囚人番号五七九 三島 豊の手記(五)

新しい料理長

 ここ最近、食糧不足が深刻化しているからだろうか、配給される食事の量が目に見えて少なくなっていた。

 血気盛んな囚人たちには到底足りる量ではなく、連日奪い合いによる乱闘が起きている。


 私は元々食が細い方で、戦時中の食糧難というご時世に三食提供されるだけでもありがたいと思う。塀の外では善良な市民ですら飢えに苦しんでいる姿があった。


 しかし、今月に入って皿に盛られる料理が増量されているのは気のせいではない。明らかに肉の重みが増している。

 私はスプーンで肉を掬って口元に近づけた時、微かに鼻腔を刺激する嗅いだことのない甘ったるい匂いに吐き気を催し、全く手をつけることができなかった。


 島という特性上、それまで主菜は魚が多かったが、いつしか肉の割合が多くなった。

 私は毎回肉だけを残した。隣に座った若者が残すならよこせ、と言うので差し出した。


 その肉はどんな味がするのか、と聞いてみると「牛とも豚ともつかないが、旨みがある。部位によるのか硬いものと柔らかいもの、スジばったものが混在している」という感想であった。


 昨日、隣に坐る男がトマトスープを飲んでいた。肉の塊と共に薄皮がついているのが見えた。奇妙なことに、皮には模様が入っているようだ。よくよく見れば、牡丹の花弁だった。

 私は思わず喉に込み上げる酸っぱいものを必死で押し戻した。


 この間、シャワー室で乱闘騒ぎを起こしたヤクザ者の背中には見事な牡丹の刺青がなかったか。私ははたと男の顔を見た。その目は落ち窪んでいたが、肌はやたら張りがあり艶々としていた。

 男はギラギラと不穏な輝きを帯びた目で私の目を覗き込み、そしてまたスープを掬い始めた。


…わかっている。何も言うな。


 それは、脅迫にも似た視線だった。


 新しい料理長が食堂の視察にやってきた。脂肪にめり込んだ細い目、はち切れんばかりの頬肉に挟まれた口。歩くたびに身体を左右に揺らしながら突き出た太鼓腹を撫でている。

 腰に巻いたエプロンには夥しい血と脂がこびりついていた。

 囚人たちが食事を掻き込む様子を満足そうに眺め、やがて厨房に引き上げていった。


 婚約者の博子の作る具だくさんの豚汁は美味しく、私の好物だ。今でもその味は忘れられない。しかし、ここを出られたとして、私は博子の豚汁を食べることができるのだろうか、漠然とした不安が胸を過ぎる。


                         昭和1?年 立冬 三島 豊

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