第42話 はっきりさせなくてもいい あやふやなままでいい

転職して3ヶ月が経つ頃、僕はすでにプロデューサーとして企画CDのリリースに勤しんでいた。


ナガセの紹介で入社した音楽と映像コンテンツを扱うこの会社は、制作部門に加え営業、宣伝、経理、人事で構成される50人程の会社で、渋谷にあった。


ヤクザを絵に書いたような分かりやすいキャラクターの社長は、会議中に社用電話を投げつけてくるような人で、この職場はそんな社長に詰められて退職していく人が多く、僕が最初についた先輩も鬱病で退職してしまった。


ガン!


と激しい音を立てて床に落ちる電話を見て僕は思った。


当たらない。


この流れで投げるなら人に当てるのでは。


この社長は、激昂はしているが、人には当てない。


恫喝はあっても、暴力はない。


なんてクリーンなんだ。


僕は一年間殴られ続けていたから、このときすでに、普通の感覚などとうに持ち合わせていなかった。


入社から1ヶ月が経つ頃、毎週月曜朝におこなわれる朝礼の司会役を僕は任された。全社員の前に立ち、人事から促される今週の指針や各部の業務連絡を取りまとめながら全体に共有していくのが司会者の役目だ。


そのうえ社長から「週の始まりなんだから何回か笑いも取って和ませろよ」とのお達しが来る。あんたの顔が和まない元凶だろうがと思いつつも、この会社は、社長という一党独裁政治に対抗する団結力のようなものがあった。学校の先生然り、トップが嫌われ役だと、現場の人間関係は良好になりやすい。


朝礼が終わると、毎回社長室でダメ出しを受けるのが面倒だったが、人事のおじさん連中には誉められた。


「僕もこう見えて喋りは得意なほうでね。昔から仕切役だったんだけど、この会社ってほら、キレイな人が多いでしょう。僕が今まで働いてきたどの会社よりも美人が多いよここ。さすが業界だよねえ。なんかそういう人たちの前だとねえ」


当初は人事部が朝礼の司会役に任命されていたそうだが、彼らの激しい抵抗により回り回って、僕に司会役が流れてきた経緯があった。そのため、人事部は僕に優しかった。


彼らが「緊張する」というかわいい子は、確かに多かった。清楚な感じの人からギャルっぽい子まで幅広い系統の女性がいたけど、僕はこの前までコンパニオンたちを仕切り、その仕切りが悪いと彼女らの目の前でぶん殴られ憐れみの目を向けられる日々だったから、朝礼の司会役に抵抗はさほどなかった。


仕事の基本は前職時代、暴力によって叩き込まれている。新人は、電話、コピー機、経理、この3つを抑える。


下っ端でいるうちは一番に電話を取り、社員の顔と名前を覚えながら内線番号や保留方法などの操作を一早く覚える。保留中や転送時に誤って切ってしまうことがあるから慎重に。


コピー機は全員が使うものだからエラーが起きると会社全体のストレスになる。打ち合わせで出る直前、ギリギリまで作っていた資料を印刷して紙詰まりが起きて大騒ぎしたことがよくあった。


そのため、下っ端が率先して解決できるよう説明書を読み込んで、人事のおじさん立ち会いのもと、分解するようにコピー機の構造を確認していく。


コピー機のエラーは、インク切れと用紙切れを除けば、9割が紙詰まり。間違ったサイズの用紙を入れたか、おろしたての紙で張り付いてしまっているかのいずれか。その場合、一度カセットから用紙を全部取り出して、ページ送りするように空気を入れてやるとたいてい直る。


制作現場のプレイヤーたちは、自分たちこそ会社を回している重要な存在だと考えがちだが、プレイヤーが存分に仕事を出来るのも、全ては経理の人たちが会社のお金を管理してくれているおかげだ。


経理は、お金を扱う言わば財務省なので、なるべくコミュニケーションを密に取っておく。彼ら彼女らは業界人ではなく、あくまで数字のプロフェッショナルなので、業界特有の前後しまくるスケジュール感を特に嫌う。しかし、彼ら彼女らも人間なので、日頃から完璧にスケジュールを遵守しておけば、たまに起きる突発的な事態のときも快く対応してくれる。


このあたりは全て、B先輩から学んだことだった。


A先輩への感謝はない。余裕がある人間ならば、「振り返ってみればあれも」となるのかもしれないが、僕にそんな器はない。怒られるのはさておいても、胃液を吐くほど殴られる道理はない。万引き少年を死刑にするような極刑が通ってなるものか。しかし、暴力が日常茶飯事だった前職時代の慣習により、精神リミッターがおかしくなり、この職場で恐怖を感じにくくなったのは確かだった。


