第39話 僕は一人で決めたんだ

父の死から2ヶ月が経った頃、オガサカから電話が来た。


父の葬式以来だった。


「結婚するわ」


「は?」


「結婚」


「……ドッキリ?」


「いや本当に」


「まじで?」


できちゃった婚だった。


10月に結婚式を挙げる。そこで、友人代表の挨拶と、できれば二次会の幹事もお願いしたいとのことだった。


僕はおそらく初めて真面目にオガサカにこう言った。


「……俺も辛いことがあったばっかだから、そういう明るい話題は嬉しいよ。やるわ」


ここまで破天荒な結婚式は、後にも先にもなかった。


ケーキは爆発するし、そこに頭突っ込むし、なんでもありのバラエティ色が強い、オガサカらしい結婚式だった。


久しぶりに笑った。


無職のときは、テレビを見ることができない。


どんなドラマを見ていても、みんな仕事しているんだ、みんな働いているんだと思ってしまい、思わず目を背けてしまう。


でもこのときは、軍団と一緒に、高校時代のように笑った。


人が集まるイベントにおいて、僕は常にミュージシャンとしての見せ方を考える。


厳密には、ミュージシャンぶった、ミュージシャン気取りの、、、、立ち振る舞い。


でも、もうカッコつける必要はない。自分にも、外に対しても。


特別じゃないんだから。普通の人なんだから。


「……僕も昔音楽やってたんですけど彼も歌がうまくてね。歌がうまい奴ってのは発声がいいんです。発声の良さを見分ける簡単な方法が笑い声ね。笑い声ってのは作れるもんじゃない。彼はすごく通る笑い声でしょう。これがうるさくって隣のクラスから苦情がよく来て……」


自分でもびっくりするほど、スラスラと言葉が出てきた。


「……まあ、そんな笑い声に包まれるようなね、今日のこのふざけた結婚式みたいな楽しい家庭を作ってほしいと思います。隣の家から苦情が来ない程度に」


父は喋りが上手かったという。


会場は結構受けた。


オガサカは、退場前の最後の挨拶で、こう締めくくった。


「では最後に。さっきサギタニくんに声を誉めてもらったので……」


と言うとオガサカはマイクを下に降ろし、


「ありがとうございましたー!!!」


と地声で叫んだ。


ワッと盛り上がるとBGMが流れ、両親らと共に会場をあとにした。


高校時代、どこにいても聞こえてきたあのバカでかい声。


本当によく通る声だった。


1998年、和田アキ子が紅白歌合戦の大トリで見せた、マイク外しパフォーマンスを思い出した。


そして、僕の話をフリにして最後に回収するアドリブ。さすが軍団。


決してモテない奇妙な軍団オガサカも、とうとう結婚してパパか。


二次会は、コウダカを指名した。


高校のとき、2年、3年と僕と同じクラスで、オガサカと同じサッカー部でもあった、とにかくよく気が利く男。コウダカがサポートしてくれれば、イメージ通りの二次会が作れると思った。


僕のやりたいことを二手三手先を読んで動くコウダカのサポートのおかげで、二次会は出来過ぎな程にうまく行った。


終盤には、奥さんのお母さんから内緒でもらった手紙を『おしゃれカンケイ』のお手紙コーナー16小節のラブソングの古舘伊知郎をイメージしながら読み上げた。


BGMはカーペンターズの『イエスタデイ・ワンス・モア』。16小節のラブソングで使用されているBGMをここで使ってはいけない。


そこにパロディ感が見えると「古舘伊知郎っぽく読もうとしているな」という可笑しさが生まれて、感動しにくくなる。エンタメの教科書なら、僕は読み尽くしている。


手紙を読み終えBGMが止まると、静まり返った会場からは、鼻をすする音があちこちから聞こて来た。それを横目で確認した僕は追い打ちをかけるよう、静寂の中徹底的に湿っぽく締めた。


「幼少期のお話、僕も初めて知りました。本当に愛されていたのが分かりますよね。お母さん、心温まるお手紙本当にありがとうございました」


…ノキ バエ


「では、以上を持ちまして…」


…ノキ ボ バエ


どこからともなく聞こえてくる、あの音。


手紙を読み終えたところで、静かにフェードインさせるのだ。コウダカが完璧なタイミングで、僕が作ってきたCD-Rから音を流し始める。


…イノキ ボンバイエ


猪木!ボンバイエ!


猪木!!ボンバイエ!!!!


ファイ!!!


アントニオ猪木は、僕らにとってもスーパースターで、エンタメの象徴でもあった。


アリ戦を見ていた直撃世代ではないけれど、とんねるずを始め多くの芸人に愛され、幾度となく模倣されてきた、燃える闘魂、アントニオ猪木。


真のエンタメとは、真面目に見れば感動し、誰がパロディをしても笑えるものなのだ。


イーノーキ!!


イーノーキ!!


悲しみが笑いに変わり、会場が一つになったところで、男たちに担がたクマが神輿状態で入ってきた。


僕のプランは、ここでクマが猪木の格好で入ってくるというところまでだったが、彼は急遽サッカー部の連中を集めて、自分を担がせて入場してきた。


2002年大晦日、さいたまスーパーアリーナ猪木祭りだな。なるほど。


僕はマイクを手にした。


「さあ!今男たちに担がれ、アントニオ猪木が神輿状態で入ってまいりました。神輿は神と人間の中継地点。“祭り”の語源は神に仕え‘’祀る‘’とあの本居宣長は説きました。猪木は今夜オガサカの幸せを祈り、自らを神に捧げるというのでありましょうか。これが猪木の闘魂キャンドルサービスだ。猪木祭り最高潮ーー!!」


僕は『オシャレカンケイ』の流れから、猪木祭りの古舘伊知郎の実況を思い出せる限り並べ立てた。


クマはこのときも何度目かの転職期間中で、もっとも落ち込んでいた時期だった。それでも神輿の上から同級生をビンタし、新郎新婦席の前で降ろされると、


「お前、奥さん幸せにできんのか!」


「できます!」


「気合い入れろーーー!」


とオガサカにも平手打ちをかました。


体育祭でも、文化祭でも、6才児のライブでも見たこのくだり。


「結婚は、ゴールではなく新たな人生のスタートです!いくぞーー!」


最後は出席者どころか、会場スタッフまで一緒になって拳を上げた。


ここで猪木が来たらこう。最後はダー。


エンタメは僕らの共通言語。


80年代から90年代、テレビという単一メディアからあれだけのエンタメシャワーを浴び続けてきた僕らだ。のちに僕らは「失われた世代」と呼ばれるが、共通言語ならたくさんあった。


僕らはエンタメのマニュアルを叩き込まれた、永遠のエンタメにわか世代だ。


「サギ、今度学年同窓会やろうよ」


大盛況で終わったオガサカの二次会の終わり、高校の連中にそう持ちかけられた。


「コウダカが手伝ってくれるなら、またなにかできるかもな」


と僕が言うと、


「おお。やるよ俺」


とコウダカが言った。


僕は帰りの電車で、イベントに関わる仕事を探してみようかとぼんやり考えた。


もしかしたらこの職種なら、僕のエンタメ力が役立つかもしれない。


そして僕は、イベント企画制作会社に就職した。


ミュージシャンを夢見た男の、本当の社会人生活が始まった。


僕はそこで地獄を知ることになる。

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