第14話 やりたい放題やらせてもらうぜ
クマやオガサカを含む僕ら10人のグループがあまりにもうるさいということで、二年に上がるときのクラス替えでは、全員がバラバラに振り分けられた。
『ろくでなしBLUES』や『今日から俺は!!』も終焉に向かい、ヤンキー文化も下火になりつつあった僕らの学年に分かりやすい不良グループはいなかったけど、ちょっとだけヤンチャなグループと、おしゃれグループ、そして僕ら、の3つが、学年の
僕らは喧嘩もしないし、女っ気もない。
みんなでくすぐり合うように言葉を交わしては、呼吸が出来なくなるほど笑うばかりで、ただただうるさい集団。
一番声がでかかったのがオガサカだ。
彼のよく通る声がうるさすぎて、隣のクラスからはよく苦情が来た。
地味で真面目そうな帰宅部員からバスケ部のエースまで、見た目も雰囲気もバラバラの僕らのグループは系統が把握されにくく、なぜか「軍団」と呼ばれた。
オシャレ軍団でも、不良軍団でもなく、「軍団」。
ちょいヤンやちょいシャレは女子に人気で、常に学年の美人女子たちが取り巻きのようについていたが、ヤクザから公務員までいるような僕らのグループは外から見ると主体性がなく、女子たちは気味悪がった。
軍団は女性受けこそ悪かったが、男性受けは抜群だった。
ちょいヤンとちょいシャレは、一般男子にとって近寄りがたい存在なのに対し、僕らはエンタメやお笑いを共通言語に、誰とでも分け隔てなく付き合うグループだったから、幅広いジャンルの男子たちに愛された。
麻雀を切り口に仲良くなったものもいるし、そこから派生して漫画『カイジ』が局所的にブームになったり。
楽器ができるものがいれば、そこから新たなミュージシャンを教えてもらったり。
アントニオ猪木ノリが好きなものがいれば、そこからとんねるずネタで盛り上がったり。
軍団それぞれが各方面のエンタメ好きから仕入れてきたネタを、みんなで共有しあった。
それはどこか、中学のゴール下コミュニティのようでもあった。
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ギターもハーモニカもすぐに演奏できるようになった僕の勘違いは、天井知らずだった。
やはり俺は、これをやるために生まれてきたのだ。
人前に出て歌ってみたいという欲求は、高まる一方だ。
文化祭ライブに出るには、まずオーディションで合格する必要がある。
オーディション会場は昼休みに、視聴覚ホールで行われる。
ステージに対して扇状にひな壇の座席が広がっている視聴覚ホールは、オーディション会場におあつらえ向きだ。
座席で待機するエントリー者たちはギターのチューニングをしたり、スコアを確認しあっている。
何人かは顔見知りだったけど、ほとんどが初見。
ジュディマリやウルフルズなどのコピー・バンドが多く、クマは当然ブルーハーツバンドのボーカルとして、エントリーしていた。
ギター一本の弾き語りでエントリーしたのは僕だけ。
ドキドキする中、自分の名前が呼ばれると、僕は少し離れたところにいるクマたちに目で挨拶をしてから、座席にぶつけないようそっとギターを抱えてステージへ向かった。
アンプにエレアコを挿し、ステージ中央のマイクに近づいたとき、シールドの長さが足りず、ボンッと外れて笑いが起きた。
何人か知り合いがいるから心強いなんて思っていたけど、この場合は知り合いに見られる方が恥ずかしい。
曲は長渕剛の『巡恋歌』。これが僕の初ステージとなった。
後日、合格の通達が来た。
カラオケボックスで人前で歌うことはあっても、人前で演奏したことはない。
自分ではうまく出来ている自信はあったけど、合格通知は「人前で演って良し」と客観的観点から認めてもらえた気がして、素直に嬉しかった。
合格したバンドは、2日間の文化祭において、体育館と武道場で、それぞれ一回ずつ、計二回演奏することができる。
僕は初日が体育館、二日目が武道場。
ならばと、初日は黒のパンツに黒のロングコート、二日目はデニムパンツに赤シャツと、長渕剛の92年東京ドームライブの衣装に合わせた。
