第21話 僕パンクロックが
世紀末に新たなアイドル文化が芽吹いた。
1997年にテレビ東京『ASAYAN』の企画から誕生したモーニング娘。は、99年に後藤真希を加え『LOVEマシーン』で大ブレイク。
「一部のオタクが好きなアイドル」という枠を越え、サラリーマンやOLなど、誰でも歌える曲をつんく♂はプロデュースしてみせた。
そんな、ロックが下火になりつつある中リリースされたハイロウズの『青春』は、文句なしの名曲だった。
毎週土曜がCDレンタルフロアのランキング入れ替え日で、僕はこれを自ら1位にセットする日を心待ちにしていた。松本人志と中居正広のドラマ『伝説の教師』の主題歌で、話題性も十分だった。
結果は8位。
自分の評価と世間の評価に、分かりやすくズレを感じた。
今この曲より良い曲あるか、と思いながら僕は嫌々8位に置いた。
2000年に入ると、新たな文化が僕らに近づいてくる。
1995年に登場したWindows95、そして98、Me、2000、XPと、こういったOSを搭載したパソコンも10万円程度で購入できるようになり、インターネットが一般家庭に普及し始めた。
ここから令和まで地続きで、世界は変化を遂げていく。
バイト先に詳しい先輩がいたから、僕はその人にアドバイスをもらいながらパソコンを購入した。
見よう見まねで自分のホームページも開設し、映画の感想を中心に、気ままにコラムを投稿しながら、見栄えを整えるためHTMLを学ぶ。
ガイアックスやジオシティーズといった無料ホームページ作成サービスが人気で、23時になると一斉にみんなネットに繋いだ。
この頃は、23時から8時まで使い放題の「テレホーダイ」に契約するのが主流で、23時から急にアクセスしにくくなるのだ。
パソコンに詳しいのは圧倒的に男だった。
レンタルビデオ店が流行ったのもエロの力だったし、インターネットを加速させたのもエロだ。
かつてドラクエの勇者として冒険に出たように、どうすればエロ動画を高速にダウンロードし快適に視聴できるかという23時の旅に出た。賢者になることを夢見て。
ダウンロードソフト、解凍ソフト、ファイル結合ソフトなど、週刊アスキーや指南サイトで学んでいく。パソコンの授業など受けずとも、エロというスポンジは、とんでもない勢いで知識を吸収する。
2ちゃんねるは、まさに今夜のおかずまでサポートする情報交換場所だった。
日本人の陰湿な部分が一気に吹き出てきてしまったような退廃感もありながら、あらゆるジャンルの専門家が揃っているイメージもあり、僕はレコーディング機材の使い方や、録音方法を調べるのによく利用した。
『SMAP×SAMP』と『伊東家の食卓』がテレビを席巻し、バラエティがわずかに落ち着きを見せていく中、深夜にひっそりと放送されていた『第4学区』が、僕の中では何年かぶりの特大ヒットだった。
1999年と2000年のそれぞれ4月から9月までフジテレビで放送された、古舘伊知郎と石橋貴明のフリートーク番組だ。
大人のフリートーク好きの源流は、小学生のときに見た『鶴瓶上岡パペポTV』。
親が旅行に出かけると兄は決まって友達の家に泊まりに行くので、一人になった僕は当たり前のようにお色気番組を夜な夜な探す。
そんな中で偶然目にしたのがこの番組で、大衆酒場のようなリラックスした大人の空間に、小学生の僕は強烈に吸い込まれた。
そして日曜の『いいとも!!増刊号』で放送される『タモリ・さんまの日本一の最低男』。これが始まると読んでいたジャンプを中断するのが日曜午前のルーティーン。
1989年に深夜帯で始まった『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』もすぐに好きになり、毎週ビデオ録画で追っかることとなった。
そうして辿り着いた、『第4学区』は20代になった僕をもう一度撃ち抜いた。
2人の故郷や母校、飲み屋で話すだけのこの番組は、テロップも効果音、BGMもなく、きらびやかなバラエティから圧倒的に引き算したような作りで、その面白さとカッコよさを羨望の眼差しでかじりついた。
2人の空間により入り込めるよう、飲めないお酒とおつまみを放送前にセットするのが、僕の金曜深夜の日課になった。大人になってもテレビの真似。
島田紳助と松本人志によるトーク番組『松紳』は、『第4学区』終了直後に始まった。
島田紳助は古舘伊知郎をライバル視していた時代があったし、『第4学区』を意識したコンセプトに見えた。
TBSでは『ウッチャンナンチャンのホントコ!』内企画の、『未来日記』が、音楽業界にまでインパクトを与えた。
初対面の男女が、スタッフから手渡された日記に従って行動するドキュメンタリー企画で、このコーナーの主題歌に、サザンオールスターズが『TSUNAMI』を、別のシリーズでは福山雅治が『桜坂』を書き下ろし、どちらもダブルミリオンを超す大ヒットを記録。どこまでいっても恋愛企画は強い。
『ホントコ!』にはもう一つの人気企画があった。
それが、『ホントコ!トキワ荘』だ。
5人の漫画家志望者が毎週四コマ漫画を発表し、人気投票で3週連続トップを獲れば卒業して『ビッグコミックスピリッツ』に掲載されるという、チャレンジ企画。
この企画に、クマの地元の友人が出演していたと聞いたときは驚いた。
「永田陵って俺の友達なんだよ、地元の」
「マジで!? 俺あれ毎週見てたよ。未来日記とか」
「ナガちゃんは昔から画が上手くて、感受性も人と違うところあってさ。凄いよなあ」
志望者として番組出演していた永田陵は、四コマ=ギャグ漫画という殻を破り、心温まる癒し系四コマでトップを獲り続け、見事卒業した。
同い年のクマの友人が、ウンナンの番組に出演し、優勝してプロデビュー。
僕は相変わらず自作の曲をデモテープで送っては、来ない返事を待つばかり。
音質が悪いと機材のせいにしてみたり、レコーディング方法を見直したりと、自分の才能と向き合うことから逃げ続けているうちに、バイト先が潰れた。
22歳。
環境を変えないとダメだと思った僕は、職場を東京に選んだ。
新宿の外資系CDショップに入社することが決まった2002年の4月、クマから電話があった。
「この間話したナガちゃんと今遊びでバンドやってるんだけど、あんたギターで入んない?」
このバンドでのちに、さいたまスーパーアリーナのステージに立つことになるとは、このとき夢にも思わなかった。
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