第12話 世界のまん中で

「麻原彰晃が捕まりました」


英語教師のカノウ先生が授業を始める前そう言うと、「いえーい!」とクラスが沸き上がった。


1995年、体育祭が終わった頃も日本は物々しい雰囲気が続いていた。


入学前の3月には地下鉄サリン事件が発生し、オウムvs日本の構図は日増しに強くなっていく一方だった。


新しい場所で心機一転、それぞれが期待と不安を抱えながら入学し、体育祭を期に急速にほぐれつつある日々の中で、365日24時間、常になにか騒ぐきっかけ待ちをしているようなムードが教室にあった。


夏休み明けの9月に文化祭が開催されるため、うちのクラスはなにをやるかをみんなで考える授業が6月にあった。


キラキラ系男子が「たこ焼き屋さん!」「宝探し!」「学校の歴史紹介コーナー!」とありきたりな案を出す中、とある案が僕の耳に入った。


「フランス!」


よく通るその声の主はサッカー部のオガサカだった。前から二番目の席からよくそんな堂々と意味不明な案を出せるなと思った。


「オガサカ、真面目に考えて。なんなのフランスって」

「いや、国旗を出してさ。パンとか焼いたり」


クラスは誰一人受けていなかったが、僕には笑いの波がゆっくりと押し寄せてきていた。どう考えてもボケで言っているが、真剣に言っている感じがいい。


文化祭実行委員の女子2人が、好き勝手に騒ぐ教室にイライラしていくのがわかった。しかし、毎日が楽しくなりつつある16歳は元気だ。実行委員のイライラをよそに、クラスは賑やかだった。


黒板には、みんなが出した案が実行委員によって書かれていく。「フランス」も書かれていたが、多数決を取った後、「フランス1」となった光景が笑いを堪える限界に近づかせた。


「たこ焼き屋さん15、宝探し20、学校の歴史紹介コーナー5、フランス1…」

「いやでもフランスだろう」

「自分の一票しか入ってないじゃない。オガサカ、本当真面目に考えて」

「だからフランス」

「いや本当意味わかんないから!」

「じゃ宇宙」

「ぶはぁ!」


ここで僕は噴き出した。宇宙というギリありえそうかつフランスより壮大なチョイス。オガサカとはさほど話したことがなかったから、彼のギャグを笑うことに照れはあったが、もう我慢の限界だった。


そうして少しずつ笑いのツボが合うコミュニティがクラス内でも細分化されていった。僕はオガサカを含む数人の連中と仲良くなっていった。


夏休みに入る直前には林間学校があった。


行きのバスで、一人の女子が小沢健二の『強い気持ち・強い愛』をテープで流した。会話を妨げない、ほどよい音量で聞こてくるその音楽と賑やかな車内の光景が、映画のワンシーンかのように見えて「すげえ。青春だ」と僕は呟いた。


今日はコーヒーも飲んでない。そもそも、ワルがカッコいいという概念がここにはないから、悪ぶる必要もない。


交通事故からビートたけしが復帰し、ブルーハーツが解散した1995年は日本音楽史でもっともミリオンセラーが出た年で、のちの1998年CDバブル絶頂期に向かう、破竹の勢いが日本音楽業界にあった。


JUDY AND MARY「Over Drive」、スピッツ「ロビンソン」、 岡本真夜「TOMORROW」、 L⇔R「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」、数々の歌が、目的地へ向かう僕らのバスを彩った。クラスの女子が、当時流行りのCDをレンタル店で借りてダビングしたテープを持ってきていたのだった。


急に静かになったな? と思ったら、『OH MY LITTLE GIRL』のイントロが聴こえてきた。


尾崎豊が亡くなったのは僕らが中1のときの1992年。いわゆる「死んでから知った世代」。決定的だったのは、1994年に放送されたドラマ『この世の果て』で『OH MY LITTLE GIRL』がこのドラマの主題歌に起用され、尾崎作品で唯一のミリオンセラーとなった。この曲は、尾崎が18歳のときに発表した曲だが、後に15歳で様々な日本音楽史を塗り替える宇多田ヒカルもまた、このドラマで尾崎ファンになった一人だという。


「自由になりたくないかい!?」と尾崎は歌っていたが、僕は、私立校の厳しさがそこまで嫌ではなかった。


厳しい校則は、笑いを最大限に引き出す秩序の担保になるからだ。


お笑い芸人は、“まん中”が理解できているからこそ、意図的にそこから外れて笑いを生み出すことができる常識人だ。中心が分かっていない本当にヤバイ奴らは、どこにどう外れれば可笑しさが生まれるか分からないから、ただ無茶をすることに精を出す。


校則というルールは、分かりやすく僕らに“まん中”を与えてくれた。これがないと若さというエネルギーは非常識な逸脱の無限ループとなり、面白さとは無縁の世界になる。僕が嫌った中学三年間のように。


ここでは、全員が共通の厳しいルールを課せられているため、それをどうかいくぐるかという点において、戦友意識が芽生えることも多かった。頭髪検査で捕まる常連組とは次第に顔見知りとなり、そこから新たな友情が生まれることもあった。


同じクラスのクマクラとは、名前の順の席で近いこともあり、一学期はなにかと一緒になることが多かった。


クマと仲良くなった一番の理由は、ブルーハーツだ。熱心なブルーハーツファンのクマは、ある日突然坊主で教室に現れクラス中を笑わせたことがある。甲本ヒロトの坊主スタイルを真似たらしいが、どう見ても冴えない芸人にしか見えなかった。