僕には明らかに大きすぎる兄のロングコート、家にあった夏用の薄いテーブルクロスを頭に巻き、サングラスやらシャツやらをアメ横で安く買い揃えて、エセ長渕の完成。
緊張より、早く見せつけたいという思いのほうがわずかに上回った。
いよいよ人生初ステージ。
これが後世にまで語り継がれることになるであろう、伝説の始まりだ。
初日の体育館ライブ。
92年ドームライブ同様、『巡恋歌』の前奏を始めると緞帳が上がった。
すると、「あはははは、長渕」と僕の衣装にどよめきが起こった。
掴みこそ良かったが、ロングコートを着てギターを弾く難しさに直面する。
それでも普段以上の演奏が出来たのは、客席がまるで見えなかったからだ。
照明が眩しく、客席がまるで見えないのが吉と出た。自分の弾くギターと声がどよめきを覆いながら、体育館内に広がっていく。
気分がいい。
驚くほどリラックスしている。
やはり俺は、これをやるために生まれてきたんだ。
しかし照明が想像以上に暑く、全身から汗が噴き出し、指が滑りそうになる。フレットを抑える左手もずれる。ピックも落ちそうだ。
これが実践の難しさか。
長渕はなんなくやってるように見えるのに。やはりプロにはなれないかもしれない。
ステージ近くの客の顔は照明が眩しくて見えなかったけど、体育館の入り口付近で腕組している何人かの大人の姿が見えた。
保護者らしき人たちと、あれは…
先生だ。
見覚えがある立ち姿だから、シルエットですぐに分かった。
入り口にもたれかかるようにして何人かの先生がこちらを見ている。いつものような、監視するポーズでもない。
聴いている。
俺の歌を。
長渕だからか。
嫌いじゃないな剛を。そういえば体育教師が多い。
表情こそ見えないが、長渕を聴きにくる先生たちの光景が自信となり、僕は最後まで歌い切れた。
自信をつけたものの、僕の気がかりは翌日の武道場ライブだった。
出演時間が体育館のクマと被った。
実際どっちがすごかったか、時間が被らなければ、勝敗がはっきりすることはない。
しかし、被った。
クマは天性のエンタメ性を纏っている人気者気質だということは一年のときからずっと一緒にいる僕が、誰よりも分かっている。
持っている男。
その上ブルーハーツ。
味方ならいいが、敵に回すとこんなに目障りなものもない。
前日の自信をよそに、戦意喪失気味の僕は当日、開演前の誰もいない武道場で、音響PAのお兄さんと二人で、粛々とリハーサルを始めた。
「あの…、今日は、よろしくお願いします」
「うん、よろしくねー。高校生なのに長渕かあ。いいよねえ。去年福山やった子いたけど、やっぱ剛だよねー」
よく見たら、シマダ先輩のときにいたエンジニアの人だった。
しかも剛寄り。めちゃくちゃ心強い。
「オケなしで、本当に弾き語りでいくんだね。いいじゃん。ハーモニカ使う曲はどれ? セットリストある?」
長渕を知ってるプロのエンジニアなら、こちらから要望はない。「92年のドームの感じで…」と言ったら全て伝わった。
しかし、本番は実に閑散としたものになった。
体育館は、ステージと客席がはっきり分かれているからフラッと立ち寄りやすいが、武道場は演者と客の距離が近すぎて、よほどその出演者かその人が演奏する曲が好きでもないと入りにくい。
また、体育館のようにカーテンで会場を暗くできないから、陽の光でただただ明るい。
この明るさは、女子に囲まれるシマダ先輩をキラキラに輝かせたが、僕にとっては、現実を照らす残酷な光でしかなかった。
閑散とした会場で準備を始め、僕は『いつかの少年』から歌い始めた。
今日は長渕ファンと思われる体育教師たちの姿も見えない。座る場所に照れるほどに人が少ない。
だんだんと、申し訳なさが募ってくる。
一曲目を歌い終わり、まばらな拍手の中ハーモニカを変えチューニングをしていると、体育館から黄色い声援がわずかに漏れ聞こえてきた。
クマだ。
体育館を盛り上げてやがる。
「リンダリンダー!」
に対して
「俺にとって鹿児島はいつも泣いてた」
では、女子高生の受けが全く違う。ここ埼玉だし。
なんかあっちの方が盛り上がってるみたいね。
ここにいる私たち恥ずかしくない…?
