囚人番号五七九 三島 豊の手記(六)

暴動の日

 これまでも囚人と看守の小競り合いが発生したことがあった。

 しかし、今日は違った。

 重警備棟の檻が開け放たれ、多くの囚人が暴れているという。一般収容棟も何者かにより開放され、囚人が自由に出られるようになった。私はというと、檻の中で大人しくしていた。この混乱の最中、それが一番安全だと思われた。


 外では怒声と銃声がひっきりなしに聞こえた。血気盛んなものは外に飛び出していった。騒ぎは昼間に起きたが、その日のうちに収まることは無かった。夜の点呼も為されず、檻は開放されたままだ。騒ぎに乗じない囚人たちは静かに檻の中で過ごしていた。


 夜も更けて、天窓から月の光が差し込んでいた。

 外で雄叫びが上がり、私はどうしても気になってそっと房を抜け出した。運動場の中央には火が焚かれ、炎は勢い良く燃えさかっている。


 精神医療棟の二階の窓から何かが吊されているのが見えた。思い出すだに恐ろしい、あれは人間だ。人間の首に縄を括り付け、吊しているのだった。

 所長と側近の看守の姿があった。そして、見慣れぬ生成色の囚人服の男がその横に吊されていた。


 上半身裸の囚人が炎が燃えさかる松明を掲げ、再び雄叫びを上げた。

 焚き火の周辺に集う囚人たちはそれに追随して叫ぶ。中には看守の姿もあった。


 私は恐ろしさに震え、自分の房に戻った。

 同じ房の川越はベッドに寝転がったまま背中を向け、“終わったな”と呟いた。この刑務所が終わったということなのだろうか。所長が殺害されるほどの暴動が起きたのだ、そういうことなのかもしれない。


 翌朝、目に染みるような青空が広がっていたのをよく覚えている。

 運動場の焚き火は消え、政府から派遣された役人たちが事態の収拾に当たっていた。所長以下十名の遺体は窓から下ろされ、棺に入れられ運ばれていった。

 首謀者八名は裁判にかけられるという。この刑務所のやり方であれば、即刻銃殺刑だが、外の世界は変わったらしい。


 驚くべきことに、日本は敗戦し、太平洋戦争はすでに三年前に終結していた。

 神島刑務所の囚人たちはそれを知らずに過ごしてきたのだ。本郷所長は暴動の前日まで日本の勝利を確信する演説をしていた。隔離された塀の中で我々は洗脳されていたのだ。


 聞いた話では、本郷所長は囚人を使った神をも怖れぬ医療実験を行っていたという。さらに精神医療棟の囚人に唆され、恐ろしい儀式を行おうとしていたと。それを看過できなかった看守が囚人と結託し、陰謀を阻止したということだった。


 暴動の扇動者を英雄視した与太話だろうか、実のところ私はそうは思えない。この刑務所の後ろ暗い噂のいくつかはそれで説明がつく気がするからだ。


 刑務所の暴動に関する裁判は迅速に行われ、暴動の犠牲者として本郷所長を悼む記事が出ていたそうだ。首謀者は早々に死刑が執行されたと聞く。


 神島刑務所は近いうちに解体され、私も本土の刑務所に移送される予定だという。もしかしたら、恩赦があるかもしれない。博子はどうしているだろうか。ただ、会いたい。


                         昭和23年5月25日 三島 豊


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