第14話 なにかが弾け飛び散った
ギターもハーモニカも人並みに演奏できるようになっていた僕は、人前に出て歌いたいという欲求がいよいよ高まっていた。
高二の文化祭。
このライブに出るには、まずオーディションで合格する必要がある。
オーディション会場は視聴覚室で、昼休みに行われる。ステージに対して扇状にひな壇の座席が広がっている視聴覚室は、オーディション会場にはおあつらえ向きの場所だ。
座席で待機するエントリー者たちはギターのチューニングをしたり、スコアを確認しあっている。何人かは顔見知りだったが、ほとんどが初見。エントリーバンドはジュディマリやウルフルズなどのコピー・バンドが多く、クマは当然ブルーハーツバンドのボーカルとしてエントリーしていた。
そんな中、ギター一本の弾き語りでエントリーしたのは僕だけ。ドキドキする中自分の名前が呼ばれると、少し離れたところにいたクマたちに目で挨拶をし、座席にぶつけないようそっとギターを抱えてステージに向かった。
アンプにエレアコを挿し、ステージ中央のマイクに近づいたとき、シールドの長さが足りず、ボンッと外れ、笑いが起きた。
何人か知り合いがいるから心強いなんて思っていたが、この場合は知り合いに見られる方が恥ずかしい。
曲は長渕剛の『巡恋歌』。これが僕の初ステージとなった。
後日、合格の通達が来た。カラオケボックスで人前で歌うことはあっても、人前で演奏したことはないギター一本弾き語り、ハーモニカ。自分ではうまく出来ている自信はあったけど、どれくらい出来ているのかわからなかったから、合格通知は「人前で演って良し」と認めてもらえた気がして嬉しかった。
合格したバンドは2日間の文化祭において、体育館と武道場でそれぞれ一回ずつ、計二回演奏することができる。僕は初日が体育館、二日目が武道場。ならばと、初日は黒のパンツに黒のロングコート、二日目はデニムパンツに赤シャツと、長渕剛の92年東京ドームLIVEの衣装に合わせた。
僕には明らかに大きすぎる兄のロングコートを羽織り、家にあった夏用の薄いテーブルクロスを頭に巻き、サングラスやらシャツやらをアメ横で安く買い揃えてエセ長渕の完成。
緊張もあったが、早く見せつけたいという思いのほうがわずかに上回った。このときすでに高校は、自分のホームタウンと思えるほど馴染んでいたから、その気持に迷いはなかった。
いよいよ人生初ステージ。これが後世にまで語り継がれることになるであろう、伝説の始まりだ。
初日の体育館LIVE。ギターの前奏と同時に緞帳が上がると、「あはははは、長渕」と僕の衣装にどよめきが起こった。掴みこそ良かったが、ロングコートを着てギターを弾く難しさに直面し、一曲目から死にそうになった。
それでも普段以上の演奏が出来たのは、客席がまるで見えなかったからだ。照明が眩しく、客席がまるで見えないのが吉と出た。自分の弾くギターと声がどよめきを覆いながら、体育館内に広がっていく。
気分がいい。
驚くほどリラックスしている。やはり俺はこれをやるために生まれてきたんだ。
しかし照明が想像以上に暑く、全身から汗が噴き出し、指が滑りそうになる。フレットを抑える左手もずれる。ピックも落ちそうだ。
これが実践の難しさか。長渕はなんなくやってるように見えるのに。やっぱりプロにはなれないかもしれない。
ステージ近くの客の顔は照明で見えなかったが、体育祭の入り口付近に腕組してる何人かの大人の姿が見えた。
保護者らしき人たちと、あれは…
先生だ。
見覚えがある立ち姿だから、シルエットですぐに分かった。入り口にもたれかかるようにして何人かの先生がこちらを見ている。いつものような、監視するポーズでもない。
聴いている。
聴いているな俺の歌を。
長渕だからか。
嫌いじゃないな剛を。そういえば体育教師が多い。
表情こそ見えなかったが、長渕を聴きにくる先生たちの光景が自信となり、僕は最後まで歌い切れた。
結構良かったんじゃないか。
翌日の武道場LIVEでは、出演時間が体育館のクマと同じだった。
これがずっと気がかりだった。
実際どっちがすごかったか、時間が被らなければ勝敗がはっきりすることはない。しかし、被った。クマは天性のエンタメ性を纏っている人気者気質。なにかやらかすハプニング王でもある。つまり、持っている男だ。それは、誰よりも身近で見ていた僕が一番分かっている。その上ブルーハーツ。味方ならいいが、敵に回すとこんなに目障りなものもない。
前日の自信をよそに、戦意喪失気味の僕は開演前の誰もいない武道場で、音響PAのお兄さんと二人で粛々とリハーサルを始めた。
「あの…、今日は、よろしくお願いします」
「うん、よろしくねー。高校生なのに長渕かあ。いいよねえ。去年、福山やった子いたけど、やっぱ剛だよねえ」
よく見たら、去年シマダ先輩のときにいたエンジニアの人だった。しかも剛寄り。めちゃくちゃ心強い。
