断たれた退路

 神島刑務所 一般収容棟 16:15


 人見と早稲田を探してイ棟通路に戻ってきた。鉄格子の影が斜めに伸びている。もう16時だ、日が陰り始めている。通路の中央に血痕を見つけた。その脇にある狭い配電室は天井まで飛び散った血が滴り落ちていた。配電盤にこびりついている肉片と長い髪の毛で早稲田はここで絶命したことが分かった。

「真里、見るんじゃ無い」

 火鳥は真里を智也に任せた。真里は肩を震わせて嗚咽を漏らしている。金村が真里を気遣い、肩にストールをかけてやる。


 早稲田の遺体は何物かによって持ち去られていた。

「こりゃひでぇ」

 通路まで漂ってくる血の匂いに、水瀬は顔をしかめる。ヤクザ同士の抗争で血腥い現場を見たことがあるが、これは無抵抗の人間に対するあまりに非道な暴力だ。胸クソの悪さを感じ、大きく舌打ちをする。

「遺体を持ち上げ、この通路を通って外へ出て行ったようだ」

 火鳥は血痕の滴りを辿り、通路を歩いていく。行き止まりにある扉を押すと、いとも簡単に開いた。


 扉に近い雑居房も血の海だった。二段ベッドのパイプがへし折られ、破壊された壁の破片が散乱していた。もう一人がここで死んでいる。血塗れのバッグは人見が持っていたものだ。

「きゃああああ」

 叫び声が聞こえ、通路に出てみると秋山が髪を振り乱し、泣きわめいている。血みどろの配電室を覗いてしまったのだろう。

「早稲田くん、一体どうしてこんな」

 中桐は同僚の早稲田の身に起きたことを知り、愕然としている。散り散りに逃げていた河原と福原も話し声を聞いて集まってきた。


「一体あれは何だ、説明してくれ」

 この現状に苛立ちが極限に達した河原が中桐に当たり散らす。肩を掴み、乱暴に揺さぶるが、中桐は困惑して分からないと頭を振るばかりだ。

「福原さんよ、あんたは何か知ってるのか」

 河原の矛先が福原に向いた。福原は青ざめた顔で俯くばかりだ。誰もこの状況を説明できる者などいない。

「あの大男はどうした」

「隣の通路で気絶しているよ」

 火鳥が河原をチラリと見やり、黒縁眼鏡をクイと持ち上げる。


「ああ、真吾」

 秋山は人見の生存が絶望的なことを知ると、がっくりと膝をついた。鉄格子にしがみつき、肩を震わせてむせび泣く。ギラギラした真っ赤な夕陽が獄舎を照らし、鉄格子が不気味な濃い影を落とす。

「まず、ここを出ましょう」

 中桐が腕時計を見る。プロとして仕事を全うしようと気持ちを切り替えたようだ。すでに迎えの船は桟橋に来ているはずだ。多少遅れているが、勝手に帰るような真似はしないだろう。


 秋山が管理棟への扉を押すと、驚く程すんなりと開いた。

「さっきは鍵がかかっていたのに」

 智也は怪訝な表情を浮かべる。溶接工に襲われたとき、扉を開けようとしたが固く閉ざされており、びくとも動かなかった。

「何物かの悪意を感じるわね」

 金村は目を細める。腕につけた魔除けの水晶玉に陰りが見えた。強烈な瘴気に当てられたせいだ。これはもう使い物にならないかもしれない。


 管理棟は静寂に包まれていた。ステンドグラスから差し込む夕日の光が赤い絨毯をさらに赤く染めている。玄関ホールを抜け、中庭に出た。周囲を警戒しながら歩く。

 煉瓦造りの門をくぐり、断崖の上に出た。

「あっ」

 智也が叫び声を上げる。火鳥も目の前の信じがたい光景に思わず目を見開いた。

 桟橋への階段が崩壊していた。絶壁に貼り付くように続く階段に大きな亀裂が入り、とても降りられる状態ではない。


「刑務所内にいるとき、地震なんて無かったはずだ」

「この階段がここまで破壊されるような地震なら、刑務所も倒壊しているよ」

 火鳥の皮肉に河原はムッと唇をへの字に曲げた。

「あれ、見て」

 真里が桟橋を指差す。桟橋は崩れ落ち、その近くにここへ来ときに乗ってきた漁船が船底を向けて浮かんでいた。若い漁師が船体にしがみついている。波にたゆたう姿はすでに事切れているようだった。


「こんな島、こなければ良かったわ」

 秋山は両手で顔を覆い、なり振り構わず泣き始めた。河原はその様子を呆れながら眺めている。

「水瀬はどうやってここへ来た」

「ああ、山側の塀を越えてきた」

 水瀬の言葉に、火鳥は活路を見いだした。海から帰れなければ、陸がある。塀の向こうは集落まで陸続きだ。


 管理等の脇を通り、壁を見上げる。

「あれを乗り越えたのか」

「いや、俺が来たときはあんなじゃなかったぞ」

 水瀬は絶句した。塀の上には執拗に鉄条網が張り巡らされていた。鉄条網を支える支柱は3メートルはあるだろうか、とても越えられそうにない。

 水瀬は愕然としている。いつの間に、誰があんなことを。


「何物かが我々をここへ閉じ込めようとしているようね」

 腕組をした金村が隣に立ち、まっすぐに塀を見上げている。残照の輝きに、塀はまるで炎に包まれているかのように見えた。

「人の仕業ではないわ」

「おい、おっかねえからやめろよ」

 水瀬は心底怯えている。

「ヤクザのくせにヘタレだな」

「うるせえ」

 火鳥に鼻で笑われた。気に食わないが、反撃する気力もない。


「あなた、星の巡りが良くないわ」

 金村が水瀬の鼻っ面に人指し指を突きつける。水瀬はその迫力に思わず後退る。

「最近、身の回りに良くないことが起きているでしょう」

 金村に指摘され、水瀬は考え込む。

「そうだ、この島に行ってこいとカシラに面倒を押しつけられたし、この間は愛車のバッテリーが上がった。それに、自販機で新五百円呑まれた」

 水瀬は深刻な顔で頭を抱える。金村はニヤリと口角を上げて笑う。


「これを身につけると良いわ」

 金村は着物の袖から恭しく水晶玉のブレスレットを取り出した。

「高位の術者が祈願した魔除けの水晶玉よ。普段なら五万円のところ、三万円に負けてあげるわ」

 何が高位の術者だ。さっきよりも値上がりしている。とんだ金の亡者だ。火鳥は完全に呆れているが、水瀬はスーツの胸ポケットから悪趣味な蛇皮の財布を取り出し、真剣な顔で万札を数えているところだった。

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