囚人番号五七九 三島 豊の手記(三)

蠱毒の男

 運動時間に奇妙な男に出会った。名前を石田 茂吉もきちという。年は五十四才、ここに投獄されたのは、中国製品の闇取引のためだと聞いている。税関をかわして茶や什器を仕入れていたところを摘発されたという。


 石田は満州に渡っていた経験があり、戦火が激しくなることを見越して日本に戻った。大陸での縁を頼りに個人貿易を始め、ずいぶん羽振りが良かったそうだ。逮捕のときに違法に稼いだ金と全財産を没収されたのを恨み節に思っていた。


 石田は陰気な男で、運動時間にも身体を動かすことなくいつも運動場の端に蹲ってなにやらブツブツ呟いていた。罪状が軽いのに独房を希望しており、他人との交流を厭うきらいがあるようだ。


 私は気になって、運動場の端にいた石田に話しかけてみた。

 石田は両手に収まる石ころのようなものを手にしていた。いや、よく見るとそれは蝦蟇がまがえるだ。私は驚いて、蝦蟇をどうするのだと石田に尋ねた。


 石田は、蝦蟇を地面の穴に離してやった。そこで飼っているのだろうか、穴を覗き込むと、中には黒々としてどろりとした液体が溜まっていた。穴は使われていない排水溝で、どこにも繋がっていないようだった。


 これは蠱毒こどくだ、と石田は教えてくれた。聞き慣れない言葉だ。

 中国の呪術師が使う秘術で、秘伝中の秘とされているそうだ。虫や爬虫類などの小動物を容器に閉じ込め、互いに殺し合いをさせる。その中で生き残ったものを蠱と呼ぶ。蠱は恐ろしい呪いの力を持ち、呪われた相手は原因不明の病に倒れ、やがて死に至るそうだ。


 私はそれを聞いて全身が粟立ったのを覚えている。排水溝の泥状の液体に、白い目がいくつも浮かんでいるのが見えた。きっと以前、ここに閉じ込められた蝦蟇だろう。出口のない狭い排水溝では互いに食い合うしか生き抜く方法はない。


 身の毛もよだつ恐ろしい呪いだ。

 私は石田に尋ねた。一体こんな恐ろしい方法で誰を呪っているのかと。石田はいずれ分かる、と肩を揺らして笑っていた。

 それが明らかになったのは七日ほど経った後だ。石田は原因不明の高熱と咳にうなされ、独房から医療保護棟へ転棟することになった。そして、戻ってくることは無かった。


 石田が呪ったのは自分自身だったのか、それとも恐ろしい呪術に当てられたのか、分からない。運動場の端、作業棟の西側の縁にある排水溝には土を被せてあり、誰も気にかけるものはいない。


 私は排水溝の中で何が起きているか、蓋を開けてみたい好奇心に駆られることがある。しかし、きっと見ない方がいい。


                       昭和1?年 初夏某日 三島 豊

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