愛国者の執念

「人体実験ね、人命を顧みず好き勝手な実験が可能なら、日本の医療はもっと早く進歩していたかもしれないわね」

 文書漁りに全く興味を示していなかったと思われた秋山が、冷ややかな目で陰惨な資料を見下ろす。智也は意外だという表情で秋山を見つめる。


「新しいクスリが開発されるまでには動物実験や培養細胞でテストを繰り返し、安全性を充分評価する。そして最終段階で人間を対象に“治験”を行うわけ。この治験が一番大変なのよ。それをすっとばして開発ができるなら、開発期間も費用も大幅にコストカットできるのよ」

 秋山は加熱式タバコの煙を天井に向けて吐き出す。それは溜息のように重い。


「ずいぶん詳しいですね」

 火鳥も秋山に興味が沸いたようだ。

「私はミライ製薬でMR(医療情報担当者)をしているのよ」

「では、人見さんもそうだったんですか」

「真吾は新薬開発部門よ。彼らと飲むといつもタチの悪いジョークが飛んでいたわ。ここへ来たのも真吾が産業遺産を見に行きたいって誘ったからなのよ。古い建築が好きだなんて知らなかったわ」

 秋山は人見の在りし日の面影が脳裏に浮かんだのか、目尻に涙を浮かべている。


 真里が火鳥の腕を肘でつつく。彼女は恋人を失ったばかりなのだ。しかも、理不尽にも残虐な怪人の手によって。探偵という職業柄とは言え、デリカシーがなさ過ぎる。

 秋山はまたソファに身を投げ、スマートフォンをいじり始めた。


「あったわ、これよ」

 金村が大量の写真とレポートが綴じられたファイルを机に広げる。ファイルの背表紙には“超常研究報告書”と書かれてあり、表紙には”極秘”の赤いスタンプが押されていた。

 そこに記されていたのは、超自然現象や霊的なもの、呪術に関する実験の数々だった。島に呪術者を招き霊と交信する実験や、人形ひとがたで対象を呪い殺す実験など、オカルトと笑い飛ばされそうなことを大真面目に行い、それを逐一報告書として記録している。


「ここの所長は極度のオカルトマニアだったの」

 真里は意味がわからない、と首を傾げる。水晶玉や数珠、御札や人形などうさんくさいグッズの写真が並んでいる。しかし、どれも思わしい結果は得られなかったようだ。

「いや、そうそうバカにできない。ナチスの指導者ヒトラーもオカルト研究に没頭していたと聞く。超古代文明の遺物を収集して当時の儀式を再現したり、エイリアンと交信する術を研究していたという」

「日本でもオカルト実験が行われていたなんて、興味深いよ」

 火鳥と智也は真剣な顔で資料を捲る。


「屈強な兵士を作ること、敵国の指導者を呪い殺すこと、人体実験もオカルト実験も、行き着くところは太平洋戦争における日本の勝利への執念だ。本郷は生粋の愛国主義者だった」

 囚人の命など、大きな使命の前には軽んじられて当然だったのだろう。神島刑務所には本郷の黒い意思が渦巻いている。火鳥がここへ来てから感じていた悪意の理由が輪郭を帯びてきた。


