。その中の一曲を紹介します。『リビングルームの像』という変わったタイトルなんだけど、これは…」


これが最後だった。


他にどこからも連絡はなかった。


僕の夢は終わった。


「これでダメだったら諦める」と父と約束したことだ。約束したにも関わらず怠け腐り、パチンコに逃げ、夢の最後も報告できずじまいで終わった。


犯罪より悪いことをした気分が、その後もしばらく続いた。


普通だった。僕は特別じゃなかった。とんねるずの真似をして、ダウンタウンに感化されて、ブルーハーツに感動し、年下の宇多田ヒカルに圧倒される、普通の人だった。


目立ちたかったが、その覚悟がなかった。失敗したら傷つくようなところまで踏み込めなかった。


だから僕は逃げた。特別ではない、才能もない自分を認めたくなかったから。受け入れたくなかったから。 


そこから目を醒まさせるために、神様は、父の死を持って僕に教えにきた。受け入れざるを得ない現実をもってして。そう思った。


こんなことならもっと早く醒めて、まっとうに生きてる姿を見せれば良かったのかもしれない。そういじけてみても、父はもういない。怠けてると、ちゃんと人間は不幸になる。


25年間生きてきた昨日までの自分ともお別れだ。


特別な自分よ、さようなら。


3ヶ月が経った。


母もわずかに落ち着きを見せ始め、僕の夢の後片付けも終わりに近づいてきた9月。


オガサカから電話が来た。父の葬式以来だった。


「結婚するわ」

「は?」

「結婚」

「…ドッキリ?」

「いや本当に」

「まじで?」


できちゃった婚だった。


オガサカは、結婚式で僕に友人代表の挨拶と、二次会の幹事をしてほしいと言ってきた。


「俺も辛いことがあったばっかだから、そういう明るい話題は嬉しいよ。やるわ」


ここまで破天荒な結婚式は、後にも先にもなかった。ケーキは爆発するし、そこに頭を突っ込むし、なんでもありのバラエティ色が強い、オガサカらしい結婚式だった。


久しぶりに笑った。軍団と一緒に、高校時代のように笑った。


人が集まるイベントにおいて、僕は常にミュージシャンとしての見せ方を考える。厳密には、ミュージシャンぶった、ミュージシャン気取りの、、、、立ち振る舞い。友人の結婚式には決まってギター持参で、ちょいと小粋なMCと上手い歌。どうだ。祝福より自分アピール。


でも、もういくらカッコつけても無駄。特別じゃないんだから。普通の人なんだから。歌なんか必要ない。


「…で、僕も昔、音楽やってたんですけど彼も歌がうまくてね。歌がうまい奴ってのは発声がいいんです。発声の良さを見分ける簡単な方法が、笑い声ね。笑い声ってのは作れませんから。彼はすごく通る笑い声でしょう。これがうるさくってね、隣のクラスから苦情がよく来て…」


自分でもびっくりするくらい、スラスラと言葉が出てきた。もう取り繕う必要もない。そして、ここでどれだけうまく話せても父に自慢もできない。


「…まあ、そんな笑い声に包まれる今日のこのふざけた結婚式のような楽しい家庭を作ってほしいと思います。隣の家から苦情が来ない程度に」


初めて引き受けた友人代表の挨拶は、不思議と緊張しなかった。ちょっと前に親父死んだし。無職だし。ミュージシャンでもないし、夢もないし。自分を保っていたバリアのようなものはなにもない。カッコよく思われようと面白い人だと思われようと、今さら何の得もない。もう普通の人。この式が盛り上がれば、それでいい。


オガサカは、退場前の新郎最後の挨拶で、こう締めくくった。


「では最後に。さっき鷺谷くんに声を誉めてもらったので…」


と言うとオガサカはマイクを下に降ろし、


「今日は…ありがとうございましたー!!!」


と地声で絶叫した。


高校時代、どこにいても聞こえてくるあのバカでかい声が会場全体にこだました。ワッと盛り上がるとBGMが流れ、両親らと共に会場をあとにした。


本当によく通る声だった。1998年和田アキ子が紅白歌合戦の大トリで見せたマイク外しパフォーマンスを思い出した。そして、僕の話をフリにして最後に回収するアドリブ。さすが軍団。決してモテない奇妙な軍団、オガサカも、とうとう結婚して、パパか。


