第二章 神島廃刑務所の異変

廃刑務所への上陸

 早めの昼食を済ませて港に集合した。神室島にはめぼしい食堂が二軒しかなく、一軒は店主が体調不良で休業と張り紙が出ていた。

 必然的にツアー客が同じ食堂で顔を合わせる。鄙びた食堂だが新鮮な魚を使った定食はボリュームがあり、コスパが良い。

 一度に大勢の客が訪れたので、じいさんとばあさんの二人で切り盛りしている食堂はてんやわんやで、気の毒に思えた。


「みなさん、いよいよこれから神島廃刑務所見学へ向かいます」

 港に停泊している漁船の前で中桐が手を振る。

「刑務所は陸続きなのに、船で行くの」

 秋山が老朽化が著しい漁船を横目で見やる。明るい茶色に染めた長い髪をまとめ上げ、大ぶりのレンズのサングラスをかけている。

 赤色のカーディガンに白のパンツ、ヒールの高いサンダルにコーチのバッグを肩に掛けた姿は街歩きの様相だ。

 行程表には歩きやすい格好で、と書いたはずだ。早稲田は内心呆れている。


 連れの人見と同じ企業で働いているが、秋山は営業、人見は研究職だと聞いている。自信たっぷりで堂々とした物言いは営業ならではといった感じを受ける。

 反対に人見は物静かで、穏やかでまったく違うタイプのカップルだった。


「そうです、集落とは高い塀で阻まれていまして、往来できないようになっているんです。船で島を回り込んで刑務所側へ上陸します。およそ二十分程度です」

 中桐は集落とは隔絶された場所、という特別感は売りになると思っている。船で向かうのは面倒ではあるが、本土の刑務所観光には無い離島ならではのユニークなアクセス方法はきっと話題になる。


「今日は島の漁師さんに特別に船を出してもらいます」

 早稲田が営業スマイルを振りまく。段上達也は島に残る数少ない若者だ。彼の前にベテランの漁師三人に依頼したが、神島刑務所に行くのはご免だと悉く断られた。彼なら行ってくれるかもしれない、と紹介されたのが段上だ。

 段上は最初は断る素振りを見せていたが、三万円という金額を提示するとすんなり受諾した。ついでに付き合わないか、と下心を見せられたが早稲田はきっぱり断った。


 段上はこうした交渉に慣れているのではないか、と中桐は思う。下見に行ったとき、物好きな連中が島に上陸した形跡があった。ネットで有名になりたい廃墟マニアやオカルトマニアだろう。

 他の漁師が断るのを知っており、足もとを見て値段をつり上げている。したたかな奴だ。

 正式に観光ツアーが組まれたら、晴野リゾートで高速船と運転手を手配する予定だ。こんな輩には関わらずに済ませたい。


「そして、こちらは刑務所を案内してくれる福原孝司さんです。福原さんのおじいさんは神島刑務所で刑務官をされていました」

 中桐と早稲田は福原に会釈する。福原はチャコールグレーのジャケットに、ブラウンのチェックのシャツ、生成りのチノパン、スニーカー姿で、年の頃は50代だろうか。頭には白いものが混じり、金縁眼鏡をかけた顔には穏やかな笑顔が浮かんでいる。


「みなさん、僭越ながらガイドを務めさせていただきます、福原です。私の祖父は神島刑務所で刑務官をしていました。子供の頃、祖父からよく刑務所での仕事の話を聞きました。今は守秘義務だなんだとうるさい時代ですが、祖父の話は時効ということにしておいてください」

 福原はユーモアのセンスもあり、親しみが持てた。ツアー客も思わぬゲストを歓迎している。


 生臭い匂いが染みついた漁船はツアー客を乗せて港を出発する。内湾を出て島の外周に沿って走る。

「この辺は険しい岩場で、操縦が難しいんだ」

 段上は得意げに舵輪を操作する。

「島の周辺で転覆事故がよく起きると聞いているが、本当なのか」

 火鳥が尋ねる。段上は真里を意識していたが、連れのスカした男からの反応に目を泳がせる。


「海底から突き出た岩が案外高くて、船底を引っかける。島の漁師は地形を心得ているけど、それでも油断することはあるからね」

 自分はそうではない、とでも言いたげな態度だ。

「水難事故は呪いや怪奇現象というわけじゃなさそうだ」

 火鳥は海を眺める。黒く見える海面は水面下がすぐ岩場なのだろう。

「そうは言っても不気味ね」

 この船が転覆しませんように、と真里は心の隅で祈った。


 神室島を半周した頃合いに、神島廃刑務所の建造物が見えてきた。西側にはそびえ立つ岩山、正面には煉瓦造りの門、背面の高い壁と鬱蒼とした森が明るい昼間だというのに不気味な影を落としている。

 西側の岬にはくすんだ灰色の灯台が見えた。灯台もまた廃墟のようだ。


「予想以上だ、素晴らしいロケーションだ」

 河原は漁船の舳先に立ち、望遠レンズで刑務所正面を激写している。数多の廃墟を歩いてきた彼にもこの景観には興奮を隠せないようだ。

「すごいよ、映画のセットみたいだ」

 智也も子供のようにはしゃいでいる。真里に同意を求めて呆れられている。


「風が冷たくなってきたわ」

 金村が肩掛けバッグに巻き付けていた青色の厚手のストールを肩に巻く。空を見上げると、先ほどまで広がっていた青空に薄雲が立ちこめ始めていた。日が陰るとやや肌寒く感じる。


 段上は桟橋に漁船をつなぐ。先ほどまで穏やかだった海だが、波が高くなっており桟橋に降りるのに注意が必要だった。

「段上さんは見学時間終了の四時に迎えに来てくれます」

 行きましょう、と中桐は断崖の階段を上るよう促す。福原が先頭に立ち、ツアー客を先導する。


「この桟橋に本土から船で運ばれてきた囚人たちが降り立ち、鎖で連結された手錠をつけて階段を上りました」

 断崖を削って作られた高さも不揃いで急な階段は、波飛沫に濡れて滑りやすい。

「ここで先頭の囚人が足を滑らせ、将棋倒しに十二人が階段を転げ落ちたことがありました。鎖で繋がれていた囚人たちは狭い桟橋から次々に海へ転落しました」

 福原は足を止めて振り向く。


「そして、彼らは浮かんではこなかった。この辺りはかなりの深度があり、刑務官も助けることはできなかったそうです。皆さんも足を滑らせないように気をつけてくださいね」

 福原はにんまり笑う。

「早く手すりをつけた方がいいわ、本当に危ないもの」

 縁起でもない話に不機嫌になった秋山が語気を強める。

「そうやって当時の景観が見る影もなくなる。なんでもかんでもバリアフリーってのも考えものだ」

 誰にともなく発した河原の言葉に、秋山はさらにへそを曲げる。人見が憤慨する彼女を困った顔で宥めている。




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