所長室の隠し書庫

「昭和十一年に一時閉鎖され、三年後に精神医療棟を増築しての再開というのが気になるな」

 火鳥は年表を眺めて三年の空白期間に注目する。ちょうど太平洋戦争まっただ中、諸外国から孤立して物資も働き手も枯渇していたはずだ。それなのに三年もかけて地下施設まである建造物の増築を強行している。


「資源が乏しいご時世に、精神医療棟の増築はそれほどに重要な事業だったのだろうか。オープンに合わせたように本郷が所長に就任している」


 刑務所史には収容人数の年間推移の記録もあった。昭和十四年の再開から新規収容人数はコンスタントに増加している。刑務所にも収容人数の制限がある。入所する囚人が増えるなら出所する囚人もいるはずだ。しかし、その数には乖離があるように思えた。

「囚人は一体どこへ消えていたのだろう」

 火鳥と智也は顔を見合わせる。


 他ページは囚人たちの就労する姿や、運動場に整列して体操する平穏な日常の写真が並ぶ。健全な刑務所のプロパガンダには用はない。

「他に何か手がかりは無いだろうか」

 火鳥と智也は本棚を物色するが、地域の風土記や古典文学の本など、当たり障りのない本が並ぶだけだ。刑務所に関する書籍は一冊の刑務所史だけしか無かった。


「クソ、どこにもねえ」

 所長室を物色していた水瀬は探し物が見つからず、苛立っている。

 クローゼットを開けると、所長が着ていたものだろうか、保存状態の良い軍服が掛けられていた。胸元には立派な勲章がぶら下がっている。お偉いさんの権威主義というのは虫唾が走る。水瀬はチッと舌打ちをして扉を閉めた。


「そう言えば、何を探しているんだ」

 水瀬の探し物を聞いていなかった。火鳥はやさぐれる水瀬に声をかける。

「日本刀だ、鬼斬り国光とかいう大層な名刀らしいわ。ここに収容されたヤクザの親分が取り上げられたのを孫の代まで根に持って、取り戻して来いって話しだよ」

 水瀬は面倒臭そうに頭をかきながら本棚にもたれかかる。


「うおっ」

 水瀬が頓狂な声を上げた。体重をかけたところに本棚の一部がぐらりと動いたのだ。所長室にいる全員が驚いて振り向く。本棚がスライドし、背後に別の棚が現われた。

「隠し棚になっていたのか、でかしたぞ水瀬」

 背面の棚には紐で綴られた文書や分厚いファイルが並んでいる。火鳥は興奮に震える指で背表紙をなぞる。看守の業務日誌や、囚人の個人ファイルなど生々しい記録が並んでいた。


「本来なら処分されてしかるべき極秘文書だ。本郷署長は刑務所が閉鎖される年に起きた大規模な囚人の暴動によって殺害されたと聞いている。この場所は彼だけが知っていたのだろう」

 福原も大量の文書の発見に目を見開く。黄ばんだ羊皮紙にインクで書かれた文書は湿気で滲んで読めないものも多いが、公の文書である刑務所史よりもより多くの情報が得られるはずだ。


「ここを脱獄する方法が書いてあれば教えてくれ」

 河原は興味を示さず、ソファにどっかりと腰を下ろした。秋山はバッグからピンク色のカートリッジの過熱式タバコを取り出し、吸い始めた。


 火鳥と智也は文書を机の上に積み上げ、読み漁る。

「あのう、手伝ってもいいですか」

 時岡がおずおずと声をかける。

「もちろん、お願いします」

 智也は喜んで歓迎する。時岡は嬉しそうに文書の山からファイルを取り出し、読み始めた。金村も横から手を伸ばし、ページを捲っていく。


 黒色のファイルには囚人の写真とプロフィールが綴られていた。

「これは囚人のリストだ」

 囚人の顔とバストアップの写真が貼り付けられている。画素数が荒く、どの顔も恐ろしい剣幕に見えて、智也は思わず肌を粟立てる。


 囚人一人一人を赤色のスタンプで甲・乙・丙と分類している。一体何の分類だろうか。犯罪歴を見ると、凶悪犯ほど甲である割合が高いように思えた。それに、プロフィールから体格が良さそうな人間を選んでいる。


 ファイルの最後に綴じられていたのは、丸眼鏡をかけた細身の男だ。ここの凶悪犯とは相容れない大人しそうな顔をしている。

 どこか知的な雰囲気すら漂わせているが、切れ長の目には光が無く、真っ暗な深淵に吸い込まれるような錯覚を覚えて智也は慌ててファイルを閉じた。男のプロフィールにスタンプは押されていなかった。


「研究施設か、かなり立派だな」

 火鳥は当時の最新鋭の実験機器や巨大なガラスポッドが並ぶ部屋の写真を眺める。液体を満たしたポッドの中には配線に繋がれた人影が見えた。

「刑務所で一体何を研究していたの」

 真里が首を傾げる。尤もな意見だ。火鳥はページを捲ろうとして手を止めた。

「見ない方がいい」

 真里はその意味を理解して、机から距離を取る。


 行われていたのは囚人を使った人体実験だ。生きたまま生体解剖をして臓器をどこまで取り除いて生きられるか、家畜の臓器と入れ替えて生き続けることができるか。人権を無視したおぞましい実験内容と結果が淡々と綴られている。

 極度の寒さ、熱にどこまで耐えられるか。結核菌やペストに感染させ、無治療でどのような経過を辿るか。

 医学の名の元に行われた非人道的な実験の数々に、火鳥は目眩を覚える。


 中でもこれを本気でやったのか正気を疑ったのは、瀕死の状態まで血液を絞り出し、変わりに血管に海水を流し込むという実験だ。大学名は伏せられているが、高名な医学部の教授が招かれ、囚人に海水置換術を施している。

 もちろん結果は失敗に終わっていた。輸血の変わりに海水を使うことができれば、前線の兵士の命を救えるという大義の元に行われた実験だった。憐れな囚人の命は吹けば飛ぶように消えていった。


「収容されていた囚人を生存の保証のない生体実験の検体として用いていた。これがこの刑務所の黒い噂の真相だ」

 火鳥はさらにページを捲る。

 髪の毛をきれいに剃り上げた頭部の三箇所に丸い穴が開いている。前頭葉を破壊し、恐怖や痛みを感じず、命令にのみ従う兵士を作るロボトミー手術だ。これもただの廃人を作り出しただけに終わったようだ。


 筋肉増強剤を心臓の負担ぎりぎりまで投与し、屈強な肉体を持つ兵士を作る実験の記録もあった。

「きっと、この囚人たちは実験の候補者だ。生来健康で、逞しい体格の囚人が選ばれている」

 智也の持つ黒いファイルのスタンプの意味するところが繋がった。

「あの大男はこの刑務所で行われた非道な人体実験の産物なのか」

 火鳥は神妙な顔でファイルを閉じる。

「人体実験で生まれた怪人がいたとして、今まで生きながらえている理由の説明がつかないわ」

 金村は紫色のネイルを塗った指でページを捲り、取っ替えひっかえ資料を漁っている。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る