第一章 神室島リゾートモニターツアー

火鳥探偵社の場合

 ローカル線の小さな駅の改札を出て閑散としたシャッター通りの商店街を抜け、鞄屋の角を曲がる。

 裏通りの雑居ビル三階に「火鳥探偵社かとりたんていしゃ」はあった。昭和のバブル期に建てられた古いビルは築三八年を数える。


 火鳥かとりはるかは雑然とした貧乏事務所に似つかわしくないマホガニー材の和製アンティーク机でノートパソコンに向かっていた。この机は事務所の以前の持ち主、火鳥の父が残したものだ。父もまた探偵だった。


 火鳥は大学卒業後、地元広告代理店に就職。営業の傍らチラシのデザインやホームページ制作も手がけた。

 あるとき、大手得意客である飲食チェーン店部長が横暴な条件をつけてきた。競合店の宣伝を妨害する内容で、火鳥は道義に反するとストレートに断りを入れた。

 その態度が気に食わないと自社の専務にクレームが入り、担当を外され謝罪文を書くよう強要された。

 火鳥はそれをつっぱね、謝罪文の代わりに辞職願を叩きつけた。25才のときだ。


 定職につかず短期バイトを転々としながら父の探偵業を片手間で手伝っていたとき、父が捜索中の事件に巻き込まれて死んだ。火鳥は27才だった。

 人助けのような金にならない仕事や大手探偵社が相手にしないせせこましい案件で細々食いつないでいた苦労人の父の背中を見てきた。貧乏暇無し、こうはなりたくないと思っていた火鳥だが、不本意ながら父の跡を継いで探偵事務所の看板を残すことにした。


 探偵といっても、ハリウッド映画のようにトレンチコートを着てタバコを吹かしながら殺人事件を捜査するようなクールな仕事ではない。浮気調査や、雇用や結婚前の身辺調査、人捜しもあるがそれすら稀で、せいぜい逃げ出したペットを探すことの方が多い。ひどいときはまる一月依頼が無いこともある。


 探偵稼業だけでは事務所の維持すらままならないため、ライター業とブログ収入で小銭を稼いでいる。趣味と実益を兼ねてホラー系ブログを開設して固定ファンもつき、広告収入はそこそこある。

 二束三文の文筆業だが、ちりも積もれば水道代の足しにはなる。そうやって5年食いつないできた。


 子供の頃から本は好きで、妖怪や怪談、都市伝説などオカルトものに没頭した。物書きも生業と思えた。

 オカルトに興味があったのは、母が“視える”人だったからだ。この世のものではない、そこにいるはずのないものが見えた。その血を受け継いだためか、火鳥も勘が鋭いところがあった。


 階段を上がってくる足音が聞こえてくる。一段飛ばしの活気あるリズムは智也だ。

 ピンポンと呼び鈴が鳴り、返事をする前に扉が開いた。

はる兄、いる?」

 火鳥の顔を見てにっと笑顔を向けたのは、従弟の木島智也だ。


 智也は大学三回生で、民俗学を専攻している。快活な性格で友人も多い。休みの日には神社仏閣や史跡を訪ねるフィールドワークに明け暮れ、趣味が忙しくて彼女を作る暇が無いと笑っている。

 実際、180センチ近い高身長で優しげな目元、すらりと鼻筋も通ってモテるタイプの顔立ちだが、彼のオタク気質に付き合える女性はなかなかいないらしい。


 智也は勝手知ったる事務所に上がり込み、応接セットのソファに腰掛けた。頒布の肩掛けバッグからカラープリントのチラシを取り出す。今日の用件はそのチラシにあるようだ。

 火鳥はティファールのポットで湯を沸かし、コーヒーの用意を始める。戸棚からマグカップを二つ取り出した。いつも遊びに来る智也はここに置きカップをしている。


 ドリップしたコーヒーをマグカップに注ぎ、テーブルに置く。火鳥もソファに腰掛けた。スプリングがかなりへたっており、いつか買い換えようと常々思うが、ここへ来る客の少なさを思うとコスパを考えてしまう。

「これ見てよ」

 智也は興奮気味にチラシを手渡す。火鳥は分厚いレンズが入った黒縁眼鏡をクイと持ち上げ、チラシに目を通す。


「絶海の孤島、神島刑務所見学モニターツアーか」

 火鳥は形の良い唇を突き出す。物事に興味を示したとき、無意識に出るサインだ。それを知る智也はニンマリ笑う。

 チラシの内容は、瀬戸内海に浮かぶ神室島に秘密裏に建てられ、戦後間もなく閉鎖されて今は廃墟となった神島刑務所跡を見学する参加無料のモニターツアーで、地元旅行社と観光局が共同主催しているものだ。


「神室島の廃刑務所か、ネットの廃墟系サイトで話題になっていたことがある」

 火鳥はポケットからスマートフォンを取り出し、キーワードを入力して検索する。何でも調査から入るのは探偵業の癖だ。

「廃墟マニアに人気のスポットだが、島へ行くのが困難なためネットに上がっている写真は少ないな」

 火鳥は真剣な面持ちで画面をスクロールする。


「神島刑務所には戦時中、人体実験でリサイクル兵士を作ろうとしたという黒い噂もあるんだ」

「リサイクル兵士って何だ」

「死体を再生させて兵士を作るんだよ。資源も人員も枯渇した日本軍の最終兵器として、刑務所の囚人を利用して非人道的な研究が進められていたらしい」

 智也も下調べをしてきたらしい。


「このモニターツアー、結構な倍率だったらしいんだけど当選したんだよ。二泊三日なんだ。遙兄も一緒に行こう」

 智也がソファから身を乗り出す。

「俺が年中暇だと思っているんだろう」

 火鳥は目を細めて智也をじっと見据える。智也はその眼光に思わず身を引く。

「いや、そんなまさか。遙兄も興味あるかなと思って」

「どうせ暇だよ、都合はつく」

 火鳥はニヤリと唇を歪めていたずらっぽく笑い、智也のおでこを人指し指で弾いた。


「良かった。真里も一緒に行くよ」

 智也は白い歯を見せて笑う。真里は智也の妹で、高校2年生だ。

「真里は廃墟なんかに興味あるのか」

「神室島をリゾート施設として開発する計画もあるんだ。新しいグランピング施設で宿泊するって特典もある。真里には瀬戸内海のリゾートで豪遊できるって言ってあるよ」

 あとからどやされるパターンだ、と思いながら火鳥は淹れ立ての香り立つコーヒーを口に含む。


 十才も離れた智也と、その妹の真里とは子供の頃から遊んでいた。二人は火鳥の父の弟の子供にあたる。

 智也も真里もオカルト好きの賢い年上の従兄である火鳥によく懐いていた。この火鳥探偵社も遊び場のひとつで、今も二人は学校帰りに火鳥の顔を覗きにやってくる。


 ネットサーフィンをしていると気になる記事見出しを見つけ、クリックする。

「昨年の9月、3人のYouTuberが神島刑務所跡へ向かって行方不明になっている。チャンネルに刑務所跡、と次回予告を残して消息を絶っているようだ」

 島へ行った確証もなく、若者の失踪事件として警察に処理されている。

「オカルトな素材も揃ってる、ブログのネタになるよ」

 智也は旅の道連れができて嬉しそうだ。

「出発は3週間後だな、予定しておくよ」

 火鳥はスマートフォンのスケジュールに“神島刑務所ツアー”と書き込んだ。

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