もう少しで扉が開く

 黄泉さんと出会った日、その夜の夕飯後のことだ。

 父さんが会社の残業で遅くなるらしく、母さんと二人で夕飯を済ませた後に俺はあのアルバムを再び取り出していた。

 俺が目に留めたのは俺を挟む二人の写真だ。


(……あぁ……そうだ。何となく……何となく思い出してきた)


 あの時には感じなかった懐かしさが鍵になるかのように、そして公園で見たあの子たちの光景すらも後押しするように古い記憶の蓋が開かれていく。


(あれは確か……デパートだったかな。どこかは完全に思い出せないけど、泣いているこの子たちに俺は出会ったんだ)


 幼稚園がない休日に母さんと一緒に出掛けたような……そんな気がする。

 その時に俺は泣きながら歩くこの子たちを見つけて近づいて……あれ? そこで俺は首を傾げた。


(……なんで……なんでこんなにも繋がるんだ?)


 どうしたんだよと近づく俺、親とはぐれたと言って泣いていたこの子たち――まるで以前に見た夢に繋がるように……俺はこの子たちをとにかく安心させたかったというか、笑ってほしくて全力の屈伸で笑いを取りにいった。


『俺は明人! ふんぬ! ふんぬ! ふんぬ!』


 ……ヤバい、馬鹿をやっていたことも完全に思い出した。

 というか、これだけは確実にやっていたと記憶が蘇った――何となく周りの大人たちにもクスクスと微笑ましく笑われていたような気もするので、既にもう十年近く前のことだけど一気に恥ずかしくなってしまった。


「……まさか、この子たちが……?」


 この思い出したことはもちろん全て合っているという保証はない。

 もしかしたら……もしかしたらこの子たち二人が、輪廻さんと黄泉さんではないかと俺は考えてしまったんだ。


「……………」


 もう少し……もう少し思い出せよと俺は目を閉じて集中する。

 写真に写っている二人は男の子に見えるし女の子にも見える……しかもお互いに凄くそっくりな顔立ちなのだ。


『俺は絶対に――えないから!!』

『ほんとう?』

『ほんとうに?』


 幼い頃の自分の声と、幼いこの子たちの声がノイズ交じりに蘇る。

 残念ながら今の段階だと俺が思い出せるのはここまでだった。

 写真の中で笑顔を浮かべる自分たちの顔を無意識に指で撫でていると、母さんが隣に座った。

 母さんはまたこの写真を見ているのかと呆れたように目を向けてきたが、ふと写真を眺めてハッとしたように目を細めた。


「……あ、そうだわ。そうよ!」

「なになに」

「実はこの写真を見た時から引っ掛かっていたことがあったのよね。それを少し思い出したのよ」


 俺は咄嗟に母さんに目を向け、続きを話してくれと視線で促す。

 母さんは顎に手を当てるようにしてゆっくりと、ゆっくりと過去を思い出すように口を開いた。


「幼稚園は違ったはずだけど、ある時からあなたと仲良くなって公園とかに集まって遊んでいたはずよ。その時にあちらのお母さんとも会ったような気がするんだけどどうだったかしら……」

「他には?」

「う~ん……そうねぇ。確かそんなに何カ月も一緒に居たとかじゃないはずよ。ちょうどお引越しの時期だったんじゃないかしらね」

「……ふ~ん」


 俺の記憶もそうだが母さんの記憶もそこまで確かだとは言えない。

 だからこそ今教えてもらったことが合っているとも言えないが、もし間違ってないのならそんなに長くこの子たちと一緒に居たわけではないようだ。

 まあそれもそうだろうなと、断片的にしか思い出せないのなら納得できる。


「でも一つの進歩じゃない? ちょっと思い出せたのは」

「確かに……」


 でも……後少し、何かがあれば思い出せそうなもどかしさがあった。

 母さんに話を聞いて更に思い出した記憶はあの子たちの泣き顔……そんなに長い時間を共に過ごしたわけではないのに、それでも脳裏に浮かぶその時の表情が頭から離れてくれなかったのだ。

 俺はその後、その写真だけを部屋に持ち帰った。

 机に置いてしばらく眺めてみたが、それ以上のことは特に思い出せず結局俺は軽くため息を吐いてベッドに横になった。


「……?」


 なんか妙に鼻がムズムズするなと思いつつ、俺はしばらくスマホを弄ってから電気を消して眠りに就いた。


▽▼


「……ふふっ♪」

「どうしたんですか?」

「何でもないわよ~♪」


 場所は打って変わって新垣家の光景だ。

 珍しく……というほどでもないが、輪廻の部屋に黄泉が訪れる形で姉妹水入らずの様子が広がっている。

 輪廻は黄泉のことを大切に考えており、黄泉も輪廻に対して時々暴発しそうになるもののだからといって姉妹仲の悪化は一切ない。


「今日外で何かありましたか?」

「どうして?」

「だって見るからに機嫌が良いじゃないですか」

「まあねぇ♪」


 どうしてかと言った割には楽しそうな様子を隠しもしない黄泉だ。

 輪廻はそんな彼女にため息を吐いたりすることはなく、やはり可愛い妹が楽しそうにしているのは彼女にとっても嬉しいことなので、姉という目線からだと微笑ましいだけにしか見えない。


