それは変化の時

「えっと何々……」


 放課後、俺は一人で商店街を歩いている。

 繁華街ならまだしもどうして商店街なのか、それは母さんに食材の買い出しを頼まれたからである。


「あら明人君じゃないか。お買い物かい?」

「うっす。母さんに買い出しを頼まれたので」

「そうかいそうかい。なら今日は良い茄子が入ったんだよ持って行きな」

「良いんすか!?」

「もちろんさ。あ、このジャガイモもサービスだよ」

「あざっす!」


 母さんに買い出しを頼まれるのは初めてではないので、こうして商店街に来ると顔見知りのお爺さんやお婆さんと良く顔を合わす。

 特に今、目の前に居るお婆さんに関しては物を落としたので拾ったという出会いがあったせいなのか、よくこうして目にすると色んな野菜をくれる。


(良いのかなって思うけど、善意はちゃんと受け取った方が良いもんな)


 それでも最初は断っていたのだが、お婆さんの根気に負ける形で野菜を受け取ったことがきっかけで今はもうこの通りだ。


「お婆さんありがと!」

「はいよ。また来なさいな」


 新鮮な茄子とジャガイモゲットだぜ。

 さて、目当ての食材はこれではないのでちゃんと母さんに文句を言われないために買って帰らないと……。


「それでさぁ」

「マジウケる~」


 商店街だからといって若者の姿がないわけではなく、学校終わりというのも普段見ることのない他所の学生なんかの姿も確認出来た。

 マジウケるとかいつの時代のギャルだよとツッコミを入れつつ、俺は母さんに頼まれた買い物を進めていった。


「明日暇~?」

「明日は映画見に行くから無理だわ」

「何を見に行くの?」

「最近流行りのあれだよ。事件を解決するやつ」

「あ、あれ犯人は○○だよ」

「……今暇になったわ。どこ行く?」


 俺は買い物の手を止めてついそちらを見てしまった。

 切り替えも大したものだが、今の漫才もビックリなテンポの良いやり取りに舌を巻いてしまうほどに、俺は件の男子高校生に目を向けてしまう。

 おそらく映画を楽しみにしていた人間にとって、相手を殺しても文句は言えないほどのネタバレをされたわけだが……あの男子は握り拳を作っても決してそれを振るうことはなく、俺はそいつを見て強い人間だなと見習いたい気分にさせられた。