「オケなしで本当に弾き語りでいくんだね。いいじゃん。ハーモニカ使う曲はどれ? セットリストある?」
長渕を知ってるプロのエンジニアなら、こちらから要望はない。「92年のドームの感じで…」と言ったら全部伝わった。
しかし、本番は実に閑散としたものになった。
体育館は、ステージと客席がはっきり分かれているから、観に来るものも立ち寄りやすいが、武道場は演者と客の距離が近すぎて、よほどその出演者か、その人が演奏する曲が好きでもないと入りにくい。
そして、体育館のようにカーテンで暗くしてステージにスポットライトを当てたりもできないから、陽の光でただただ明るい。この明るさは、女子に囲まれるシマダ先輩をキラキラに輝かせたが、僕にとっては現実を照らす残酷な光でしかなかった。
閑散とした会場で準備を始め、僕は『いつかの少年』から歌い始めた。
今日は長渕ファンと思われる体育教師たちの姿も見えない。みんなブルーハーツの体育館に行っているようで人も少ない。観る方は、座る場所に照れるほどに人が少ない。だんだん申し訳なさが募ってきた。
一曲目を歌い終わり、まばらな拍手の中ハーモニカを変えチューニングをしていると、体育館から黄色い声援がわずかに漏れ聞こえてきた。
クマだ。
体育館を盛り上げてやがる。「リンダリンダー!」に対して「俺にとって鹿児島はいつも泣いてた」では女子高生の受けが全く違う。ここ埼玉だし。
なんかあっちの方が盛り上がってるみたいね。
ここにいる私たち恥ずかしくない…?
会場の心の声が聞こえてくる。静寂の中聴こえてくる体育館の盛り上がりを破るように、次の曲そろそろやりますよという合図がてらにポロンポロンと俯いたままギターを鳴らす。
しんどい。もうみんなこちらを見ないでくれ。
そこ、カメラ撮るな。
昨日のはなんだったんだ。よく見えなかっただけで、実際は白けてたのかもしれない。
急速に自信がなくなっていく。
もう逃げたい。
さらに僕は、武道場入り口付近にいるある人物を見つけ、愕然とした。
父だ。
なんで。
今日のことは完全に隠蔽していたはずなのに。
どこで知った。
確かに今日は日曜日だが、父が高校に来るとは思いもしなかった。
絶対に見られたくなかった。この世で一番見られたくない瞬間を、この世で一番見られたくない人に見られている。どうせ来るなら、せめて昨日来てくれたら良かったのに。
もう人生最悪の日だ。どこを見ても恥ずかしい。目のやり場に困る。表情がどんどん強張っていく。そんな僕の雰囲気を感じ取り、会場は憐れむように引いていく。これがジュディマリのコピーバンドならまだ可愛気もあるが、長渕の格好で弱気になっているんだから救いようがない。腕を組んだままの父の表情は「情けない…」と落胆してるようにも、「大丈夫か…」と心配してるようにも見えた。
喉の調子が、時間帯が、客層が、あらゆる言い訳を頭に浮かべてみるが、現実という名の正解からは逃れられなかった。会場の引き気味な雰囲気に飲まれ追い込まれたとき、僕の心の中でなにかが弾け、飛び散った。
もういいや。
どうやっても勝負にならないと思ったそのとき、飽和状態にあった羞恥心が破裂する音がした。三送会のイントロクイズとはまた違った、とても投げやりな音だった。
情けない自分は臨界点に達した。
来年はもう出ない。これで最後。音楽ももうやらないかも。
だから今から92年の東京ドームLIVEを完全再現する。俺がやりたいのはそれだ。
やりたいようにやって終えてやる。
究極の再現芸を見せてやる。
「いらっしゃーい」
と呟いたあと、僕は大きくギターをかき鳴らし、『しゃぼん玉』を歌い始めた。そしてサビに入ると、「みんな歌え」とばかりに客に振ってみた。
一度でいいからやってみたかったやつ。
「凛々と泣きながら~、ヘイ!!」
と渡された客は「はーじけてー、飛んだけどー」とドームでは6万5千人の大合唱となるが、静まり返ったこの武道場では誰も歌わない。
僕は自分の部屋で練習するとき、ドームの円形ステージにいるつもりで歌う。いつもと同じようにやる。ここは客に投げるところなんだ。父も女子もどうでもいい。ここは俺ん家なんだ。お前らが勝手に来ただけだ。
静まり返る中、「客が歌ってくれているテイ」でギターのボディを叩きリズムを取る僕。発狂したか、そういうネタなのか、失笑を越えた心配の目が僕に向けられた。同情から来る小さな手拍子だけが、虚しく武道場に響いた。
そうだ、あの曲を演ろう。曲順変わるけど、もう構うものか。
軽妙なギターとハーモニカから演奏を始め、僕はこうMCを入れた。
「知ってる? 俺らの
この歌はサビで「機嫌直して~」の後に「剛!!」とみんなで叫ぶのがファンの間ではお決まりになっている。開き直った僕はお構いなく歌い続けた。
「機嫌直して~」
「剛!」
あっ?
