闇器の精製
袴田は床に転がった本郷を侮蔑の視線で見下ろす。
「この男の浅はかな望みにはほとほと呆れるよ。この男は戦争に勝利して、刑務所を再開することを望んでいた。まったくつまらない、欠伸が出る」
袴田は本郷の頭をゴリと踏みつける。その仕草はあまりにも躊躇いなく、感情が読み取れない。火鳥は思わず背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「禍津神の力はそんな粗雑なものではない。この日本を混沌の渦に陥れることができる」
袴田が目線を送ると、看守が装置を動かし始めた。天井からポッドに向けて分厚い円形の鉄板が降りてくる。そのままポッドの中に満たされた心臓を押しつぶす。
「うげっ、マジかよ」
この世のものとは思えぬ凄惨な情景に水瀬は目を背ける。心臓は湿った音を立てて潰れ、ポッドの下に赤黒い液体が蓄積されていく。
心臓が含蓄していた千人分の血液だ。それが祭壇に置かれた三つの神器にシャワーのように降り注いだ。
「闇器が精製されていく・・・」
金村はなす術もなく目を見開く。火鳥も呪われた血に染まる神器を呆然と眺めている。
「ひでぇことしやがる」
水瀬はオヤジに叱られる、と頭を抱える。
最後の一滴が滴り落ちた。
「この穢れた日本を破壊し尽くし、無垢なる魂だけの美しい国を作る」
袴田の狂気は本郷のそれを超越していた。地下研究所は耐えがたい静寂に包まれ、タービンのまわる機械音だけが定期的に唸りを上げる。
「何も起きない」
時岡がぼそりと呟く。
確かに、大仰な振りの割に何も変化が無い。袴田もそれを訝しんでいるようだ。その表情には苛立ちが募っている。
「俺は手癖が悪くてな」
火鳥がニヤリと笑いながらポケットから取り出したのは、白い勾玉、覇神魂だ。
袴田はそれを見るや血に塗れた祭壇に飛びつき、眉間に深い皺を刻みながら赤黒く染まる石を手に取る。それは何の変哲もないただの白い石だった。
「本当にタチが悪いわね、あなた」
金村が鏡で前髪を整えている。そう言いながら手にした鏡は封魔鏡だ。祭壇に置いたのは所長室のコレクション棚からくすねた別の銅鏡だった。
「本物を置いたのは俺だけかよ」
素直な水瀬はショックを受けている。
「ヒロシの刀は誤魔化しが効かないから仕方がないって」
真里が落ち込む水瀬をフォローする。
袴田の動揺を見れば分かる。闇器の精製は三つが揃わなければ失敗だ。
もう一度儀式を行うなら、千の心臓を集め直す必要がある。袴田は絶望感に打ちひしがれ、頭を抱えてその場に跪いた。
水瀬はドス黒い血で汚れた鬼斬り国光を祭壇から奪い取る。
「うわ、ひっでえ。これどうにかしてくれよ」
脇にあったシンクの蛇口を捻るが、水は出ない。
「これは貸しよ」
金村がバックからスピリタスを取り出す。
「エタノール消毒だから、お清めにもなるでしょう」
どういう理論か分からないが、スピリタスで国光の血液を洗い流した。
袴田はよろめきながらスイングドアを抜けて隣の部屋に消えていく。
「あいつ、まだ何か企んでいる」
火鳥は袴田を追う。スイングドアを開けると、目の前に巨大なプールがあった。この施設での用途を考えると、遺体を保存するプールだろう。
プールはドロドロした粘度のある液体で満たされて、ゆるりと波打っている。
よく見ると、灰色の骨が浮かんでは消えていく。中には腐りかけの肉がついているものもあった。心臓を抜き取った遺体をここに捨てていたのだろう。
錆びた鉄と腐肉の匂いに顔をしかめる。
「あれは、中桐さん」
智也が叫ぶ。中桐がプールの端で背中を向けて浮かんでいた。彼もすでに殺害されていたのだ。
袴田がプールの前に立ち、両手を広げる。
