消えた真里

 溶接工が猪突猛進の勢いで火鳥の目の前に迫る。血飛沫の散った鉄仮面の四角いのぞき窓から凶暴な光が覗く。火鳥はまだその場を動かない。溶接工は目の前の男を叩き潰そうとハンマーを振り上げる。見えないはずの仮面の下で壮絶な笑みを浮かべているように思えた。

 ハンマーが振り下ろされる瞬間、火鳥は溶接工の脇をすり抜け、背後に回り込んだ。床に叩きつけられたハンマーの衝撃で、コンクリートの破片が飛び散る。溶接工はすぐにハンマーを持ち替え、獲物を捕えようと滅茶苦茶に振り回し始めた。


 ガツン、と手応えがあった。何故か目の前に錆びた鉄格子があった。火鳥と水瀬が外れて倒れていた雑居房の鉄格子を持ち上げ、溶接工に叩きつけたのだ。

「ウゴオオッ」

 溶接工は怒りの唸り声を上げる。

「このまま押せっ」

 右側の支柱を持つ火鳥は鉄格子を押す手に力を込める。

「うおおおっ」

 左側を持つ水瀬も足を踏みしめ、推し進めていく。溶接工はじりじりと後退る。


 しかし、医術と呪術で強化された怪人は一度は怯んだものの、鉄格子を押し戻してくる。

「まずいな、失敗か。最悪の場合せーので逃げるぞ」

 火鳥は奥歯を食いしばる。

「畜生、また逃げるのかよ」

 水瀬も悔しそうに叫ぶ。これ以上、こんな殺人筋肉ダルマと追いかけっこはご免だ。その時、通路から智也と金村が走ってくるのが見えた。

「お前たち何してる、逃げろ」

 火鳥は目を見開き、叫ぶ。


「手伝うよ、遙兄」

 智也が火鳥の側について鉄格子を押し始める。

「まったく無謀な作戦ね」

 金村は呆れながらも水瀬が側についた。四人がかりの力に敵わず、溶接工は鉄扉に向かって押されていく。溶接工の踵が半分扉の外に出ている。あと少しだ。

「行けえぇええ」

 全員がコンクリートに足を踏みしめ、力を込めた。バランスを崩した溶接工は階段を転がり落ち、収容棟の外へ追い出された。


 しかし、すぐに立ち上がり、怒りの雄叫びを轟かせながら鉄扉に向かってくる。

「奴が戻ってくる」

 智也が青ざめる。しかし、火鳥は溶接工の動きを冷静に見守っている。溶接工の太い指が鉄扉を掴んだ。何故かそこから動かない。いや、動けないようだ。溶接工はブルブルと身体を震わせている。次の瞬間、恐ろしい勢いで巨体が背後にぶっ飛んだ。

「えっ、何で」

 智也は驚いて目を丸める。扉の外には蠱毒の封印を解いたために蘇った巨大な黒い蟇蛙が待っていた。溶接工は化け蛙の強力な粘液を滴らせる長い舌に巻き取られ、身動きができず、もがいている。


 化け蛙は驚くほど巨大な口を開けて巨漢を丸呑みしてしまった。目の前で繰り広げられる恐ろしい光景に、水瀬は白目を剥いて口をポカンと開けている。

 化け蛙は口をもぐもぐと動かしたかと思うと、ゴクンと喉を鳴らして大きなゲップをした。不快な表情を見せてペっと地面に吐き出したのは、粘液に塗れた溶接工の鉄仮面だった。


「お、お、おっかねえ。だが助かった」

 水瀬は額から流れる汗を袖口で拭う。化け蛙は大物の餌に満足したのか、丸い目を細めてそのまま居眠りを始めた。


 神島刑務所 一般収容棟 18:57


「遙兄、真里が消えたんだ」

 雑居房のベッドに腰掛けた智也ががっくりと肩を落とす。

 溶接工を倒した喜びも束の間、さらに深刻な事件が起きていた。智也と金村は管理棟二階の所長室から階段を駆け下り、収容棟の出口を目指していた。ふと振り返ると後ろからついてきていたはずの真里の姿が忽然と消えていたという。


「ごめんなさい。私がついていながら」

 いつも高飛車な態度の金村も申し訳なさそうに俯く。金村がそこまで責任感を持っていたとが意外で、火鳥は内心驚いた。中桐と福原、秋山、時岡、河原は散り散りに逃げ、はぐれてしまったという。


 水瀬はポケットからタバコを取り出し、金張りのダンヒルで火を点ける。妹を見失って意気消沈する兄の姿は気の毒で見ていられない。細い煙を天井に吐き出した。もう日は暮れて、天井の鉄格子の隙間から紺青の空に星が瞬いている。

「真里を探そう」

 火鳥は顔を上げた。まだ死体を見ていない。真里は生きてどこかに捉えられているかもしれない。そう自分に言い聞かせる。


 雑居房の並ぶ通路の奥から足音が近付いてくる。怯えた、心許ない足取りだ。

「時岡さん」

 智也の声に時岡はビクッと肩を竦めた。ひどく落ち着かない様子だ。時岡は躊躇いがちに話し始めた。

「所長室で真里さんに御霊神社のお守りをもらったんです」

 時岡は緊迫した状況の中で、真里の心遣いが嬉しかったらしい。そこで自分の持っていたものがお守りになるのではないかと、お返しで真里に渡そうとした。


「それが、これなんです」

 時岡がタブレットの画像を表示する。そこにいる全員が息を止めた。それは白い勾玉だった。写真で見るだけでも気品が漂ってくるような美しい艶がある。

「これ、どうしたんですか」

 智也が震える声で尋ねる。驚きと恐れがない交ぜになり、心を落ち着かせえようと必死だ。


「この島の山の上にある御魂神社のご神体です」

 時岡はバツが悪そうに小声で答える。神社のご神体を勝手に持ち去るなど、絶対に許されないことだ。昨日、時岡が御霊神社にやってきた目的はこれを手に入れるためだったのだ。

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