今誰か叫んだな?
客席がザワザワっとし、声の方にみんなが目をやった。
PAのお兄さんだった。
「いいじゃん、いいじゃん」という目でずっとこちらをニコニコしながら見てくれていたのを僕は知っている。ハーモニカが大きいとすぐにゲインをセーブしてくれていたことも知っている。
一人でも乗ってくれている人がいると、ステージに立っていることを許されたような気がする。エンターテインメントは発信者だけが創るものではない。オーディエンスと繋がる見えない糸の共鳴で作られていくのだ。例えそれがたった一人との繋がりであっても、その振動は全体に波及し大きなうねりへと化していく。
武道場は体育館より音が聴きやすく、昨日より歌いやすかった。会場のサイズもあるだろうが、それ以上にこのエンジニアのお兄さんが長渕を知っているからに違いなかった。ありがとうごさいます、曲順もいきなり変えちゃってすいませんという思いで目をやると、お兄さんはニコッと微笑んで親指を突き立てた。
2番の同じ箇所では、複数人が「剛!!」と叫んだ。
「そういうのアリなんだ」と感じ取った隠れ長渕ファンが声を上げ始めた。あのお兄さんのおかげだ。流れが生まれ始めた。なんだ。いるじゃん。いるんじゃん。他校の生徒らしきごつい私服連中らも「剛ー!」と叫んだ。
「お前ら、最高!」
これも長渕がこの歌の最後に放った言葉。知ってる人にはたまらないが、知らない人にはさっぱり分からない恣意的なステージとなっていく。
曲間では、「つーよーしー、つーよーし」というやや乾いた剛コールが、体育館から漏れ聞こえてくる黄色い声援を辛うじて妨ぎ、最後の『とんぼ』では、サビをみんなが歌ってくれた。
そうしてこの奇妙な再現LIVEが終わった。
僕は、一礼だけしてギターを抱えたまま後ろの勝手口から逃げるように出ていった。父にも会わず、一目散に退散した。
武道場裏にあるプレハブ小屋で着替え終わり、せめてPAのお兄さんにだけは挨拶をと思い戻ったが、その姿を見つけることはできなかった。
後夜祭は、クマのバンドが独占した。
保護者や他校の生徒らが帰ったあとのお楽しみ。体育館での後夜祭。このステージに立てるのは2日間で一番人気だったバンドだけ。ここにはほぼ全校生徒が集まり、大変な盛り上がりとなる。
オープニングから凄かった。
ステージの緞帳が上がると、クマのマイクスタンドが引っかかって緞帳とともに競り上がっていったのだ。強く記憶される青春の1ページ的ハプニング。こんなの狙って絶対できない。みんなが大笑いしながら幕が上がりきると、クマのブルーハーツバンドは全学年を一つにしてみせた。
これには勝てないと思った。クマのステージングもいいし、演奏は粗いが形にはなっている。ブルーハーツのコピーで大事なのは演奏力より勢いだ。その勢いに客も一緒になって盛り上がり、このままではクマを嫌いになりそうだと思った僕は、2曲聴いたあたりで自分のクラスへ戻った。
うちのクラスはお化け屋敷をやっていて、男子らが段ボールで作った壁から脅かすノリで女子のおっぱいを今日は何人触ったと自慢しあっていた。
暮れていく西陽が差し込む教室で、そっちに参加していれば良かったと片付けを手伝いながら思った。
クマはLIVE終了後、「クマクラくん!ベル番!ベル番!」と何人もの女子からポケベルの番号を手渡されるほど大変なモテっぷりだったという。
その話を聞いたとき、やっぱり来年も出ようと思った。
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