クマもオガサカと同じサッカー部だったから、そこから彼らと仲良くなっていった。


体育祭以降急速に楽しくなった高校生活は、林間学校で絶頂期を迎え、そのまま夏休みに入る直前、クラスの男子と女子の10数人で花火大会を見に行くことになった。


中学時代、あんな日陰にいた僕が絵に描いたような青春の中に飛び込んでいいのか、そう思ったのは僕だけではなかったようで、男子はウキウキとソワソワで顔が緩みきっていた。


駅のホームで先に男子だけで集合した。夏は17時でもまだ明るく、みんなの緩んでいる顔がよく見えた。ムースやスプレーでセットされた髪型、明らかにつけ慣れていないネックレス、ブレスレット、指輪。みんなが渾身のおめかしをしている。


滅多に時間に遅れることがないクマが現れず、みんなで心配していると、暗い顔をしたクマが本当に売れない芸人のような表情で近づいてきた。髪型や服装はみんなのように十分におめかしはされているようだが、表情だけがなぜか冴えない。


「クマ。遅かったじゃん。なに、どうしたの」

「いやなんかさ…」

「うん」

全員がクマに歩み寄って耳を傾けた。

「家出て、地元の駅にチャリ停めてさ」

「うん」

「したらなんか変な男が二人寄って来てさ…」

「うん…」

「金出せって」

「あははははは」

「カツアゲされたんだけど」

「あはははははははは!!」

「で、500円玉渡して」


最後の500円玉で僕らは姿勢を保つことが出来なくなり、全員ホームに倒れ込んで笑った。青春の絶頂期を迎える直前でカツアゲされるという、クマはいつもなにか持っている男だった。笑ってはいけないと思いつつも、絶対にされたくないタイミングでカツアゲされたクマを、僕らは非情にも大爆笑した。


クマはカワベ同様姉が二人いて、ベースもやっていたファンキーな姉ちゃんの影響で、すかんち、筋肉少女帯、聖飢魔II、Queen、ユニコーン、BOØWY、尾崎豊と、いろいろな音楽が好きで、僕と特に話が合った。思えば僕の友達は、きっかけは全部エンタメだ。


夏休みが明けると、すぐに文化祭の準備が始まった。オガサカのフランスは当然採用されることはなく、僕らのクラスは宝探しをやることになった。


開催当日の朝、体育館に全校生徒が集まり、緞帳が降りたステージの前に立った生徒会長から文化祭の注意事項と、これから2日間楽しみましょうという話がされる。


「では…」と言って生徒会長が捌けると、静かだった体育館を突然バカでかい音が襲った。どよめきと共に、ステージの緞帳がゆっくりと上がり始めた。


腹に響くドラムとベースの重低音。そして、ハーモニカ。


ビートルズの『Love me do』だ。


緞帳が上がりきると大歓声が沸き起こった。制服姿のまま演奏をする、三年生女子の姿が見えた。


ガールズ・バンド。


ビートルズ。


すごい。かっこいい。


中学のときのチャイナのドラムを思い出した。また心がざわつく。


『Love me do』は、いかにも60年代サウンドのシンプルな曲程度の認識しかなかったが、生で聴くとこんなにかっこいいものなのかと思った。


ビートルズを、三年生のお姉さんたちが、見慣れた制服姿で、見慣れない楽器を抱え、手元を見ながら一生懸命演奏している。ドラムの人もかっこいい。ボーカルの人のハーモニカもいい。


どこかジュディマリのYUKIのような声で歌う小柄なヴォーカリストに、ギターの人が近づいていって、同じマイクでハモりだした。埼玉の小さなジョンとポールだ。


このオープニングセレモニーは毎年行われているようで、一年生にはサプライズだったのだ。降りている緞帳の前で生徒会長が話していたのは、そういうことだったのか。


2日間の開催期間中は、体育館と、そのすぐ隣にある武道場で、校内バンドが10組程度出演する。オープニングで強烈なビートルズを見たこともあり、僕とクマはクラスの手伝いもろくにせず、体育館と武道場を行ったり来たりしていた。


校内一のイケメンとよく噂されていた三年生のシマダ先輩が、武道場で福山雅治を演奏することをプログラム表で確認した僕らは、少し遅れて会場へ向かった。いつも男たちの熱気で包まれている汗臭い武道場は、三年女子たちのエイトフォーの香りで入り混じった異様な空気を放っていた。


僕らが着いたとき、ちょうど『Hello』のイントロが聴こえてきた。シマダ先輩は、長身のサラサラ中分けヘアーの甘い顔立ちでモテるのが頷けた。先輩は、一人でギターを弾きながら歌っていたが、ベースやドラムの音がスピーカーからわずかに聴こえていた。なるほど、ギター一本だと音が寂しいからオケを流しているのか。俺ならギター一本でもやるぜ。


シマダ先輩の運指を見る。コードはD→A→G。分かるぞ。俺もこの曲この間家でやったから。僕はステージに立つシマダ先輩に、自分を重ねながら見ていた。


「そんなはずはないさ♪」と、決してモノマネ風ではない声で歌い出されると、また歓声が上がった。進研ゼミの漫画で読んでいたような世界が、目の前で繰り広げられている。あの漫画って、嘘じゃなかったんだ。


会場の少し離れた所で、ヘッドフォンをかけた見慣れぬ私服のお兄さんがパイプ椅子に座り、机の上の卓をいじっているのが見えた。学校側が呼んだ業者(PA)さんらしい。どうりで音も良い。俺もこの人に調整して欲しい。


翌年、僕とクマはそれぞれ違うバンドでこの文化祭ライブに出ることになる。クマはブルーハーツのコピーバンド。僕は長渕剛の弾き語り。どちらが客を魅了できるかの勝負となった。

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