囚人番号五七九 三島 豊の手記
幻の刑務所
私は謂われ無き罪状でこの神島刑務所に投獄された。ここへ来る前は神戸の地方紙の記者をしていた。近衛内閣総辞職、平沼内閣成立の年だ。
日本は1931年の満州事変を皮切りに軍国主義が加速、好戦的なプロパガンダが新聞、ラジオを席巻していた。アジアの覇権を握ろうとする日本を牽制するアメリカ、イギリスの関係は険悪となり、世界大戦への気運が高まっていた。
言論統制、粛正の荒波が押し寄せる中、地元で開催された平和集会の小さな記事がことの発端だった。
記事が夕刊に掲載された翌日、私は自宅に乗り込んできた特高(特別高等警察)に逮捕された。罪状は治安維持違反。当時、戦争に向かって邁進する日本を憂う心ある記者が同罪で次々と刑務所へ送られて、帰ってこなかった。
私は神戸留置所へ三日間放り込まれた後、神戸港から船に乗せられ瀬戸内の島へと連行された。
桟橋に下ろされた私は無慈悲な断崖を見上げて、絶望した。
警棒を持った看守に背中を突かれ、急な階段を上っていく。崖の上には煉瓦造りの立派な門がそびえ立っていた。
その瀟洒な造りは建築家山室禮次郎が設計した明治の五大監獄を思い起こさせた。西洋の城門を彷彿とさせる美しい門は、明治時代の日本の近代化への情熱が覗い知れる。
この外観は山室の設計に違いない、と直感した。
五大監獄と呼ばれているが、実は六つめの監獄があるとまことしやかに噂されていた。場所は冬は極寒の北海道の僻地か、日本海の離島かと憶測を呼んだが、まさか瀬戸内の島にあるとは。非人道的な運営のため、その存在が明かされていないと聞いていた。軍部が秘密裏に管理する刑務所とも言われている。
そして今、私はその幻の監獄へ収監されようとしていた。
ここから逃げ延びた者はいない、と看守はいう。
正面にはそびえ立つ岩山、背後は海。近くの無人島まで泳いでいこうにも、海流により太洋に流されて遺体は陸に漂着できないという。
ここは本土に置けない凶悪犯を中心に、政治犯、精神病持ちが投獄されているということだった。
最小限の手荷物を検閲され、消毒、散髪を経て渡されたねずみ色の擦り切れた囚人服に手を通した。連れていかれたのはロ棟-17という雑居房だった。同居人はひとり。ここが長い様子で、私を一瞥すると寝台に丸まって眠ってしまった。
私は後悔の念に打ちひしがれた。おそらく、編集長も無事では済まないだろう。
私には婚約者がいる。名前は博子。彼女は私がここへいることを知る術もない。私はここを生きて出られるのだろうか。それすら分からない。
ここで私に与えられた名前は囚人番号五七九。
記者として生きた証に、この手記を記す。
昭和14年 9月26日 三島 豊
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