会場の心の声が聞こえてくる。
静寂の中わずかに聴こえてくる体育館の盛り上がりを打ち消すように、ポロンポロンと俯いたままギターを鳴らし、また歌い始めた。
シラけてる中歌うのって、こんなにしんどいのか。
みんなこういう経験をしてきたんだろうか。
そこ、カメラ撮るな。今日のことはなかったことにするかもしれないんだから。
昨日の成功はなんだったんだ。よく見えなかっただけで、実はシラけていたのかもしれない。
僕は歌いながら、様々な打開策を考えた。
いっそのこと、今から福山をやるか。
でも、ジーパン、バンダナ、サングラスで福山?
ダメだダメだ。
ちょっと調子が悪くて
喉がちょっとね
昨日頑張りすぎて
終わった後の言い訳を考える。
その言い訳を聞いた人たちの固い苦笑い顔が浮かぶ。トラウマになりそうだ。
ちょっと具合悪くなっちゃったのでこれで終わります
逃げるか。
「自分は選ばれし特別な人間だ」と信じて疑わない自分。
それを全否定するかのような現実を前に、急速に自信がなくなっていく。
そんな僕に追い打ちをかけるように、僕は武道場入り口付近にいるある人物を見つけ、愕然とした。
父だ。
なんで。
今日のことは完全に隠蔽していたはずなのに。どこで知った。
確かに今日は土曜日だが、父が高校に来るとは思いもしなかった。
この世で一番見られたくない瞬間を、この世で一番見られたくない人に見られていた。
どうせ来るなら、せめて昨日来てくれたら良かったのに。
目のやり場に困る。表情が強張っていく。そんな僕の雰囲気を感じ取ってか、会場がさらに引いていく。
これがジュディマリのコピーバンドならまだ可愛気もあるが長渕の格好で弱気になっているんだから、救いようがない。
腕を組んだままの父の表情は「情けない…」と落胆してるようにも、「大丈夫か…」と心配してるようにも見えた。
父の登場で逃げるという選択肢もなくなった僕は、ついに、なにかが弾け飛び散った。
どうやっても勝負にならないと思ったそのとき、飽和状態にあった羞恥心が破裂する音がした。
三送会のイントロクイズとはまた違った、投げやりな音だった。
「いらっしゃーい」
次の曲に入る前そう呟くと、僕は大きくギターをかき鳴らし、『しゃぼん玉』を歌い始めた。
そしてサビに入ると、「みんな歌え」とばかりに客に振ってみた。
「凛々と泣きながら~、ヘイ!!」
ドームでのライブでは「はーじけてー、飛んだけどー」と6万5千人の大合唱となるが、静まり返ったこの武道場では、誰も歌わない。
静まり返る中、「客が歌ってくれているテイ」でギターのボディを叩きリズムを取る。
一度でいいからやってみたかったやつ。
発狂したか、そういうネタなのか、失笑を越えた心配の目が僕に向けられる。
同情から来る小さな手拍子だけが、虚しく武道場に響いた。
情けない自分は臨界点に達した。
来年はもう出ない。
「シンガーソングライターとして日本人初のグラミー賞を受賞したサギタニさんは、高校の頃からその才能の片鱗を現し…」
と思い描いていた後日談も破談した。
今から、92年の長渕剛東京ドームライブを完全再現する。
究極の
一番やりたいのはこれだ。
僕は自分の部屋で練習するとき、東京ドームの円形ステージで歌う、スターになった自分を想定して歌う。
今から、部屋と同じようにやる。
ここは俺ん家なんだ。お前らが勝手に来ただけだ。
そうだ、あの曲を演ろう。
曲順変わるけど、もう構うものか。
やりたい放題やらせてもらう。
軽妙なギターとハーモニカから演奏を始め、僕はこうMCを挟んだ。
「知ってる? 俺らの
この歌では、サビで「機嫌直して~」の後に「剛!!」とみんなで叫ぶのがファンの間ではお決まりになっている。
やってみたかった、これも。
開き直った僕は、お構いなく歌い続けた。
サビが近づいてくる。
どうせ誰も知らないだろうが、構うものか。
「機嫌直して~」
「剛!」
あれっ?
