獄炎の処刑人

 火鳥が真剣に文書を読み込んでいる間、水瀬は草むらで立ち小便を済ませてきた。

「まだ読んでるのかよ、なんだそれ」

「重警備棟の看守記録だ。鬼斬り国光があるとすれば、ここの地下が狙い目だ」

 火鳥は看守記録を閉じてバッグにしまった。所長室でめぼしい文書をかっさらってバッグに放り込んでおいたのだ。手癖の悪さは自他ともに認めている。


「ここには凶悪犯が収容されていた。囚人同士を戦わせ、勝った者に褒美を与えると唆して人体実験の検体へまわしていた」

 聞くに堪えないおぞましい話だ。

「ここの奴らは人間じゃねえ」

 水瀬は顔を顰め、唾を吐き捨てた。

「一般収容棟にいた溶接工も、もとは重警備棟の囚人だった。まさか、八十年以上も化け物としてここを彷徨うことになるとは思いもしなかっただろうな」

 火鳥は錆び付いた鉄の扉をスライドする。重苦しい音が鳴り響き、凶悪犯の収容棟が現れた。


 扉の向こうには檻がずらりと並んでいる。ここは監視の目が厳しい重警備棟だ。どこからでも監視できるよう、通路に面した側は檻になっている。獣の腐臭と排泄物の悪臭が鼻を突く。独房を覗くとベッドの脇で狸が死んでいた。

 通路には廃材や枯れ葉が散乱し、ひどい有様だ。

「トイレも丸見えか、出るもんも出ねえよ」

 水瀬はジュースの缶を蹴り飛ばしながら悪態をつく。


 長方形に切り出された窓から入る仄かな月明かりが獄舎を青白く照らしている。火鳥は目的の場所があるのか、通路を突き進んでいく。檻の独房が途切れ、煉瓦造りの壁が両側に迫る。鉄の扉が狭い感覚で並んでいた。

「ここは懲罰房だな」

 火鳥は看守記録を思い出す。バッグから懐中電灯を取り出した。小型だが、LED式でかなり明るい。一番手前の房を開けてみる。


 中は驚くほど狭い。人が一人入ると閉塞感を覚えるほどだ。座れないこともないが、ほとんど姿勢を変えられず、苦しい思いをするだろう。高い天窓から漏れる自然光を囚人が浴びることはできない。


「ひでえな、こんなところにいたら一時間でも気が狂うぜ」

 水瀬は先ほどから自分がここに入ったら、という仮定で発言している。裏社会に生きる人間として、身につまされるものがあるのだろう。

 懲罰房の並ぶ暗い通路を先へ進もうとして、背後に気配を感じて振り返る。つられて振り返った水瀬は声にならない叫びを上げた。


 独房に囚人が倒れている。額を撃ち抜かれ、灰色の囚人服を血塗れにしていた。先ほど見たときは房はすべて空だった。

「な、なんだこりゃ、おっかねえ」

 水瀬は震え上がる。

「落ち着け、みんな死んでる」

 火鳥は懐中電灯で檻の中を照らしていく。どの房の囚人も銃殺されて無惨に息絶えていた。壁に飛び散った血の跡がドス黒く残っている。


「暴動があったとき、凶悪犯を脱獄させまいと殺したのかもしれない」

 酸鼻を極める光景に、火鳥は目を顰める。鉄臭い匂いが漂ってくるような錯覚に目眩を覚える。彼らは八十年前の亡霊だ。ここに来た人間に無念を訴えているのだ。生気を失った目が虚空を見つめている。

「何てことしやがる」

 水瀬は酸っぱい物がこみ上げて、思わず口元を覆った。檻の中では逃げも隠れもできない。正統な手続き無しの死刑執行だ、神仏に祈る間も無かっただろう。


「行くぞ」

 火鳥は懲罰房の先を目指す。不意に五メートルほど先の房の扉が空き、何かが飛び出した。水瀬は甲高い悲鳴を上げる。それは床に倒れたまま動かない。

「な、なんだ、あれも亡霊か」

 水瀬はぺっぴり腰で火鳥の背を楯にしている。火鳥は懐中電灯で床を照らす。所々割れた煉瓦の床に倒れているのは黒い塊だ。近付いていくと焦げた匂いが鼻を突く。


「これは、焼死体だな」

 火鳥はかがみ込んで黒焦げの死体を照らす。水瀬はもう勘弁してくれと頭を抱える。

 焼死体はまだ燻っており、肉の焼ける匂いを漂わせている。口だった空洞から白い歯が覗いている。髪の毛も焼け焦げており、衣服も溶けて身体にへばりついて炭化している。年齢も性別も判別不能だ。

 体格から成人であることだけは分かった。火鳥は足もとに注目した。靴は焦げただけで原型を留めていた。この靴には見覚えがあった。人を観察するとき、靴へのこだわりはかなり個性が出るところだ。


「この遺体はもしかすると、福原さんかもしれない」

 火鳥の言葉に水瀬は絶句した。さっきまで生きて、話をしていた人間が今は黒焦げの炭になって転がっている。一体何があったのか、頭が混乱して水瀬は悶絶する。


「所長室から逃げ出した福原さんは、ここへ逃げ込んだ。外には化け物のような蟇蛙がいる。だから頑丈そうな建物に逃げるのは不自然なことではない」

 そして、何物かに焼き殺された。火鳥は立ち上がる。福原を殺害し、懲罰房に押し込めた者がいる。


 背後の懲罰房の扉が開いた。火鳥は咄嗟に懐中電灯で照らす。光の中に浮かび上がったのは、黒いガスマスクにくすんだ青色の制服を着た大男だ。背中にタンクを背負い、手にしているのは火炎放射器だ。

「こいつの仕業か」

 水瀬は黒焦げの福原とガスマスク男を見比べる。

「だろうな、可能性は高い」

「絶対にこいつだろ」

 火鳥の煮え切らない返事に、水瀬は思いきりツッコミを入れた。


 ガスマスクから淀んだ目がこちらを凝視している。男はトリガーを引くと発射口からボボッと炎が噴き出した。ガスマスク男はゆっくりと発射口を火鳥と水瀬に向け、トリガーを引いた。

「逃げろっ」

 火鳥と水瀬は懲罰房の奥へ走り出す。炎の鞭が通路の床を壁を焼く。射程は5メートルはくだらない。追い詰められたら終わりだ。


 懲罰房の奥にコンクリート打ちっぱなしの階段があった。火鳥は迷わず地下を選ぶ。

「おい火鳥、地下って何かヤバくないか」

 外に逃げたかった水瀬は恨みごとを言う。

「探し物はここにあるはずだ」

 階段を駆け下り、暗い通路を走り抜ける。背後から階段を降りる靴音が聞こえてきた。巨大な鉄の扉をみつけて中へ逃げ込み、懐中電灯のスイッチを切り息を潜める。

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