壁越えチャレンジ

 神室漁港 13:46


「ずいぶん遅ぇな」

 神室漁港の桟橋でタバコを吹かす水瀬の足もとには吸い殻が五本転がっている。ここで漁師の若者と待ち合わせをしている。目的は神島廃刑務所への上陸だ。


 七福亭の庭で漏れ聞こえるツアー客の話から、廃刑務所へのルートは船便であること、船は12時の出港であることを知った。

 ここでまた船に乗せろと騒げば、絶対に断られる。それに、観光ツアーをするということは、刑務所は私有地だ。勝手に入り込めば警察を呼ばれかねない。


 そこで水瀬は考えた。早朝、桟橋に先回りして漁師と直接交渉をした。三万円で話はついた。足元を見やがってと思うが、ここでへそを曲げさせるのは得策ではない。

 12時に港を出発してツアー客を刑務所に送り届け、16時に間に合うように迎えにいくという。その合間を縫って13時半に約束をしていた。刑務所まで所要時間片道二十分、無理なく港へ戻れる時間のはずだ。


 頬を撫でる風に冷たさを感じた。空を見上げると、薄雲が太陽を覆い隠している。

「あいつ、戻ってきませんね」

 黒ジャージのジョーがコンクリートブロックに頬杖をつきながらあくびをする。白ジャージのレイはその横でスマートフォンをいじっている。ゲームでもしているのかと思いきや、投資サイトのグラフを眺めていた。


「クソ、待ちぼうけかよ。これじゃ陽が暮れちまう」

 水瀬は6本目のタバコを投げ捨て、靴底で揉み消した。穏やかな海に船影は見えない。水瀬はポケットに手を突っ込み、踵を返した。

「アニキ、どうするんです」

オカから攻める」

 水瀬は海沿いの道を刑務所方面に向かって歩き出す。ジョーとレイは顔を見合わせ、慌てて水瀬についていく。


「でも、アニキ。刑務所には陸路は無いって」

「行ってみなきゃわかんねえだろうが」

 ポケットに手をつっこみ、肩をいからせて歩いて行く兄貴分にジョーとレイは仕方無くついていく。

 岬から山頂の神社への参道を進み、途中から脇道に逸れて森の中へ分け入る。自然のままの姿の森は地面は倒木や枯れ葉に覆われ、隠れた木の根に何度も足を取られた。生い茂る葉を避けながら突き進んでいく。


 途中、打ち捨てられた果樹園があった。誰も世話をしてないのは周囲に生え放題の雑草の具合で分かる。水瀬はたわわに実ったみかんをちぎり、皮を剥いてまるごとかじりつく。

「どうせ鳥に食われるだけだ」

 熟れたものを選び、ジョーとレイにも投げてやる。

 水瀬は面倒見が良いと思う。なにかとセコい若頭の八木についていれば賢く出世できるのかもしれないが、ジョーもレイもいつも貧乏くじを引く水瀬につくことを選んだ。


「俺はなりたくて極道になったんじゃねえ」

 水瀬は酒に強いが、酔うとクダを巻く。

 以前聞かされた話だ。高校生二年生の時に病気で母を亡くし、気落ちした父はアルコールに救いを求めた。生活を支えるために水瀬がバイトで稼いだ金をこっそり持ち出し、ギャンブルに明け暮れた。


 ある日、三人の黒スーツに身を包んだ柄の悪い男たちが土足でアパートに乗り込んできた。飲んだくれた父親の首を締め上げ、借金を返せと迫った。

 どうやら、父親はパチンコや競馬などでは飽き足らず、ヤクザが開いた闇賭博にどっぷりハマり、まさに尻の毛まで毟られかねない状況だったらしい。


 殴られた父親が仏壇にぶつかり、母の位牌が投げ出された。水瀬は頭に血が昇り、スーツの男たちを次々にぶちのめした。男たちはすごすご逃げ帰り、翌日黒塗りのベンツがアパートにやってきた。

 組長が直々に水瀬を組にスカウトしたいという。その場で盃を下ろしてもらい、水瀬は神原組の若衆見習いとなった。


 眉唾な話だが、水瀬の豪胆さと腕っぷしの強さからあながち嘘では無いと思う。今のご時世、経済ヤクザでなければ生き残れないと言われているが、水瀬は拳でのし上がってきた。


 果樹園を越えてさらに森の中を進むと、突如目の前に灰色の壁が立ちはだかった。見上げるほどの高さだ。東西へ延びる壁はかなりの長さがあるようだった。

「ここが神島刑務所ですか、何だか不気味っすね」

 塀の上には鉄柵が等間隔に並び、鉄条網が施してある。壁の漆喰が剥がれ落ち、ところどころ煉瓦が覗いていた。ジョーの不安げなつぶやきに、レイも微かに頷く。


「わざわざ船で行くことは無かっただろうが」

 水瀬は声を張り上げる。水瀬は虚勢を張っているのだ、きっとこの三人のうち誰よりも怖がっているに違いない。

 しかし、壁の高さは5、いや8メートルはあるだろうか。上部団体幹部の出所の際、挨拶に行ったときの刑務所の塀よりも高い気がする。


「どうやって中に入るかだな」

 水瀬は塀に沿って歩いてみるが、入り口らしきものは見当たらない。森の木が枝を伸ばし塀に触れているが、足場の無い木の幹を登るのは不可能だろう。

 レイが壁を見上げながら指をさす。

「お、これか」

 ジョーがレイの傍に駆け寄り、声を上げた。壁を伝う蔦の枝がぶらりとぶら下がっている。ハイジャンプをすれば届かなくはない。


「よし、ジョーはここ、レイはここだ」

 水瀬が二人に指示を出す。ジョーはその場に膝をつき、両手を地面につけた。レイは手を組んで、腰の前に据える。ジョーを踏み台にして、レイの手の平に足をかけ蔦を掴む作戦だ。

「背中借りるぞ」

 水瀬はジョーの背に足をかける。

「オッス、お安いご用ですアニキ」


 レイの手に乗って、枝を掴んだ。引っ張ってみると、意外に頑丈な手応えがある。これならいける、と判断した水瀬は枝にぶら下がった。枝が大きくしなる。その上に伸びる枝に手を伸ばす。水瀬は器用に枝を辿り、どんどん高く登っていく。

「アニキ、もうちょっとだ」

 ジョーが声援を送る。もう少しで塀の上部に手がかかる、そのとき水瀬の体重に堪えかねた枝がずるずると滑り落ち始めた。


「うおおおっ」

 水瀬は壁を蹴って塀の縁になんとかしがみつく。蔦の枝はそのまま地面に落ちてしまった。水瀬は鉄柵を掴み、塀の上に立つ。見下ろせば、鳥肌が立つほどの高さだ。

「アニキ、やりましたね」

 ジョーがガッツポーズをする。

「お前らも来い」

「いや、無理っす」

 ジョーが即答する。


「あぁ、ふざけたこと抜かすな、俺だけでここ調べろってのか」

「俺には壁越えなんて、そんな芸当できないっす」

 ジョーが首を振る。確かに、めぼしい強度の蔦の枝は地上に落ちてしまった。水瀬は頭を抱える。レイも無言でこちらを見上げ、行けないと訴えている。

「船が戻ってきたら追いかけますから、先に行ってください」

「まったくてめえら、覚えてろよ」

 水瀬は大きく舌打ちをする。ジョーとレイは水瀬に手を振って森の中へ消えていった。

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