今誰か叫んだぞ?
客席がザワザワっとした。
一斉にみんな声の方へ目をやる。僕も目をやる。
PAのお兄さんだ。
お兄さんはニコッと微笑んで、親指を突き立てた。
一人理解者がいるだけで、ステージに立っている自分を許されたような気がする。
エンターテインメントは発信者だけが創るものではない。
オーディエンスと繋がる、見えない糸の共鳴で作られていく。
例えそれがたった一人との繋がりであっても、その振動は全体に波及しながら、大きなうねりへと化していく。
この人だけが、「いいじゃん、いいじゃん」という目でずっとこちらを見てくれていたのを、僕は知っている。
ハーモニカが大きいとすぐにゲインをセーブしてくれていたことも知っている。
武道場は体育館より音が聴きやすく、昨日より歌いやすかった。会場のサイズもあるだろうけど、このエンジニアのお兄さんが長渕を知っているからに違いなかった。
ありがとうごさいます、曲順もいきなり変えちゃってすいませんという思いで目をやると、お兄さんはまた微笑んで、親指を突き立てた。
2番の同じ箇所では、複数人が「剛!」と叫んだ。
「そういうのアリなんだ」と感じ取った隠れ長渕ファンが、声を上げ始めた。
小さな振動が、大きなうねりに変わり始めた。
いるじゃん。
いるんじゃん。
やがて、他校の生徒らしきごつい私服連中らも「剛!」と叫んだ。
「お前ら、最高!」
これも長渕がライブで曲の最後に放った言葉。
知ってる人にはたまらないが、知らない人にはさっぱり分からない、実に恣意的なステージとなっていく。
曲間では、「つーよーしー、つーよーし」というやや乾いた剛コールが、体育館から漏れ聞こえる黄色い声援を辛うじて妨ぎ、最後の『とんぼ』では、サビをみんなが歌ってくれた。
そうしてこの奇妙な再現ライブが終わった。
僕は一礼だけすると、ギターを抱えたまま父にも会わず、後ろの勝手口から逃げるように出ていった。
武道場裏にあるプレハブ小屋で着替え終わり、せめてPAのお兄さんにだけは挨拶をと思い戻るも、その姿を見つけることはできなかった。
後夜祭は、クマのバンドが独占した。
保護者や他校の生徒らが帰ったあとのお楽しみ。
体育館での後夜祭。
このステージに立てるのは、2日間で一番人気だったバンドだけ。ここにはほぼ全校生徒が集まり、大変な盛り上がりとなる。
オープニングから凄かった。
ステージの緞帳が上がると、クマのマイクスタンドが引っかかって、緞帳とともに競り上がっていった。
後世にまで強く記憶されるであろう、青春の1ページ的強烈なハプニング。こんなの狙って絶対できない。
みんなが大笑いしながら幕が上がりきると、クマのブルーハーツバンドは見事に全学年を一つにしてみせた。
こんなの勝てない。
クマのステージングもいいし、演奏は粗いが、形にはなっている。
ブルーハーツのコピーで大事なのは、演奏力より勢いだ。
その勢いに客も一緒になって大盛り上がりとなり、このままではクマを嫌いになりそうだと思った僕は、2曲聴いたあたりで自分のクラスへと戻った。
うちのクラスはお化け屋敷をやっていて、段ボールで作った壁から脅かすノリで女子のおっぱいを今日は何人触ったと、クラスの連中が自慢しあっていた。
そっちに参加していれば良かったと、西陽が差し込む教室で思った。
クマはライブ終了後、「クマクラくん!ベル番!ベル番!」と何人もの女子からポケベルの番号を手渡されるほど大変なモテっぷりだったという。
その話を聞いたとき、やっぱり来年も出ようと思った。
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