彼女の心

「ただいま戻りました」

「お帰りなさい輪廻」


 明人君とのお出掛けの余韻が残る中、家に入ると母が出迎えてくれた。

 靴を揃えて顔を上げると、母は私のことをクスッと笑って見つめている。どうしたのかと思って首を傾げていると、ピッタリと隣に引っ付いて母は笑顔を携えながら口を開いた。


「今日、凄くウキウキな様子で出て行ったでしょう? 最近のあなたも黄泉も凄く楽しそうにしているし……もしかして、彼氏でも出来たの?」

「彼氏……?」

「あら、その様子だと違うのかしら」


 彼氏と言われ、私は少し考え込んでしまった。

 彼氏と彼女、それは付き合っている男女の関係を表している……私は今まで、何度も男性から告白をされてきた。

 そこにあったのは間違いなく、私という女を求める彼らの願いだった。


(……本当に全く想像出来ないんですよね。今まで何度も告白をされたものの、相手に興味はモテなかったですし……何より、どちらでも良いだなんて言われてきたせいなのもありますし)


 だからこそ、自分が恋愛をしている姿は想像が出来なかった。

 しかしながら、そう言った男性たちと彼――明人君は全然違う。黄泉にとっても当然だろうけど、私にとっても彼はとても大切な友人だ。

 実を言うと、ずっと胸に引っ掛かっていたものがある。

 それが明人君と出会うことで刺激され、そこまで長くは掛からなかったが彼との関わりで全てが思い出された。


「……ふふっ♪」


 あぁ本当に、彼のことを思うだけで心が温かくなる……もしも明人君が私の彼氏になってくれたとしたら、それはきっと楽しい日々が待っているんだろう。

 私自身、決して嫌だということはないはずだ。

 けれどやはりそこまでなのだ――私は明人君とそういう関係を望んでいるのではなく、ただただ昔に途切れた時間を取り戻したいだけだ……それが今、私が大切にしたいことなのだ。


「残念ながら彼氏というわけではないですよ。ですが、大事なお友達です」

「そう。なら今度機会があったらうちに連れてきなさいな。どんな子か私も会ってみたいわ」

「そうですね。必ず機会があれば連れてきます」


 母ももしかしたら思い出せるかもしれない……たぶん。

 その後、母と別れて私は部屋に戻り姿見で自分の姿を確認した。


「今日、楽しかったですね?」


 鏡の中に映る自分に問いかけると、鏡に映る私はニコッと微笑んだ。

 まあ私自身なので微笑むのは当然だけれど、今日は本当に楽しかった……彼と一緒に過ごす時間はやはり大切なもので、これからもずっと味わい続けたいと思った尊い瞬間だった。


