将星会神原組の場合
贅を凝らした豪華な部屋だ。いや、ここまで来ると悪趣味とも言うべきか。
飾り棚にはダイヤの嵌め込まれた目を光らせたキンキラキンのライオンの置物、ワシントン条約違反が疑わしい立派な水牛の角、目の前では龍虎相撃つダイナミックな屏風がこちらを威圧している。
窓の外には見事な日本庭園が眺望できる。池には1匹2百万の錦鯉が3匹泳いでおり、2匹はノラ猫に取って食われたこともあるらしい。以来、庭にドーベルマンを放し飼いにしているという。風流もへったくれもない。
西洋アンティークのソファはクッションがばかに効いており、身体がずぶりと沈み込んで妙に落ち着かない。
隣に座る
ドアが空き、五十絡みの和服姿の女性が顔を見せた。髪をまとめ上げ、品の良い薄化粧をしている姿は凜としていた。
「姐さん」
八木が頭を下げる。水瀬も一応、会釈する。
「こちらへ」
神原綾子は将星会の三次団体神原組をまとめる神原美喜雄の妻だ。綾子に案内され、水瀬と八木は縁側の廊下を歩いていく。
「失礼します」
綾子が恭しく障子戸を開けた。和室の中央に敷かれたふとんには組長の神原美喜雄が苦悶の表情を浮かべて横たわっている。その傍には一人娘の美鈴が心配そうに付き添っていた。
「オヤジ、大丈夫ですか」
八木が神原の脇に正座し、心配そうに顔を覗き込む。水瀬も少し離れて胡座をかいたところ、八木に膝を思い切り叩かれ、正座しなおす。
「おう、お前ら、来たか」
神原は額に脂汗を浮かべながらゆっくりと顔をこちらに向けた。顔色がずいぶん悪い。これを土気色というのだろう。
「俺はもう長くないだろう、お前らを呼んだのは訳がある」
神原は苦しい息の下、途切れ途切れに話し始める。
極道の組長を務めていた神原の祖父勢津夫は、危険人物と見なされ突然現われた特高に連行された。昭和15年のことだ。そのときに事務所に飾っていた家宝の日本刀を一緒に奪われたらしい。鬼斬り国光と呼ばれる備前長船一文字の流れを汲む名刀で、釈放後に刀が戻ることはなかった。
勢津夫はそれを悔やみながら結核で死んだ。その子多賀男も祖父の悲願を成就させることができず、脳腫瘍でこの世を去る。三代目の美喜雄は鬼斬り国光の恨み節を子供のころから昔話のように聞かされてきた。
戦後のどさくさにまぎれ、どこぞの愛刀家にでも売り飛ばされたか、博物館にでも寄贈されて収まっているかもしれない。手を尽くしたが、鬼斬り国光の情報は皆無だった。
ここに来て、美喜雄自身も世を去ろうとしている。なんの縁か、鬼斬り国光が瀬戸内の離島神室島の刑務所に渡ったと情報を得た。どうしても祖父の悲願を成就させたい。神室島にある廃刑務所に潜入し、家宝の刀を取り戻して欲しい、ということだった。
「頼んだぞ、八木、お前を若頭にしたのは伊達じゃねえ。水瀬、お前は若頭補佐心得だ。八木を補佐しろ」
神原は大きく咳き込んだ。
「オヤジ、任せてください」
八木は涙ながらに神原の手を両手で握る。神原の手から力が抜けた。
「お、オヤジ」
八木は動揺する。これで組も終わりか、水瀬も頭を抱える。
「神原は眠っているわ」
綾子が静かに諭す。
すぐに豪快ないびきが聞こえ始めた。娘の美鈴はハンカチで涙を拭いている。妻の綾子に似て色白で品の良いお嬢さんだ。ゴリラ顔の神原に似なくて幸運だった、と水瀬は密かに思う。
神原家の立派な門を出て、水瀬はタバコに火をつける。舎弟の白ジャージでノッポのレイと黒ジャージのふとっちょジョーが八木と水瀬にお疲れさんです、と頭を下げる。
「水瀬、この重大任務はお前に任せる」
「はぁ?」
水瀬は思わず頓狂な声を上げる。八木は背中を向けたままポケットに手を突っ込み、タバコの煙をくゆらせている。この男はいつもハードボイルドを決め込んでいるが、水瀬は知っている。その頭はヅラだ。
「俺は先月、病に倒れた。悔しいが身体がいうことをきかねえ。水瀬、お前は見込みがある。島に行って鬼斬り国光を見事取り戻してこい」
水瀬はあからさまに顔を歪める。八木は先月尿路結石で入院した。しかも再発だ。何が病だ、面倒な仕事を押しつけやがって。
「カシラは行かねえんですか」
「バカ野郎、お前に花を持たせようっていう俺の気持ちがわからねえのか」
八木は水瀬の頭を小突く。どうも、本気で行きたくないようだ。
八木は中古のベンツに乗って去って行った。
黒ジャージのジョーが水瀬のBMWを回してくる。ハイクラスの黒のセダンだが、中古車だ。弱小神原組の看板ではこれが精一杯の見栄だった。
「水瀬さん」
娘の美鈴が帰ろうとする水瀬に声をかける。
「お嬢さん、どうしました」
「父の無理な願いを聞いていただき、ありがとうございます」
殊勝な態度で頭を下げられ、水瀬は恐縮する。こんな良い子があのゴリラの娘とはやはり信じられない。
「ところで、オヤジは何の病気なの」
突然呼び出されて病の床に伏せている姿を目の当たりにしたが、何の病気で寝込んでいるのか水瀬も八木も知らされていない。
「わかりません、昨日から具合が悪くて」
「え、病院は」
「病院を嫌って絶対行こうとしないんです。お腹が痛いらしいんですけど」
「それ、病院行くのが先決じゃないか」
水瀬は半ば呆れている。しかしあの頑固な組長だ、家族が言ったところで聞かないのだろう。
「救急車を呼んでおいてやるよ」
水瀬はスマートフォンを取り出し、救急隊に神原邸の住所を伝えた。
「ありがとうございます」
美鈴は恐縮して深く頭を下げた。
高級住宅街の坂道を下る車中で水瀬は大きな溜息をつく。
「刑務所か、一番行きたくねえ場所だ」
「この刑務所、かなりの曰くつきみたいです」
ぼやく水瀬に白ジャージのレイが淡々とした口調で追い打ちをかける。刑務所の地下研究施設の噂、徘徊する怪人、囚人の亡霊、失踪したYouTuberの若者とオカルティックな噂に事欠かない。
「ああ、おっかねえ」
水瀬は情けない声で呟くと、頭を抱えた。
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