甘酸っぱい夜の会話

「それじゃあ二人とも、今日はありがとう」

「いえいえ、こちらこそ楽しかったです」

「気を付けて帰ってね明人君」


 輪廻と黄泉に見送られ、俺は新垣家を後にした。

 しばらく歩いて振り返ると、まだその場で俺を見ている二人と目が合った――輪廻も黄泉も俺が振り向くと思っていなかったようで、驚いた様子を見せながらもヒラヒラと手を振ってくれた。


「……あはは」


 いつまで見送ってるんだと苦笑しつつ、長くそうしてくれることが嬉しくて俺もまた手を振り返した。


「よし、はよ帰るか!」


 もう振り向かないぞ……振り向かないったら振り向かない!

 無駄にそんな決意を抱きつつ、道を曲がる寸前にチラッと背後を見た……当然二人の姿はなく、気にしてるのは俺の方じゃねえかよとちょっと恥ずかしくなった。


「……ふむ」


 一旦足を止め、俺は両手をジッと見つめた。

 そのままワキワキと動かすが別に指に調子の悪さを感じたでもなく、何か違和感を感じたわけでもない。


「……………」


 思い出してしまったんだ――この両手が思いっきり、あの姉妹の胸に沈んでしまったことを。

 顔も似ていて声質も同じ……スタイルまでも奇跡的なまでにそっくりだ。

 高校生にしては明らかに豊満な言えるあの柔肉に俺の手が……っ……以前にもあったけど、事故とはいえ二人同時というのは中々に強烈な記憶として刻まれた。


「二人とも……怒らなかったな」


 俺にとってはありがたいことだが、輪廻も黄泉も決して怒らなかった。


『事故だって分かっていますから不安にならないでくださいね』

『そうよ。むしろ感想はどうなの? 柔らかかった?』


 なんて、黄泉には逆に感想を聞かれたくらいだった……まあ二人とも俺と同じで顔が赤いのは当然だったが……。


「……あ」


 男子高校生なので胸に興味があるお年頃なのは仕方ない……でも、考え事に夢中になるあまり家に着いたことすら気付かないのはどうなんだ?

 俺は自宅の玄関の前でそう思った。


「ただいま~」

「おかえり」


 玄関の扉を開けるとちょうど母さんが靴を整えていた。

 どっかに出掛けるとは聞いてなかったし、買い物か何かの帰り……? いや、買い物袋を持ってないし違うか。


「どっかに行ってたの?」

「えぇ。お隣さんに煮物のお裾分けにね」

「あぁそういうこと」

「それより明人はどうだったのよ」


 ……あ~。

 そう言われた時、馬鹿な俺が思い浮かべたのは二人を押し倒した記憶だ……もっと思い出すべきことは多くあるはずなのに、それを思い出してしまったことで分かりやすく顔を赤くしてしまった。