「……よし、こんなもんか」


 あらかた頼まれていたものは買い終えたので、俺は買い物袋を手に商店街から離れていく。

 今日は学校が終わってすぐに買い物に出たのでまだ5時にもなっていない。

 そのため俺は少し寄り道をしようかとルートを変えた。


「……ふぅ」


 元々背負っている荷物に買い物袋もあって中々に重たい。

 しかしこうして歩くだけでも運動になるし、腕の筋肉を付けるのに良さそうだなと苦笑する。

 さっきも言ったが俺はよく母さんに頼まれて食材の買い出しに出掛ける。

 よほど大事な用事がない限り断ることをしない理由としては、毎日美味しい料理と弁当を作ってもらっているからだ。


「無償の愛……息子としてこれくらいは当然だぜ」


 ま、それは家族に恵まれたからこそ言える言葉でもある。

 改めていつか、母さんと父さんに分かりやすく感謝を伝えられる場でも用意出来ればなと思うけど……どうしようかな。

 なんてことを考えながら歩く先は俺にも分からない……分からないというのは道がというわけではなく、どうしてその方向に進んでいるのかが分からなかった。


「……なんだ?」


 まるで何かに引き寄せられるかのように俺はその方向へと歩いた。

 商店街から抜けたものの繁華街ほどではないが人の流れが多いその中で、俺は気になる背中を見つけたのだ。


「あ……」


 その後姿は絶対に見間違えることはない背中……そこに居たのは輪廻だった。

 輪廻は大学生くらいの男性に言い寄られており、明らかに迷惑をしているだろうことが分かった。

 というか、あの男は以前に見たことがある――輪廻と出掛けた時、合流する瞬間に彼女に声を掛けようとしていた男じゃないか。


「美人ってのも大変だよな本当に」


 彼女たちと改めて親しくなったせいか、その後姿を見るだけでも嫌がっているのかそうでないのかが分かるようになったのが不思議だ。

 輪廻は今、目の前の男に対して嫌な感情を抱いている……だからこそ助けないといけないと思い、歩き出そうとしたその時だった。


『りーちゃんはいつだって俺が守るよ! 任せろって!』


 一瞬にして昔の記憶が蘇った。

 俺たちは別々の幼稚園だったからこそ、それぞれの顔見知りが存在した……その中でもかつて、輪廻と黄泉にちょっかいを出していた男子ももちろん居たわけだ。

 好きな女の子にちょっかいを掛けてしまう……それは幼い子あるあるといえるのではなかろうか。


(あの時もこんな感じだったっけ)


 男の子に肩を掴まれたり、髪の毛を掴まれたりして輪廻は泣いていた。

 その時も黄泉は傍に居なかったので頼れる人が居なかった状況だった――俺はすぐに駆け寄って大丈夫だと、守るからってそう伝えたんだったよな。

 まるであの時と全てが一致するかのような感覚に身を委ねるように、俺は輪廻の元に向かった。


「輪廻」

「……え?」


 トンと、肩に手を置くと彼女はビクッとしながら振り向いた。

 目を丸くして俺を見つめた彼女に微笑み、次いで輪廻に声を掛けていた男性を睨みつけた。


「一応近くに来た段階で話し声は聞こえていました。この子、嫌がってたのに無理やりはどうなんですかね?」

「っ……お前、あの時のやつかよ。関係ねえやつは――」

「すっこんでろって? そんなこと出来るわけないだろ――この子は俺にとって大切な子だぞ?」


 俺は買い物袋から飛び出していたねぎを取り出した。

 簡単に折れてしまうほどの貧弱さではあるが、迷惑を被っていたもののずっとこの男に粘着をされていた輪廻の気持ちを落ち着かせる光景ではあるはずだ。

 その証拠に輪廻は既に男のことは目にないらしく、ねぎを構える俺を見て面白そうにクスクスと笑っていた。


「行くぞ輪廻」


 シュッとねぎを戻して俺は輪廻の手を掴んだ。

 自然と絡んでいく俺と輪廻の指……しかしながら、俺はそれよりもねぎを握った手で申し訳ないという気持ちの方が強い。

 男は他に何かを言いたげだったが、周りからも視線は集まっていたので諦めたみたいだった。


「明人君。もう大丈夫です」

「おう」


 ある程度離れたところで立ち止まり、輪廻と向き合う。

 彼女はすんすんと鼻を鳴らすように手の平の匂いを嗅ぎ、ねぎの匂いがしますねと笑ったので、俺はごめんと素直に謝った。

 謝る必要がないと言った輪廻はジッと俺を見つめた。

 どこか頬が赤く見えるのは夕焼けのせいだろうか、それとも……。


「ありがとうございます。その……大切な子って言ってくれましたね?」

「あ~……その、間違ってはないだろ? 大事な友人なのは確かだけど、ちょいあの状況もそうだけど昔のことを思い出してさ」

「昔?」

「あぁ」


 照れ臭かったのでそのまま話すのも恥ずかしかったが、俺は観念するように言葉を続けるのだった。


「リーちゃんを守るって、任せろってそう言ったからさ」

「……あ」


 この言葉でどうやら輪廻も思い出したらしい。

 視線を下げて俯いてしまった輪廻は何を考えているのだろうか……正直、少しだけ恰好を付けすぎだろうと顔が熱くてたまらないので、出来れば今日はもう別れて帰りたい気分だ。


「だからまあ……輪廻を守る! もちろん黄泉だって同じだ。そう思ったら勝手に体が動いたってこと!」


 あの男から引き離すことは出来たので、この話は終わりだと俺は歩き出した。

 歩き出した瞬間、がばっと背中から輪廻が抱き着く――以前と逆になるかのように輪廻は俺のお腹に腕を回して更に強く抱き着く。

 輪廻が俺から離れたのはすぐだったものの、かなり時間が長く感じたのも必然だった。

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