民宿・七福亭
七福亭では宴会場というには手狭な十二畳の部屋で夕食の準備が進んでいた。宿泊客はツアーメンバーの十名と、もう一組いるらしく不揃いのちゃぶ台が並んでいる。
これほど多くの客を一度に迎えることはビッグイベントらしく、腰の曲がったおかみと中年女性、
厨房で魚を捌いているのは富佐子の旦那で、黙々と出来上がった料理を配膳台に並べている。本業は漁師なのだろう、顔も腕も真っ黒に日焼けしていた。
食事の前に風呂で汗を流すことにする。風呂は男女共用で、一階に二箇所、二回の階段踊り場に一箇所の計三箇所。使うときには“使用中”と書いてある木の板を扉の前に置くことになっている。
一階の風呂はどちらも空いているようだ。火鳥と智也は右側、真里は左側に分かれる。
「きゃっ」
扉を開けた途端、真里が叫び声を上げる。
「どうした」
「大丈夫か」
火鳥と智也は真里の元へ駆け寄る。目の前に上半身裸、腰にバスタオルを巻いた男が頭をガシガシ拭いている。首に巻いた金のネックレス、がっしりした胸板に鋭い目つき、竹野漁港にいたヤクザの一人だ。
「ご、ごめんなさい」
真里は慌てて謝る。
「あやまることはないぞ、真里。こいつがルールを守っていないのが悪い」
火鳥は戸惑う真里をフォローする。本来なら木板を“使用中”にしておく決まりだ。ヤクザ相手に態度がでかい火鳥を智也はヒヤヒヤしながら見守っている。
「ああ、悪いな。忘れてた」
水瀬は悪びれもせず、肩を竦める。すぐに出るわ、とバスタオルのまま着替えを持って大股歩きで風呂場を出て行く。背中に彫り物は入れていないようだ。
「この後入るの、嫌だなあ」
真里はぼそりと呟いた。
***
「わあ、すごい!豪勢ね」
並んだ料理を前にして、真里が感激している。新鮮な刺身や煮付け、海老天など地元の魚介と揚げ出し豆腐や茄子の田楽、山菜そばなど田舎料理がちゃぶ台いっぱいに並ぶ。
「宿はおんぼろだけど料理は絶品だよ」
先ほどまで包丁で魚を捌いていた旦那がしっかり食べてくれ、とぶっきらぼうに声をかけてまた厨房に引っ込んだ。
「何も無い島だけど、料理はいいじゃない」
民宿がボロいと苦言を呈していた秋山も料理には満足したようだ。彼女の機嫌が直り、人見はホッとしている。
刺身も煮付けも今朝上がった魚を使っているらしく、臭みが無く身がぷりぷりで美味しい。
「久しぶりのお客さん、しかもこんなに大勢来ていただいて、腕を振るったみたいですよ」
ちゃぶ台の中央には大きな舟盛りが置かれた。大きな鯛の尾頭付き、サザエやあわびまで乗った豪華なものだ。宿からのサービスということだった。
ツアー客が料理に満足している様子に、主催の中桐と早稲田も安堵している。
「ところで、晴野リゾートさんは神島刑務所をホテルに改装する計画があるんだろう」
河野が別テーブルに座る中桐に話しかける。ビールがまわっているようで、顔が赤い。
「神室島は手つかずの自然が残っており、漁業資源や農業資源もある魅力的な島です。廃刑務所という産業遺産もあり、島全体をリゾート施設にする計画です。言われるとおり、将来的には刑務所はホテルに改装する計画もあります」
中桐は食事の手を止めて説明する。
晴野リゾートは全国の景勝地や避暑地に高級ホテルを展開する総合ホテルチェーンだ。価格帯はかなり高いが、その地の文化を行かしたホテル運営で人気を集めている。今回の神室島開発は中桐の部署の一大プロジェクトだった。
まずはモニターツアーで観客の反応を見て、刑務所のホテル化や集落の再開発を検討している。
客の生の声を現地で聞いてこい、という部長命令で企画室課長である中桐と若手の早稲田が指名されたのだった。
「えっ、刑務所をホテルにするの」
話を聞いていた真里が驚いて振り向く。晴野リゾートはユニークなホテル経営で知られているが、驚くべき案に火鳥も興味を示した。
「お客様は旅先で非日常を求めています。刑務所はうってつけですよ」
中桐の話を面白くない顔で聞いているのは河原だ。
「貴重な産業遺産をリゾートホテルなんかに変えるとは、笑えないね。歴史への冒涜だ」
河原は吐き捨てるように呟く。そしてコップに残ったビールを煽った。
河原は三十年来、産業遺産を撮り続けてきた写真家だ。興味本位の廃墟巡りから歴史を語る産業遺産に興味を持ち、プロの写真家になった。
そこにあった人の生活、思い出を撮影することをモットーにする彼は産業遺産の保護活動にも熱心に取り組んでいる。
このツアーに参加したのも昭和の黒い歴史を残す神島廃刑務所に強く惹かれたからだった。改装してホテルにするなど、赦し難いことなのだろう。
「おかわりください」
時岡が空になった茶碗をおかみに手渡す。場の緊張が一気に解れた。河原もそれ以上絡むつもりはないようだ。手酌でコップにビールを注いでいる。
「この宿にはあちこちに七福神が飾ってありますね、宿の名前もそうですがなにか縁でもあるんですか」
智也がおかみに尋ねる。宴会場の欄間には七福神の面、掛け軸、屏風も七福神のモチーフだ。民宿の名前も七福神なので、その名にあやかっているとは予想していた。
「縁起が良いでしょう。この島には七福神の加護があるんですじゃ」
おかみはにこにこ笑って、茶碗に白米をてんこ盛りにして時岡に返す。
「宿の名前はおかみさんがつけたんですか」
「いや、亡くなった主人ですよ」
おかみさんにとってはこりはないらしい。レトロな花柄のポットを持って厨房に戻っていく。面白い民間伝承でも聞けると思っていた智也は肩透かしを食った。
「七福神の加護が必要な場所、という意味があるのかもね」
芯の通った低いハスキーボイスは金村琴乃だ。女性一人参加で、服のセンスも相まって、初見から独特な雰囲気を醸し出していた。部屋でお香を焚いていたのか、エスニックな香りを纏っている。
「神島刑務所と何か関係があるんでしょうか」
「さあ、明日行けばわかるでしょ」
智也の問いに、金村はダークレッドの口紅を塗った唇を小さく歪めて笑う。その腕には大きな水晶玉の数珠をつけている。オカルト的な興味でここに来たのだろうか。
襖が開いて三人組が入ってきた。一人は赤シャツにスラックス、パイソン柄の悪趣味なベルトをした長身の男に、のっぽの白ジャージ、ふとっちょの黒ジャージだ。中桐は思わず顔をしかめる。竹野漁港で船に乗せろと因縁をつけてきたヤクザだ。
水瀬はツアーメンバーを一瞥し、別に用意されたちゃぶ台についた。
「おお、うまそうじゃん。おばちゃん、ビールな」
並んだ料理を見て、機嫌よくビールを注文する。こちらに関わるつもりはなさそうだ、中桐はホッと安堵する。
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