そんなA先輩から一度だけ、退職後電話がかかってきたことがある。もちろん出なかったが、留守電にはこう入っていた。


「えー、セイサンのケン、マコトにー、モウシワケゴザイマセンデシター。えー、ナルベクハヤメニー、振り込むヨウニー、手配シテマスノデー、シバラクオマチクダサイー。デハ失礼シマスー」


退職後、残っていた精算を経理の人と相談したのちかかってきた電話だった。もう退職している社外の人間だから敬語。自分の不始末でもあるから謝罪。でもプライドがそれを許さないから、感情を全捨てしたカタコト。カタコト語マニュアルがあったら使えそうなほど模範的なカタコトだった。


入社から3ヶ月が経ったある日のこと。


13時から取引先と大事な打ち合わせがあるのに、僕の直属の上司であるミナミ先輩が出社してこない。電話にも出ない。まもなく先方が来る時間。


ミナミ先輩には前々からそんな気配はあったが、とうとう完全に連絡がつかなくなったことで、会社は騒然とした。


「さぎちゃんごめん、なんとかうまくやっといて」と他の先輩になだめられ、僕は先方に謝り話をすり合わせたが、結果ミナミ先輩は退職することになり、僕はアシスタントから急遽メインの担当者となった。


ミナミ先輩の取引先の音楽制作会社からの持ち込み企画で、洋楽のヒット・ソングをレゲエアレンジした「ラブレゲ」というカバーアルバム企画が進行中だった。僕が引き継ぐ形でリリースまで漕ぎ着け、うちの会社では珍しく、1万枚を超えるヒットとなった。


そこでCDリリースに至る流れを完璧に把握した僕は、ミナミ先輩が抱えていた取引先を次々と巻き取り、立て続けにCDをリリースしていった。


どんなCDにするかの企画を立て、プロモーションイメージやイニシャル目標枚数を設定し、幹部役員の前でプレゼンする。了承が取れると予算が下り、トラックメーカーやボーカリストらと共にレコーディングを進める。


同時に、デザイナーに発注したパッケージデザインを営業資料に盛り込み、営業部と共に古巣を含むCDショップに営業回りをしながら、出来上がった音源とデザインを業者に入稿する。


扱うものが、イベントから音楽に、イベント本番日からCDリリース日に変わっただけで、一連の流れは前職時代にやっていたことと同じだった。そのため、元CDショップ店員の元イベント屋には、把握しやすい業務だった。


先輩方も新人もどんどん鬱病で退職していってしまうため、僕の役職は否応なく上がり続けた。


1年が経ち、2年が経ち、あっという間に新人からディレクター、プロデューサー、そして音楽事業部の主任になった。


渋谷の街にも慣れた。渋谷という街の風景の一部になっている気がした。いつも、「自分」と「渋谷」という分離構造で見えていたのに、街の風景に同化した。それは、社会に同化したことを意味した。会社は、渋谷アピアの近くだった。前を通るときは、もう何年も前の頃のように感じた。


新人ミュージシャンの育成にも関わったが、新人はみんな主張が強かった。


そんな衣装でやりたくない

MCなんか必要ない

もっといいスタジオでやりたい


「売れてから言え」


と思った次の瞬間、過去の記憶が甦る。


なんでミュージシャンが客にアンケートなんか取りに行かなきゃいけないんだ 

なんでこいつらは俺の良さが分からないんだ


渋谷アピアに出演していたほんの数年前まで、僕は、彼ら側だった。


ミュージシャンを目指し、CDショップ店員を経て音楽メーカーにいる僕は、これまで散々悩み、苦しんだデビューへの一連が、手品の種明かしを次々と見せてもらうような日々だった。散々考えても分からなかった答えは、そんなことだったのか。そういうことだったのか。


目の前の苦しみから解放し、明日も笑顔で生きていけるように身近な人間たちと空間上で細々と共有するだけで良かった歌は、電波に乗ってどこまでも波及し、盤となって所有できることになったことで巨万の富を生み出し様々な利権がついて回る産業になった。


誰かと思いを共有する表現手段だった音楽はビジネスになった。そんな状況を、ピストルズのジョン・ライドンを始め多くのロック・ミュージシャンが「ロックは死んだ」と口にした。


しかし、そんな産業から出てきた音楽やロックにもまた、僕らの心は動かされた。明日には笑えるようにと光を見出した。


テレビも所詮、企業の広告放送だ。利益を追求するあらゆる人たちの欲求の上に、芸人やミュージシャンが存在する。宣伝塔として利用されているだけとも取れるし、その仕組みを利用しているとも取れる。