(本当に可愛い子ですね。最近は今まで以上に笑顔も多いですし)


 輪廻もそうだが、黄泉も別に普段の生活を窮屈に思っているわけではない。

 多くの男子から欲望の詰まった眼差しを向けられても、しつこいほどに間違われたとしても……望んでいない想いを告げられたとしても、それは仕方のないことだと二人は割り切っている。

 なので何か変化がなければ黄泉がこんな風に笑うことは増えなかったし、輪廻も今をここまで楽しく思うようなこともなかった。


(彼の……おかげなんですね)


 彼……そう、明人の存在が大きかった。

 出会いは輪廻と黄泉もお互いに男子に告白をされる瞬間――そこに明人が居合わせるという中々に似通った運命の出会いだ。

 今彼は何をしているだろうか、今何を考えているだろうか……そんなことを考えてしまう輪廻は恋する乙女のようにも思えるが、あくまで彼女は恋心を抱いているわけではない――それは確かである。


(それにしても……本当にどうして彼は分かるのでしょうね)


 どうして明人は自分たちを見分けられるのか、それは本当に謎だ。

 彼と本格的に知り合ってからそれなりに話をしたりして、決して彼が当てずっぽうで出鱈目を言っているわけではないことも確信している。

 何より、そんなことを疑おうとしないほどに輪廻も黄泉も明人を信頼している。

 彼はきっと、本人たちにも良く分かっていないそんな気持ちを抱いているからこそ、何かが明人との間にあるのは明白だと考えていた。


(自ずと時間が解決してくれるはず……何となく、そんな気がします)


 きっと近いうちに――そんな予感が輪廻の中にはあった。

 さて、一旦このことは頭の隅に置くことにした輪廻は黄泉へ呼びかけた。


「黄泉」

「なに?」

「ちょっとこっちに来てくださいよ」

「え?」


 輪廻はトントンと自分が座るベッドを叩いた。

 黄泉はどうしたのかと首を傾げて近づき……そして一気に、輪廻は黄泉の腕を引っ張るようにして引き込んだ。


「それ!」

「ちょっ!?」


 二人してベッドに倒れ込み、輪廻は思いっきり黄泉を抱きしめた。

 可愛くてたまらない妹を甘やかせるような抱擁に、黄泉も最初は何をしてるんだと暴れたもののすぐに大人しくなり、まるで子猫のように輪廻に引っ付いている。


「何なのよもう……」

「偶には良いじゃないですか。最近、黄泉は私に甘えてくれないですからね」

「それは……っ」


 黄泉は何かを言いたげだったが言葉を呑み込んだ。

 輪廻もその様子に気付きながらも、あくまで妹を想う姉としてこんな提案を口にした。


「今日は一緒に寝ませんか?」

「はあ?」

「決まりです。お姉ちゃん、今日はあなたと一緒に寝たいです」


 輪廻はジッと黄泉の瞳を見つめ続けた。

 その瞳には絶対に後に退かないという意志が見えたらしく、黄泉は諦めるようにため息を吐き頷いた。


「分かったわよ。今日はここで寝る……それで良いでしょ?」

「はい♪」


 嬉しそうな輪廻と、少しだけ鬱陶しそうにしている黄泉……そんな二人だったが、彼女たちが眠りに就くのはすぐだった。

 そして、こうして眠っているからかどうかは分からないが――二人はある夢を見ることになる。


▼▽


 それは不思議と懐かしい記憶を思わせる世界だった。

 灰色の世界の中で輪廻はある建物の前に立っている――隣には黄泉も居るのだが、夢という曖昧な場所だからこそ深く考えるようなことはしなかった。


「……あ」


 黄泉の声を聞き、輪廻は彼女の視線の先に目を向ける。

 そこには幼い三人の子供が歩いていた――輪廻と黄泉は目を大きく見開く。まさかと考え視線を固定する。それ以外が見えないかのように、それ以外何も考えられないかのように。


「俺は絶対に間違えないっての! 絶対だ!」

「ほんとう?」

「ほんとうに?」


 懐かしいやり取りだと感じた。

 確かにこのようなやり取りがあったんだと二人は思い出す――男の子は溢れんばかりの笑顔で更に言葉を続けた。


「だから何処に居たって見つけてみせるさ! まあその……いつまた会えるかは分からないけどさ。でも必ず、また二人に会いに来る!」


 そこで男の子の姿がブレていく。

 輪廻と黄泉は手を伸ばし……そしてそこで目が覚めた。


「……あ」

「……っ」


 お互いに手を伸ばした先、その先にあったのはお互いの手だ。

 指を絡めるように繋がれた二人の手……そして輪廻と黄泉は二人とも意識せずに涙を流していた。


「……お姉ちゃん」

「黄泉」


 残念ながら夢の内容はあまり覚えていない。

 それでも、彼女たちの中にある記憶の扉も既に……開き始めている。

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