「ここには本郷の邪悪な思念を継ぐ何かがある」

 火鳥は黒縁眼鏡をくいと持ち上げる。

「ハンマーの怪人が当時の囚人だとしたら、呪術の力で動かされているってことか」

 智也は巨漢の溶接工を思い出し、身震いする。とすれば、オカルト実験は失敗ばかりではなかったということだ。

「そうね、刑務所のどこかにある呪術の源を止めなければ、ここから出られないでしょう」

 金村も真顔で頷く。


「祖父が働いていた刑務所で、こんなことが起きていたなんて」

 福原は囚人の更生と再出発を願い、職務についていた祖父を誇りに思っていた。祖父からは地下研究所で囚人を使った恐ろしい実験が行われていたなど、聞いたことが無かった。

 福原は次々に明かされる刑務所の真実がよほどショックだったらしく、ひどく落胆している。

「知っていたのは一部の幹部と実験に関わった者たちだけだろう。末端の者は口封じをされた可能性はある。じいさんが生きていたというなら、関わりは無かったってことだ」

 火鳥の言葉に福原は弱々しく頷いた。


「おおおっ」

 不意に水瀬が叫ぶ。ファイルの山から見つけた没収物リストに興奮している。

「火鳥、これだ」

 水瀬が示したのは、黒鞘の日本刀の写真だ。柄に組紐が巻かれ、鍔もついた立派な品だ。“備前長船一文字国光”と書かれており、鬼斬り国光に間違い無い。神原勢津夫の名も記録されている。

 水瀬は感激の余り、目頭を押さえている。


「探し物の刀がここに来たことまでは分かったが、閉鎖のときに持ち去られた可能性もあるぞ」

 火鳥に言われ、その可能性まで考えが及ばなかった水瀬は目を見開き、愕然とする。

「刑務所が閉鎖されるときに押収品は回収されたか、破棄されたと聞いています。お探しのものは刀ですか。もしかすると、進駐軍に流れたということもあったかもしれません」

 日本の刀は武器であり美術品だ。米軍が没収して本土に持ち帰り、コレクターに高値で売るようなケースも多かったという。


「マジかよ、くそっ」

 水瀬は頭を抱えて所長椅子に座り、床を蹴ってくるくる回り始めた。

「喜んだりふて腐れたり、小学生みたいな奴だな」

 火鳥は面白がっている。

「人ごとだと思って、この野郎」

「俺は約束を守る。探すのは手伝うぞ」

 水瀬と火鳥の低レベルなケンカをよそに、金村はリストに注目する。


「この没収物リスト、ガラクタがほとんどだけどあなたの探している鬼斬り国光には所長印のスタンプが押されているわ」

 数あるファイルの中に同じスタンプが押されていたものがあと二つある、という。

「この封魔鏡ふうまきょうと、覇神魂はしんだまよ」

 覇神鏡は背面に中国の神獣が描かれた古代の銅鏡のようだ。覇神魂は陰陽印、つまり勾玉のような形状をしている。


「剣に、鏡に、勾玉、これって三種の神器じゃないか」

 智也が興奮気味に声を上げる。これらは日本神話に出てくる三種の神器になぞらえた品だ。

「そうね、オカルト研究に没頭していた所長がこれらを集めて何をしようとしていたのかしら」

 金村はさらに情報を探ろうとファイルの山をひっくり返す。いよいよ不穏な話になってきた。真里は不安げに唇を引き結んでいる。


 ドン、と衝撃音が聞こえた。所長室の扉に全員が注目する。ソファに座っていた河原と秋山は驚いて跳ねるように立ち上がった。

 ドン、ドンと苛立ちを露わにしながら音は次第に大きくなる。

「まさか、あいつがここに」

 秋山は青ざめる。二人を無慈悲に撲殺したハンマーの溶接工がここまでやってきたのだ。

「やだ、嘘でしょ」

 真里は震えながら智也にしがみつく。火鳥は二人を窓際に下がらせる。


「と、扉は施錠してあります」

 中桐が皆を落ち着かせる。一番動揺しているのは彼だ。

「この部屋の扉は特別頑丈だと聞いています」

 福原はそうは言うが、だから安全だという保証などない。あの壁を破壊する威力のハンマーで殴られ続けたら、いくら頑丈だとはいえどこまで保つか。


「あんたのオカルトグッズは役に立たないのか」

 いつ破られるかもしれない扉を警戒しながら、火鳥は金村に尋ねる。

「ああいう肉弾系には無理よね」

 金村は平然と答える。それを聞いて、水瀬は腕につけた水晶玉を二度見している。金村から三万円で買ったものだ。

「おい、これ効かねえのかよ」

「安心しなさい、スピリチュアルなものに対抗する力があるわ」

「スピ・・・?」

 金村は横文字で水瀬を煙に巻いた。


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