御霊神社からの展望

 神社の参道とわかったのは、倒れかけた木の看板があったからだ。極太の墨文字で“御霊神社”と書かれている。砂に埋もれかけた石段が山の上へと続いていた。

「行ってみよう」

 神社仏閣巡りが趣味の智也は張り切っている。真里は子供のように浮かれる兄を見て呆れている。


「そう高い山では無さそうだ」

 火鳥が地図アプリで神社までの距離を確認すると、400メートルほどと表示されていた。こんな離島でも一応電波は入るようだ。

 山は木を剪定する人間も無いため荒れ放題で、参道に木の枝が左右から張り出している。倒木を跨いで進む場面もあった。石段が途切れている部分もあり、獣道に近い。

 地元の人間は高齢者ばかりだ。こんな山の上の神社には参拝に行くこともできないだろう。


「ひゃっ」

 真里が悲鳴を上げた。指差す先を見ると、茂みの奥で黒猫が死んでいた。

「猫は死体を見せないというが、ここを死に場所にしたんだろう」

 火鳥は周囲を観察するが、襲われた形跡はない。それほど人の立ち入らない場所なのだろう。鬱蒼とした木々に遮られて日の光が届かぬ山道は薄暗く、昼間でも不気味だ。


 山頂に近付くにつれ、傾斜が厳しくなってくる。土が大雨にでも流されたのだろうか、滑り落ちた石段が折り重なっており、火鳥は真里の手を引いて進む。

「狛犬だ、神社は近いよ」

 海風にさらされ、風化して顔も認識できない苔むした狛犬が左右に鎮座している。その先に古びた石の鳥居も見えた。ゴールが近いと分かり、真里も奮起する。


 木の枝が作るアーチを抜けると、視界が突然開けた。ここは山頂だ。目の前には小さな社がある。潮風に煽られて痛みは激しく、黒ずんでいる。倒壊していないのが不思議なほどだ。

「わあ、いい眺め」

 真里は神社よりも山頂から見渡す海に感動している。先ほどまでの陰鬱な森から明るい光の下に出た開放感で、思い切り手を広げる。


 智也は身を屈めて社の扁額を覗き込む。

御霊ごりょう神社か」

 日本各地に同名の神社が存在する。祖先、先祖の霊を祀るものから特定の人物の御霊を鎮めるものまで性格は様々だ。

 通常であれば神社の縁起が書いた看板などがあるものだが、ここには見当たらない。


 いつも神社に来るとお詣りをすることにしている。智也が財布の小銭を探していると、賽銭箱の脇の三宝にお守りが置いてあるのに気が付いた。テープでメモ紙が留めてあり、500円と手書きで書いてある。智也は賽銭を兼ねて500円を賽銭箱に投入し、白いお守り袋を一つ取った。

「真里、これやるよ」

「え、こんな神社のお守りなんて逆に呪われそうじゃない」

 智也はリュックの中に神社巡りのたびに買ったお守りが十ほど入っている。お守りを複数持つと、神様がケンカするからとまことしやかに言われるがそれは虚言だ。神様はケンカなどしない。

 しかし、持ちすぎても意味が無いような気がして、真里に譲ることにした。


 火鳥は社の裏手に歩いて行く。眼下には森が広がっており、その向こうに神島廃刑務所の敷地を鳥瞰することができる。

「うわあ、ずいぶん広いね」

 智也も隣に立ち、刑務所を眺める。足もと直下はごつごつした岩肌でかなりの傾斜がある。柵も無いため、バランスを崩すとかんたんに転がり落ちそうだ。思わず身震いする。


 神島廃刑務所は灰色の高い壁で森と仕切られており、壁の一部は高い崖がその役割を担っている。壁に平行に二階建ての長屋がひとつ、崖側にもうひとつ。崖側の長屋はコンクリート造りで頑丈に見えた。運動場らしき広場、そして五本の指を広げたような獄舎が建つ。獄舎の正面に門があり、門の先は海が広がる。


「ここへ来るまでこん限り不穏な噂を聞いたが、確かにこの刑務所には良くないものを感じるな」

 火鳥は黒縁めがねをくいと持ち上げる。

「遙兄、何か視えるの」

 真里は眉根を寄せる火鳥の顔を不安そうに覗き込む。

 火鳥には刑務所全体を覆う黒い影が見えていた。空は晴天そのものだ。明るい日差しを受けても、刑務所は暗い影を落としている。


 母は異形が“視える”人だったが、火鳥自身は“空気”を感じることができる程度だ。それでも勘が働いて、助かることもある。

「こういう場所にはドス黒い思念が渦巻いているものさ」

 火鳥は怖がる真里を大丈夫だ、と安心させる。全然フォローになっていない。火鳥はこういうところが天然なのだ。だから、整った顔立ち、知的な雰囲気があるのに彼女もできない。真里は怪訝な表情を浮かべる。


 太陽が西へ傾いてきた。暗くなる前に帰らなければ。

 参道脇に別の道が通じていることに気が付いた。誰かが登ってくるのが見える。

「こんにちは」

 真里が声をかける。

「あ、どうも」

 同じツアー参加者の時岡史生だ。ここに人がいるのに驚いた様子で、こちらを覗いながら躊躇いがちに会釈する。


「時岡さんも神社へ?」

 真里が明るく声をかける。

「ええ、まあ」

 時岡は歯切れの悪い返事を返す。ミディアムマッシュの前髪に隠れた表情が読めない。船に乗り合わせたときからどこか挙動不審な男だ。

「この先に道があるんですか」

 時岡のやってきた方角は浜辺の参道ではない。火鳥の質問に時岡は何度も頷く。


「帰りはこっちに行ってみよう」

 あの崩壊も著しい急な参道を降りるのは勘弁だ。火鳥は脇道を進み始める。

「あのう、その先を進むと岬に出ます。旅館からも近いよ」

 背後から時岡が思い出したように声をかけてきた。真里も智也も驚いて振り返る。時岡は恥ずかしそうに足早に社の方へ走って行く。

「シャイなのかな」

 真里はプッと吹き出す。引っ込み思案なだけで案外いい人なのかもしれない。


 脇道はアスファルト舗装の駐車場に続いており、愕然とした。神社が未だ倒壊していないのはそれなりに島民がメンテナンスしているからだ。浜辺の参道から登るものはいないのだろう。時岡のスマートさに智也は悔しそうな表情を浮かべる。

 曲がりくねった山道を下ると、時岡の言う通り岬に出た。海沿いのコンクリート舗装の道路を歩けば五分たらずで”七福亭”に戻ることができた。

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