二次会も、イメージ通り完璧に進行することができた。会の終盤、奥さんに内緒でお母さんからもらった手紙を、僕は日本テレビ『おしゃれカンケイ』古舘伊知郎16小節のラブソングをイメージしながら、丁寧に読み上げた。BGMは、カーペンターズの『イエスタデイ・ワンス・モア』。


16小節のラブソングを参考にはするが、16小節のラブソングで使用されているBGMをここで使ってはいけない。そこにパロディ感が見えると、可笑しさが生まれ感動しにくくなる。エンタメの教科書なら僕は読み尽くしている。


手紙を読み終えBGMが止まると、静まり返った会場からは、鼻をすする音があちこちから聞こて来た。それを横目で確認した僕は追い打ちをかけるよう、徹底的に湿っぽく締めた。


「幼少期のお話、僕も初めて知りました。本当に、愛されていたのが分かりますよね。…お母さん、心温まるお手紙、本当に、ありがとうございました。では、以上を持ちまして…」


…ノキ バエ


どこからともなく聞こえてくる、あの音。


…ノキ ボ バエ


…イノキ ボンバイエ


…猪木 ボンバイエ


猪木!ボンバイエ!!!


猪木!!ボンバイエ!!!!


ファイ!!!


イーノーキ!


イーノーキ!!


イーノーキ!!!


自然に沸き起こる猪木コール。


笑いは緊張と緩和。


アントニオ猪木は僕らにとってもスーパースターで、エンタメの象徴だった。アリ戦を見ていた直撃世代ではないが、とんねるずを始め多くの芸人に愛され、模倣されてきた燃える闘魂アントニオ猪木。真のエンタメとは、真面目に見れば感動し、パロディにすると笑えるものだ。


やがてクマが男たちに担がれ、神輿状態で入ってきた。


僕のプランでは、クマが猪木で入ってくるというところまでだったが、彼は急遽サッカー部の連中を集め、自分を担がせて入場してきた。2002年大晦日さいたまスーパーアリーナ猪木祭りか。なるほど。


僕はマイクを手にした。


「さあ!今男たちに担がれ、アントニオ猪木が神輿状態で入ってまいりました。神輿は神と人間の中継地点。“祭り”の語源は、神に仕え‘’祀る‘’と、あの本居宣長は説きました。猪木は今夜オガサカの幸せを祈り、自らを神に捧げるというのでありましょうか。これが猪木の闘魂キャンドルサービスだ!猪木祭り最高潮ーー!!」


僕は『オシャレカンケイ』の流れから、2002年猪木祭りの古舘伊知郎の実況を思い出せる限り並べ立てた。


クマはこのとき何度目かの転職期間中で、もっとも落ち込んでいた時期だったが、神輿の上から同級生をビンタし、オガサカの前で降ろされるとオガサカにも平手打ちをかました。何度も見たこの光景。


最後は出席者どころか、会場スタッフまで一緒になって盛り上がった。ここで猪木が来たらこう、そして最後はダー! エンタメは僕らの共通言語。


80年代から90年代、テレビという単一メディアからあれだけのエンタメシャワーを浴び続けてきた僕らだ。洗脳されてきた僕らだ。全員が瞬時にその空気を理解し一つになる。僕らは失われた世代だが、共通言語がたくさんあった。僕らはエンタメのマニュアルを叩き込まれた、永遠のエンタメにわか世代だ。


大盛況で終わったオガサカの二次会を経て、僕は、イベントに関わる仕事に就こうと考えた。もしかしたらこの職種なら、僕のエンタメ力が役立つかもしれない。


そして僕は、イベント企画制作会社に就職した。

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