純粋な表現とはなにかを考える以前に、純粋であろうと不純であろうと、誰にも支持されないエンタメは発見すらされない。しかし本当の個性とは、誰にも理解されないものだ。みんなが共感できるものは、みんなの中間値であり平均点であり、最大公約数だ。その最大公約数をどのように表現するかというところに、エンタメが介入できる余地がある。


国民にとってどれだけ重要なことであっても、面白くないものに人は関心を示さない。関心を示されないところにお金は集まらない。お金が集まらなければ映画も音楽もバラエティも作れない。そして、お金を出して作る以上は、回収できなければ赤字になる。赤字になれば続けられない。


目立ちたいなら、有名になりたいなら最大公約数にならなければならない。それは個性を殺すことを意味する。そして、「一人でも多くの人に届けるために」という言葉をかさに、売って利益を出資者に還元しなければならない。エンジニアにもスタジオにもメーカーにも事務所にも。全て思い通りにしたいのなら、自己出資でやるしかない。分かってくれる人だけでいい、売れなくても構わない、そんな子どじみた甘えに付き合ってくれる人はいない。いるとすればそれはお母さんかお父さんだ。


本人は主観で客観性を語る。しかし、本当に客目線になれるのは本人以外の誰かであり、ディレクターだ。ミュージシャンが持つ、大衆に理解され難い光る個性を最大公約数に落とし込むのがディレクターであり、映画におけるプロデューサーであり、小説や漫画における編集者だ。


ディレクターはその歌を営業部がどう捉えるかを知っている。営業部はショップ店員がどう捉えるかを知っている。ショップ店員は客がどう捉えるかを知っている。


やりたいことをやるために、やりたくないことをやる、変える、曲げる、妥協する。ミュージシャンが嫌うおよそこのネガティブな言葉たちの奥には、あまりにも明快 すぎる現実がある。売れなければ全員が倒れ、存続不能になる。


この会社でヒットCDを出したとき、状況は一変した。いつも宣伝部と挨拶回りしていたラジオ局から、流したいから音源が欲しいと向こうから連絡が来た。コンピアルバムに入れたいからライセンス料率を教えてほしいと、メジャーメーカーから連絡が来た。


インディーの小さな会社など誰も相手にしてくれない。ただ、ヒットが出ると状況が変わる。売れているものが良いものとは限らないが、売れているものは強い、、。売れなきゃ誰も耳を傾けてくれない。売れなきゃ歌えなくなる。スタジオも取れない。


良いか悪いか、それは時代が決めることだ。10年後あるか、20年後あるか、そのときになってみないと誰にも分からない。だから売れなきゃダメだ。


僕が手掛けたCDのリリース前日、僕はいつも友人知人に営業資料を添付し一斉メール送信していた。宣伝的な意味合いもあったけど、本当は、自分が頑張っていることをみんなに知ってほしかった。


あるとき、秋谷先生から返信が来た。


「お久しぶりです。君が作ったわけでもない歌に興味はありません。迷惑です。」


秋谷先生は、あくまでミュージシャンとしての僕に興味を持ってくれただけで、一枚でもCDを売ることしか考えていない会社員の僕に興味はなかった。当然のことだった。


今目の前にいる新人アーティストたちは、音楽メーカーの人間と直接やりとりできているだけ昔の僕より先にいるが、彼らが抱く思いは昔の僕と全く同じだ。でも彼らになにかを諭す権利が僕にあるのだろうか。権利はあっても、資格がない気もする。彼らと同じ目線で話をできる自分も確かに存在するが、売ることしか考えていない自分もいる。どちらの自分が本当で、どちらの自分が正しいのか、分からなかった。


同僚ディレクターの中には、自分の趣味に走るものもいた。いつも売れないCDを量産しては、「自分の趣味なら自分の金でやれ!」と社長に怒鳴られていた。会社から給料をもらっている以上、売上を作らないとここにはいられない。


自分がプレイヤーだったミュージシャン時代、こだわりが強すぎた反動からか僕は売ることだけを考える人間になっていた。前職時代より給料はいいし、もう3年以上いるし、なんとか落ちこぼれずに済んだと安堵し社会の風景の一部になっている自分に、わずかな葛藤がないこともなかったけど、それは、強制的に終了させられることになった。


入社して5年が経とうという、ある日の朝だった。


会社に弁護士が入ってきて、僕を含む管理職全員が一つの会議室に集められた。


「この会社は、倒産します」

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