蠱毒の正体

「いいか、水瀬。時間が無い、よく聞いてくれ」

 火鳥は神妙な顔で鉄格子の間から水瀬に語りかける。咥えタバコにポケットに手を突っ込んだままの水瀬は態度こそ横柄だが、火鳥の顔をじっと見据えている。


「運動場の脇に作業棟がある、木造の建物だ。その西側に使われていない排水溝がある。そこにいるものを連れてきてくれ」

 水瀬はあからさまに唇を歪める。火鳥の目は嘘を言っていない。これはろくでなしを相手にすることが多い仕事柄鍛えた勘だ、間違いはない。だからこそ意味が分からない。


「一体、その溝に何がいるんだよ」

「蛙だ」

「ああん?」

 水瀬の声が裏返る。溝にいる蛙を連れてこいというのか。正気を疑う話だ。

「お前の目的は何だ」

「探し物だ、この刑務所のどこかにあるらしい」

「取引をしよう」

 火鳥は蛙を連れてきたら探し物を見つける手助けをするという。正直、廃墟の刑務所で一人で家捜しする気になれなかった水瀬は、やむなく火鳥の交換条件を呑むことにした。


「絶対に見つけるまでつきあえよ」

 水瀬はタバコを投げ捨て、面倒臭そうに運動場の方へ去っていく。火鳥は黒いスーツの背中を祈りを込めて見送る。

「奴がアホで助かった」

 火鳥は便器から床に降り立ち、ホッと胸を撫で下ろす。蛙を連れてこいなんて、普通なら正気を疑われてお終いだ。


「石田という男が蠱毒を仕込んでいたのは、刑務所が稼働していた時期だから、もう八十年以上も前の話だ。そこに排水溝が現存しているかもわからないし、蝦蟇が生きているとは思えない」

 智也は冷静に考えていた。真里も確かにそうね、と頷く。

「あっ、そうだわ。警察を呼べばいいじゃない」

 真里がバッグからスマートフォンを取り出す。圏外だ。全員のスマートフォンを確認したが、どれも圏外だった。


「蠱毒の呪いは強力よ、彼に託してみましょう」

 金村が唇を吊り上げてニッと笑う。


 ***


 水瀬は運動場を通り、作業場の西側の壁の前にやってきた。

「どうやって探せってんだよ」

 周辺には雑草が生い茂り、角材や鉄骨が乱雑に積まれている。排水溝らしきものは見当たらない。雑草を蹴散らしながら悪態をついていたが、捲れ上がった金網の傍の地面に違和感を覚え、しゃがみ込む。

 周辺には雑草が生えているのに、その部分だけ四角い形に地面が剥き出しになっていた。運動場の土は乾いているのに、そこだけ雨が降った後のように湿っている。


「なんだ、これ」

 水瀬は木片を拾い上げ、四角い部分の土を掘り返す。ゴリッと手応えがあった。土の下に何か固いものがある。水瀬は宝物を見つけた小学生の気分で、意気揚々と土を避けていく。

 古びたコンクリートの蓋が出てきた。木片で擦ってしまったのか、蓋に張られていた紙が破れている。きっとこれが火鳥の言う排水溝だ、水瀬はコンクリートの蓋を持ち上げてみる。


「ぐおっ、ひでえ匂いだ」

 水瀬は思わず顔を背けた。蓋の下には排水溝があり、中には泥状の黒い液体が溜まっている。汚泥を煮詰めたような悪臭に、鼻が曲がりそうだ。

「こんなところに蛙なんかいるのかよ」

 棒きれを拾い、怖々と泥をかき回してみる。生物がいる気配はない。作業棟脇の排水溝はここで間違いないだろう。蛙などいなかった。火鳥にそう伝えて、とっとと鬼斬り国光を探す手伝いをさせよう。

 水瀬は棒きれを草むらに放り投げ、収容棟へ戻ることにした。


 不意に背後に気配を感じ、振り向いた。

 水瀬は口をあんぐり開けたまま言葉を失う。そこには、優に二メートルはあろうかという巨大な黒い蝦蟇が鎮座していた。大きな目をぎょろりと回転させ、長い舌を垂らしている。

「な、なんだお前、いつの間にそこにいたんだよ」

 気が動転している。こんな化け蛙に話しかけたって、答えは返ってこない。


 作業棟の屋根から烏が一斉に飛び立つ。化け蛙はその場でジャンプし、驚く程のスピードで舌を伸ばした。一羽の烏が舌に絡め取られ、蛙の大きな口に吸い込まれる。着地した蛙はバリバリと骨を砕きながら烏を呑込んでしまった。

 水瀬は信じられないという顔でその様子を見つめている。

 化け蛙がこちらを見た、気がした。本能的に身の危険を察知した水瀬は全力で収容棟へ向かって走り出す。


 べちゃん、と湿った音がする。化け蛙が跳ねたのだ。巨大な蛙のジャンプは恐ろしい飛距離を叩き出す。全力疾走する水瀬に二回のジャンプで追いついた。

「うおおおっ、おっかねえ」

 水瀬は絶叫しながらも走る。とにかく建物の中に入らねば、こいつの餌になってしまう。収容棟の扉まで、もう少し。


 鉄の扉を両手で何度も叩く。

「開けろ、開けてくれ」

 しかし、無情にも扉はびくともしない。背後に化け蛙が迫っている。どこを見ているか分からないやけに円らな瞳は恐怖でしかない。絶叫しながら扉に縋り付く水瀬目がけ、蛙がジャンプした。


 頭上に巨大な影が横切る。水瀬は瞬時の判断で脇に転がった。化け蛙は方向転換をすることなく、扉に激突する。壁に大きな亀裂が入り、扉が収容棟の廊下へ吹っ飛んだ。化け蛙は脳震盪でも起こしたのかその場で頭をゆらゆらさせ、のそのそと後退る。

 水瀬は隙をついて収容棟に逃げ込んだ。


 建物を揺るがすほどの激しい物音に、独房に隠れていた火鳥が顔を出した。

「おい、火鳥てめえ!あんな化け蛙どうやって連れてくるんだよ。俺を騙したな」

 恐怖が絶頂に達した水瀬は怒りの矛先を火鳥に向けた。恐ろしい剣幕で火鳥の胸ぐらを掴み、首を締め上げる。

「よくやった、水瀬。恩に着る」

 激怒する水瀬に火鳥は全く動じない。それどころか真顔で感謝され、意表を突かれた水瀬は手を離す。


「あれが蠱の呪術なのか」

 智也は扉の外で蹲る巨大な蝦蟇を見て、呆然としている。

「八十年の時を経て、呪いがあれほど強力に育っていたのね」

 金村にも予想外の威力だったらしい。クールな姿勢を崩さない金村が興奮している。時岡は三島の手記に書かれた蠱毒の話が真実だったことに驚いている。

「ヒロシ、すごいよ」

 真里は両手を叩いて水瀬を持ち上げる。それに気を良くした水瀬は腰に手を当てて偉そうにふんぞり返っている。


「それで、殺人鬼ってのは本当にいるのかよ」

「お前の足もとだ」

 火鳥が指差す先、重い鉄扉に押し潰された巨漢が倒れていた。水瀬はギャッと叫んで飛び退く。巨漢の近くには血のついたハンマーが床に転がっていた。その夥しい血の量を見れば、犠牲者の生存は絶望的と思われた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る