囚人番号五七九 三島 豊の手記(二)
忌まわしい噂
私がこの神島刑務所に来て二ヶ月が過ぎようとしている。いや、本当は三ヶ月なのだろうか。日付の感覚が失われていく。
季節の移ろいは、短い休憩時間に運動場に出たときに見える背後の山の木々に感じられた。みるみる枯れてゆく木々は、冬の到来を示してた。
ここでの暮らしには漸く慣れてきた。私は模範囚として振る舞っており、看守から目をつけられることもなく、他の囚人と問題を起こすこともなく、穏便に過ごしていた。
面会は基本、月に一度は許されているはずだが、私は政治犯という括りのために、模範囚とはいえそれを許されることはなかった。
突然、特高に拉致されてここへ連行されたが、家族は私の所在を知らされていないと思われる。何せ、手紙一通も来ないのだ。
朝六時に起床して点呼、ラジオ体操をして朝食。昼間は縫製や木工などの簡易作業。昼食の後は運動場で一時間自由を与えられる。それからまた簡易作業、夕食。夜は九時就寝を厳しく言い渡されていた。
棟全体の電気が落ちるので、眠る他ない。こんな規則正しい生活は何年ぶりだろうか。記者時代よりも健康的なのは皮肉なことだ。
私が収容されているのは、一般獄舎だ。監視所を中心に五つの二階建ての獄舎が放射状に伸びており、右から順にイ、ロ棟が雑居房、ハ、ニ、ホ棟が独房という造りになっている。
他に凶悪犯を収容する鉄筋コンクリ-トの重警備棟、重症の精神病患者を収容する精神棟があるらしい。
同室の男は非常に寡黙だが、神島刑務所のことをよく知っていた。
名前を川越 藤司といった。罪状は違法集会開催と群衆扇動。彼は寺の住職で、侵略戦争の過ちと命の大切さを説いた説法の最中に官憲に逮捕、拘束されてここへ送られたと聞いた。
頭を丸める必要は無かった、と真顔で話していたのが印象的だ。
「口は禍の元」
川越はそれをここへ来てからの座右の銘にしたようだ。
川越が住職であるとそれとなく知った囚人が、自由時間に彼を訪ねてくる。宗派は違えども、心の救いを求めているのだろう。
川越は多くを語らないが、囚人たちは彼に奇妙な相談をすることがあった。
深夜に独房の前を怪人がうろついている、ここは呪われているというものだ。隣の房の囚人が真夜中に連行され、戻って来ないこともあるという。次は自分の晩ではないかと怯えていた。
この孤島の刑務所で一体何が起きているのだろうか。
昭和14年 11月某日 三島 豊
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