第三章 一般収容棟からの脱出計画
壁越しの密談
神島刑務所 見張り台 15:16
水瀬は鉄条網が途切れた部分から塀に沿って伸びる通路に降り立った。ここに看守が立ち、囚人の脱獄を監視していたのだろう。ペンキが剥げ、錆びの浮いた通路を歩いて見張り台へ向かう。鉄柵に停まった烏がギャアと鳴いた。
「クソっ、おっかねえな」
水瀬は誰にともなく悪態をつく。まさか、一生勘弁と思っていた刑務所に入ろうとは、思いもよらなかった。
高校生の頃、障害沙汰で一時拘留されたことがある。それで檻の中は懲りた。以来、ヘマをしないように賢く立ち回っている。これで最後にしたいものだ。
塀の上から見下ろす神島廃刑務所の姿に、水瀬は大きな溜息をつく。
「なんだよ、めちゃくちゃ広いじゃねえか」
洋館のような管理棟、五つに伸びた収容棟の他にも二階建ての長屋がある。このどこかに鬼斬り国光があるというが、どこを探せば良いか全くノーヒントだ。骨董店で適当な中古刀を買って帰れば良かったな、と後悔した。
水瀬は塀の上でタバコに火を点け、一服しながら考える。囚人から奪ったものをどこに隠すか。それなりの逸品なら上の連中が着服しているだろう。例えば所長だ。刑務所の所長というのは、映画でも悪者と相場が決まっている。
「となると、あそこか」
水瀬はホテルのような煉瓦造りに鱗屋根の管理棟に目をつけた。あそこに行けばお偉いさんの部屋があるだろう。
塀の下にタバコを投げ捨て、見張り台から地上へ続く螺旋階段を降りていく。
長屋の脇を抜けて広場に出た。誰もいない廃刑務所は不気味で、水瀬は思わず身震いする。見学者が上陸しているはずだが、一体どこにいるのだろうか。この際文句を言われても合流したいほどに心細くなっていた。
神島刑務所 一般収容棟 15:27
「あのう、これ」
時岡が躊躇いがちにリュックの中からタブレットを取り出した。画面には手書きの日記のようなものが表示されている。
「これは何」
智也が時岡に尋ねる。時岡は人見知りのようで、言葉を選んでここへ来たいきさつを話し始めた。三島の手記には深夜に房の前を彷徨く怪人がいる、という噂が記されていた。
「手記によれば当時からあの怪人は存在したようだな。檻の中で蠢いていた亡霊たちと違って生身だが、もう人間ではないだろう」
火鳥は黒縁眼鏡をクイと持ち上げる。
「真里ちゃんを怯えさせてるのは一体どっちかしら」
金村が呆れている。
「そうなんです、遙兄はデリカシーが無くていつもこう」
それでも、真里は火鳥のことを慕っている。いざというときは頼りになるもう一人の兄のような存在だ。
「他に役に立ちそうな記録はあるかな」
智也は大学で民族学を専攻している。この手記はまさに民間伝承に通じるものがあり、興味津々だ。
「おそらく、最初はノートのように綴られていたようなんですが、手記はバラバラの状態で見つかったんです。それに、時期もだんだん不明瞭になっていって、オカルト話も多くて、一体どこまで本当なのか」
時岡は公開してみたものの、この手記がそこまで役にたたないのではと危惧しているようだ。
「君のじいさんは新聞記者だったのだろう。暇つぶしで怪奇小説を書いたとは思えないな」
火鳥の言葉が腑に落ちたようで、時岡はタブレットのページを捲る。
「そのページ、いいか」
火鳥が興味を示したのは、中国呪術の蠱毒使いの男の記録だ。蠱毒を仕込んでいた石田という男は不慮の死を遂げた。作業棟の西側、と場所も正確に書かれている。
「蠱毒を利用するの」
智也は頓狂な声を上げ、火鳥の顔をまじまじと見つめる。火鳥は至って真面目だ。
「悪くないかもね。蠱毒は強力な
金村は意外にも火鳥の案を支持した。
「あの大男を呪い殺す、ということですか」
時岡も火鳥の発想に驚いている。
「しかし、出口を探したいが、あのデカブツが彷徨いている。通路の先の出口を目指した早稲田さんは脱出に失敗したのだろう。ということは管理棟への通路と同じく施錠されている可能性が高い」
火鳥は腕組をしながら考えを巡らせる。悪いことにここは監獄、囚人を閉じ込めておく場所だ。脱出に失敗、という響きに真里は身を竦める。
「なんとかここを抜け出して、蠱毒が仕込まれた排水溝に行けたらいいのだが」
誰かが溶接工の気を引いて、誰かが出口を目指すという計画を考えたものの、出口が開いている保証はない。
不意にじゃり、と石を踏む音がして全員息を潜める。音は壁の外から聞こえてきた。それにかすかに漂うタバコの匂い。壁の向こうに誰かがいる。火鳥は静かに立ち上がり、トイレの便座に乗って鉄格子ごしに外を覗いた。
外にはポケットに片手を突っ込み、咥えタバコ、黒スーツに派手な赤シャツのヤクザ者が大股開きで歩いている。奴の目的もこの刑務所だったのだ。火鳥は思わず目を見張る。
「おい、あんた」
火鳥は声を潜めてヤクザを呼び止める。思わぬところから声が聞こえて、水瀬は挙動不審に左右を見回している。
「こっちだ」
鉄格子の向こうに火鳥の顔が見えた。竹野漁港にいた態度のデカい眼鏡の男だ。
「なんだよ、何か用か」
水瀬が壁に近付いてくる。火鳥は唇に人指し指を当て、声を抑えるようにジェスチャーで伝える。
「頼みがある。今、俺たちは凶悪な殺人鬼に追われている」
水瀬はにわかに信じがたい話に、唖然として眉根に皺を寄せている。
「だからこうして独房に隠れている。助けてくれないか」
「脱出ゲームか何かだろ、ふざけるなよ」
水瀬は半笑いで首を傾げる。しかし、火鳥の目は全く笑っていなかった。
「チッ、どうすればいい」
水瀬は真剣に話を聞く気になったようだ。
「この棟の先に扉がある、開けてくれないか」
「俺もさっき入ろうとしたが、扉は開かなかった。内側から施錠されているんじゃないか」
水瀬の言葉に火鳥は考え込む。
「扉は何かの力で封印されているのかもしれないわね、もしくは、誰かが工作しているか」
金村の意見は妥当に思えた。
「あんた、名前は」
「はぁ?名前を聞くならお前から名乗れよ」
水瀬は唇を歪める。火鳥は面倒くさい奴だと小さく舌打ちをする。しかし、そうも言ってはいられない。今はこの男が脱出への鍵を握っている。
「なら同時に言うぞ、火鳥遙だ」「水瀬博史だ」
小学生か、と真里は会話を聞きながら呆れている。
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