「ここに私の魂を捧げる。厄災の神よ、願いを聞き届けてくれ」
「やめろ」
火鳥の制止も聞かず、袴田は悦に入った表情を浮かべたまま背後に倒れ込み、血肉のプールに飛び込んだ。
袴田の身体は赤黒い液体の中へゆっくりと呑み込まれていく。
「一体どうなるの」
見るに耐えない悍ましい光景に、真里が震える声で呟く。分からない、火鳥は無言で首を振る。
しばらく見守っていると、プールの表面に頭部が突き出た。
「ひえっ」
水瀬はその異様な光景に思わず飛びのく。
それはプールサイドに手をかけ、血肉を纏いながら上がってきた。
「袴田の亡霊が実体を得たのか」
火鳥は智也と真里を庇い、後退る。人の形をした醜悪な血肉の塊が目に染みるほどの腐臭を放ちながらにじり寄ってくる。
「どちらにしても良いものじゃないわ」
このまま放っておけば、この刑務所でまた悪事を働くに違いない。
「三種の神器だ…」
智也は呟く。
「今こそ、使うときだよ」
智也は興奮気味に火鳥の肩を揺らす。
「分かった、どうすればいい」
火鳥は覇神魂を取り出す。金村も封魔鏡を取り出した。真里は水瀬に刀を使えと催促する。水瀬は黒鞘から鬼斬り国光を抜いた。
袴田は赤黒い液体を滴らせながらゆっくりと近付いてくる。周囲には苦悶する囚人たちの亡霊がとぐろとなって渦巻いている。触れたら間違いなく呪われそうだ。
「使い方、三つを揃えて、ええと」
言ってはみたものの、神器の使い方など智也にも分からない。
「よし水瀬、とりあえず斬れ」
火鳥が無責任に叫ぶ。
「いや、これ化け物だし、物理じゃ無理だろ」
水瀬は鬼斬り国光を構えてはいるが、袴田の異様な姿に恐れをなしてへっぴり腰で後退る。
「そうだトライアングルだ、三つのバランスをとってみよう」
智也の閃きで、金村、火鳥、水瀬が正三角形の頂点に立つ。
「何も起きないわ」
期待していた真里が力無く肩を落とす。
「ああ、どうしよう」
智也は頭を抱える。
「いや、金村は鏡の角度を」
火鳥は覇神魂が封魔鏡に映るように位置を調整する。すると、覇神魂が光を放ち、封魔鏡がその光を増幅させている。
「光を鬼斬り国光に当てろ」
火鳥は叫ぶ。封魔鏡の反射を受けて鬼斬り国光の刀身に光が宿り始める。
「これで奴をぶった斬れ」
火鳥は水瀬の背中を押す。
「えぇ、一番危ないの俺だろ」
「泣きごと言ってる場合か、ヘタレヤクザ」
火鳥と水瀬は言い争いを始めた。
「ならば俺がやる。時岡くん、これを頼む」
火鳥は覇神魂を時岡に手渡す。時岡は慎重に封魔鏡に向けて覇神魂を持つ。大事な瞬間に失敗は許されない。震える手を必死で抑える。
「水瀬、国光を寄越せ」
火鳥が鬼斬り国光に手をかける。それが癪に障った水瀬は柄を握り、頑として離そうとしない。
「嫌だ、俺が斬る」
「いや、俺だ」
火鳥と水瀬は揉み合いになる。気が付けば目の前に壮絶な笑みを浮かべた袴田が迫っている。
「うおおおおっ」
火鳥と水瀬は同時に叫んだ。封魔鏡が光を増す。鬼斬り国光の刀身が閃き、袴田の心臓を貫いた。
「ぐぉあああああああ」
袴田の断末魔の絶叫がプール室に響き渡った。その叫びは幾人もの苦悶の声が重なり合っているように聞こえた。胸の穴からドス黒い液体が流れ落ち、袴田はよろめきながらプールに転落した。
「やったのか」
火鳥と水瀬はプールサイドに立ち、中を覗き込む。袴田の顔が血肉の海に浮かんだ。次の瞬間、無数の手が袴田の顔を掴み、引き裂いた。そして、力を失った袴田は赤黒いプールにゆっくりと沈んでいった。
「あれじゃケーキ入刀じゃない」
呆れた金村がぼやいた言葉を真里は忘れない。
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