「あら……あらあら? その照れようはなんなのよぉ!」

「う、うるせえ!」


 母さんにうるせえだなんて汚い言葉を使いたくはないが、それでも今だけは母さんにそれを聞かれたくなかったんだ。

 さっさと靴を脱いだ俺だが、母さんは逃がさないと言わんばかりにガシッと肩を組むように俺に密着し、耳元で囁く。


「その反応は何かあったって言ってるようなものよ。ほら、観念してお母さんに白状してしまいなさい!」

「ええい! 何もない!」

「あるでしょ!」


 それからあるだのないだの言い合いが行われ、数分後には俺も母さんも息絶え絶えで見つめ合っていた。


「全く……強情なんだから!」

「友達とのことをペラペラ話さないだろ普通! ……はぁ」


 まあでも、全部を話さなければいいか……俺はもう諦めた。


「その……楽しい時間だったよ。どっかに出掛けたりしたわけじゃなくて、一緒に話をしてお菓子を食べたりしたくらいだけど……マジで楽しかった」

「……ふふっ、そう。良かったわね」


 う~ん、最初からこうやって話せば良かったと思わないでもない。


「それで? それだけならあんなに照れることないでしょ?」

「うぐっ……とにかくこれ以上は何もないから!」


 そこまで言って俺は逃げるように自分の部屋に走った。

 流石の母さんも追いかけてまで話を聞いてくるようなことはなかったが、おそらく夕飯の時にまた顔を合わせたとしてもこれ以上は聞いてこないはずだ。

 母さんは面白いことはとことん好きだけど、ラインはちゃんと見極めてくれるからな。


「……にしても疲れた精神的に」


 たとえ楽しいことばかりでも人間は疲れるようだ。

 大きな欠伸をしつつもすぐに風呂の準備が出来たようなので、この日の一番風呂はいただいた。

 その後の夕飯の時もやっぱり母さんは俺が思ったようにしつこく聞いてくるようなことはなく、父さんとずっと仲睦まじいやり取りを繰り広げて俺を幸せな気持ちにさせてくれるのだった。


「……うん?」


 夕飯を済ませ歯も磨き、部屋に戻ったところで俺はスマホに連絡が入っていることに気付き手に取った――どうやら黄泉から五分前に電話が入ったようだ。


「取り敢えずかけ直すか」


 何の用だろう……そう思いかけ直すと、まさかのワンコールで黄泉は出た。


『もしもし』

「お、もしもし早いな」

『ずっとスマホを見ていたから気付けたわ。ごめんねわざわざ』

「謝らなくて良いよ。どうしたんだ?」


 まだ寝る時間じゃないとはいえ、本当に何の用だろうか。

 そんな風に思っていた俺に彼女はこう言った――少しだけ消え入りそうな声で、それでもハッキリと伝わったんだ。


『明人君と話したかった……もう少しだけ、あなたがうちに来た余韻に浸りたくてたまらず電話しちゃったの』

「……そうなんだ」

『……うん』


 黄泉の綺麗な声で紡がれた言葉にドキッとしたのは言うまでもない。

 ベッドに腰掛けて俺もまた、黄泉と話をしながら彼女の家で過ごしたことを思い返す……あ、また柔らかい感触を思い出しちまった。


「輪廻は?」

『姉貴はもう寝てるわ……ねえ明人君』

「ど、どうした……?」


 少し声が強張った……?


『こうやって女の子と二人で話をしている時に他の子を出すのはダメよ』

「お、おう……ごめん」

『謝らなくて良いわ……ふふっ、私ったらどうしたのかしらね』


 クスクスと笑った黄泉は言葉を続ける。


『今日は本当に楽しかったわ。後、父さんと母さんが帰ってきてから私たちの様子を見てすぐにこう言ったの。お友達とどんなことをして過ごしたのかってね』

「へぇ、うちの母さんと同じやんけ」

『あら、そうなの?』

「それがさぁ」


 母さんにしつこく聞かれたことをそのまま黄泉に教えた。

 うちの母さんとそっくりじゃないか……でも、今日は会えなかったけどいずれは二人の両親とも顔を合わせることはあるはずだ……って、なんでそこまで飛躍してんだよと俺はコツンと自分の頭を叩いた。


『どうしたの?』

「……いや、いずれは黄泉たちの両親と会うこともあるのかなって」

『またうちに来たりしたらあるでしょうね。ふふっ、緊張してるの? それってまるで結婚報告に緊張してるみたいじゃない?』

「そこまではいかないけどさ!」


 確かにご両親に会うのってお宅の娘さんを下さい的なのを連想するけど……しちゃうけどさ! 流石にそんな機会はないと思うんだようん!


『結婚……ねぇ……あうぅ』

「……………」


 だから黄泉が照れるんじゃないっての!

 それから少し妙な雰囲気になりはしたものの、終わり際になると俺と黄泉もいつも通りだった。


『ふわぁ……そろそろ眠くなってきたわね』

「俺もだな……えっと、そろそろ終わるか」

『うん……それじゃあおやすみ明人君。また学校でね?』

「おうよ。おやすみ黄泉」

『……………』

「……………」

『……切らないの?』

「……そっちこそ切らないのか?」


 何だこの甘酸っぱいやり取り……結局、少しだけ延長戦に突入するのだった。

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