「……あら?」


 そこで私はスマホにメッセージが届いたのに気付き手に取った。


「……あ♪」


 メッセージの送り主は明人君、内容は短いけど楽しかったというシンプルな文字が並んでいた。

 別れ際にも言ってくれたことなのに、こうしてまた文字にして送ってくれたことに私は心がまた温かくなるのを感じ、私もですと返事をしておいた。


「姉貴帰ったの?」

「あ、はい。帰りましたよ」

「お風呂空いてるから」

「分かりました」


 私が帰ってきたことに気付いた黄泉が顔を出してそう教えてくれた。

 あの子は既にお風呂上りみたいだけれど……たぶんというか、きっと今日はお風呂の時間までベッドの上で過ごしたんだろうなと苦笑してしまう。

 明人君にも話したが、あの子は本当に何も用がないとベッドの上の住人だから。


「さてと、お風呂に行きましょうか」


 今日はちょっとはしゃぎすぎたのでお風呂やご飯を早く済ませて眠りたい。


「……ふぅ」


 お風呂場でシャワーを浴びる中、私はそっと目を開けた。

 鏡には全身を濡らした私が映っており、自分で言うのもなんだけれど黄泉にどこまでもそっくりだと頬が緩む。

 タオルに泡を立て、優しく肌を傷付けないように洗う中――私は自然と明人君のことを考えていた。


「今日は本当に楽しかったですね。また一緒に出掛けたいものです……次は黄泉も一緒が良いでしょうか。それともまた二人で……うふふ♪」


 どんな形になっても、彼が友人として居てくれるのなら私はそれで良い。

 クスッと笑っていると、自然と思い出したのは別れ際に彼に背後から抱きしめてもらったことだ。

 あの時、背中越しに明人君の鼓動を感じた。

 私もつい自分の鼓動を聞いてほしくて胸元に彼の手を当ててしまったけれど、それだけ信頼している証だと受け取ってくれると良いのだけれど……。


「……むぅ」


 本当に昔はこんなことを気にすることなんてなかった。

 昔の私と黄泉は本当に男の子みたいな恰好をしており、半袖に半ズボンで外を駆け回るのが常だった。


「こんな風に髪も長くなかったし」


 お湯に濡れる髪に触れた……濡れているせいでサラサラ感は失われている。


「こんなに胸も大きくなかった」


 大人に近づくにつれ、大きく実った胸に触れた。

 昔はぺったんこだったのに、私も黄泉も中学生になった段階で急激に成長し、今ではブラのサイズもEカップ……お金が掛かって嫌だ。


「こんなに……男に欲望を向けられる姿ではなかった」


 もちろん、だからといって今の自分を恨んでいるわけではない。

 私も黄泉もこうして成長した自分の姿には誇りを持っているし、こんなにも大きく成長出来たのは両親たちの願いがあったからだ――そして何より、明人君が美人だと言ってくれたから凄く嬉しい。


「でもやっぱり……彼とそこまでの関係を望むことは……ないんですよね」


 やっぱり私の答えはそれだった。

 誤解がないように言うならこれは決して彼に魅力がないと言っているわけではないし、そういう関係になる相手が彼であるなら嬉しいことだとは思う。

 でもやっぱり今はただ、彼との時間を取り戻したいだけなのだ。


「むしろ、黄泉が明人君のことを本気で好きになったりしたら素敵ですけど」


 大切な妹が明人君とそういう関係になる……それはとても素晴らしいことだ。

 少しズルい考えだけど私たちは姉妹なので、必然的に私も一緒にある程度は傍に居ることが出来るから……っ?


「……あれ?」


 一瞬、チクッと胸が痛んだ気がした。

 鏡に映る私の表情は変わっていないので、きっと気のせいかと思って私はその考えを止めるのだった。

 その後、お風呂から上がって私は黄泉の部屋に訪れた。

 何をして過ごしたのかと聞かれ、ニヤッと笑いながら私は明人君と過ごしたことを伝えたら……こんな言葉が返ってきた。


「ちょっと! どうして私を起こしてくれなかったのよ!」

「だって起きたとしてもあなたはいつもだらだらして過ごすじゃないですか」

「それは……でも明人君が絡むなら別でしょう! 私だって遊びたいもん!」

「……可愛い」

「ちょっと! 私は至って真面目なのよ!?」


 ごめんなさいと、私は謝っておいた。

 でも彼女のことを可愛いと思ったのは間違いなく私の本心で、そんな黄泉を見つめているのも本当に幸せだった。


「黄泉はダメですねぇ。やっぱり私が傍に居ないと――」


 だからこそ、私は純粋にそう言葉を口にした。

 一瞬、本当に一瞬だけピシッと空気が音を立てたような気がしたけれど、結局それが何であるかは分からなかった。

 顔を上げた黄泉はこうしてはいられないと言って部屋に戻り……もしかしたら、明人君に連絡をするのかもしれない。


「ふふっ、本当に明人君が大好きなんですからあの子は」


 いや、それは私もかとまた笑みを浮かべた。

 明人君が関わると私たちの間で笑顔が絶えない……あぁでもそうだ。もしも彼をうちに呼ぶことがあったなら、私たちも明人君の家に行ってみたい。


「あちらのご家族にもご挨拶とかしたいし……もしかしたら、そちらのことも思い出せる可能性があるから」


 そんな時が来ることを祈りながら、私は夕飯の手伝いのためにリビングに向かうのだった。

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