楽しめる勉強ほど素晴らしいものはない
人間誰しもタガが外れるというか……ちょっとだけ大胆なことをしてみたいと思う時はあるものだ。
もちろんそう考えたわけではなくとも、好奇心に突き動かされたら誰だって試したくなったりするものだ――そう、この場に置いて黄泉は正しくそれだった。
「……緊張はなくなったけれど、ドキドキはするわね」
明人がお手洗いに向かい黄泉は一人部屋に残っているわけだが、改めて男の子の部屋に一人となるとドキドキしてしまう。
正真正銘、同世代の異性の家に来たのも明人だけ……ましてや自室に入ったのも明人だけ……黄泉にとって初めての体験は全て明人によるものだ。
(……あ、明人君のベッド)
いやいや、最初からそこに配置してあっただろうとは無粋なので言わない。
明人がいつも使っているであろうベッドをロックオンした黄泉はそっと近付き、まずはベッドに出来ているしわを覗き込む。
「……………」
ここで明人がいつも寝ている……ドキドキする。
使い込まれた痕が分かる……ドキドキする。
ふわっと漂う男の香りがする……ドキドキする。
「……って、まるで私が変態みたいじゃないの!」
顔を赤くしながらジッと人の使うベッドを見て鼻息荒くしてるのは変態以外の何物でもないが……自分を落ち着かせるために黄泉は深呼吸をする。
僅かに火照った体も完全に冷めたところ、彼女は枕に目を向けた。
きょろきょろと辺りを見回し、間違いなく誰も居ないことを確認……そして、彼女は明人の枕を抱きしめた。
「……よく分かんない……よく分かんないけど、全然嫌な気分じゃない」
思い切って枕に顔を埋めると、明人の匂いが鼻孔をくすぐる。
今の黄泉は間違いなく普段の彼女とは違い、どこまでも気が抜けていた……だからこそちょっぴり開いた扉の向こうから誰かが近付く気配すら察知出来ない。
「黄泉、母さんが帰ってきて会いたいって……え?」
「……あら」
「っ!?!?!?!?!?!?」
ということはつまり、無防備でありながら絶対に見られたくない恥ずかしい姿を黄泉は……よりにもよって明人の母にバッチリと見られてしまうのだった。
▽▼
母さんを連れて部屋に戻ったら黄泉が……いや、これ以上は考えないでおこう。
顔を真っ赤にして今にも窓から飛び降りそうになったり、泣きながら殺してくれと懇願したりしたのも忘れることにしよう全て黄泉のためだ。
「黄泉ちゃん……黄泉ちゃんね! とっても可愛くて綺麗な子じゃないの!」
「あ、ありがとうございます!」
「なるほどねぇ。明人ったらこんな子と仲良く……ってそうよ! この子が昔に会った子なのね!」
まあ色々あったけど、黄泉は完全に母さんに気に入られていた。
さっきまでずっと涙目だった黄泉だが今は母さんと楽しそうに話をしているし、もうさっきのような心配は要らなそうだ。
(いつかは来ると思ってたけど不思議な感覚だな)
過去に知り合っていた彼女たち……今は黄泉だけだが、そんな彼女が母さんと仲良さそうにしている……それがどこか感慨深い。
流石に俺のように母さんは昔のことを覚えておらず、黄泉のことを見ても思い出すことはなかったが……それでも黄泉のことを大層気に入ったことは分かる。
(輪廻もこの場に居たら……どうなってただろうな)
黄泉のことを可愛いだったり綺麗だったり言いまくって大騒ぎの母さんのことだ。
姿形が全く同じという輪廻がこの場に居た場合、今以上に暴走して二人のことを可愛がりそうだ。
「こうなってくると母さんが実際に黄泉の隣に並ぶ輪廻を見た時が楽しみだな」
「瓜二つの姉妹なんでしょう? こんな美人が二人並ぶだなんて……というか明人がそんな子たちと仲良くしているなんて……羨ましい!」
「なんで羨ましいんだよ……」
「……ふふっ♪」
俺と母さんのやり取りに黄泉が口元に手を当てて笑った。
「……本当に綺麗に笑うわね……しかもこれで高校生でしょ?」
「おい母さん。その言い方はちょっとアレだぞ」
黄泉の胸を見て言うんじゃないよ。
俺は軽く母さんの肩を小突いて止めさせたが、やはり黄泉は不快感を感じるどころかむしろ楽しそうな微笑みが絶えない。
「……って黄泉、そろそろ時間ヤバいだろ」
「あっ!?」
元々母さんが帰ってきたのが五時過ぎなので、それから時間を忘れるほどに楽しんでいたとすればそれなりに遅くなるのも当然だ。
時計を見てハッとするように黄泉は立ち上がり、俺も彼女を送るために立ち上がった。
「残念ね……今度は私が居る時に来てほしいわ」
「良いんですか!?」
「もちろんよ! それで……お姉ちゃんの方も見てみたいわ!」
「ふふっ、明人君が良いのでしたら必ず連れてきます!」
その瞬間、母さんがギロリと俺に視線を向けた。
これは絶対に連れて来いという母さんのメッセージであり命令……分かってるよ言われなくても連れて来るっての!!
「じゃあそろそろ行くか黄泉」
「うん。お邪魔しました!」
家を出てから彼女の家に着くまで、黄泉はずっと機嫌が良さそうだった。
俺との勉強のことだったり母さんのことだったりと、絶え間なく笑顔で話す彼女の様子はただ聞いているだけの俺ですら楽しくて仕方ない。
「……ねえ明人君」
「うん?」
「今日は本当に楽しかったわ。もちろん勉強ではあったんだけど、あなたと二人でっていうのが本当に……本当に楽しかった」
「そっか。俺も楽しかったよ」
勉強にも身が入っていたし、僅かな時間だったとはいえ本当に為になる時間だ。
「夜にまた姉貴に気になる部分は教えてもらうとして……せっかくこうして勉強するんだし、お互いに良い結果を出せるように頑張りましょうね」
「おうよ。万が一赤点でも取って追試とかは嫌だしな」
「そうね。想像するだけでも面倒で嫌だわ」
お互いにそれだけは嫌だなと苦笑しつつ、手を振って俺たちは別れた。
黄泉が玄関に入るまで見送った後、俺はクルっと体の向きを変えて歩き出す――だが、すぐにその足は止まることになった。
「……輪廻?」
「……………」
制服姿の輪廻が、俺を見つめてその場に立っていたからだ。
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