握りしめる手の温もり

「いつもうるさい奴が居ないってのは中々寂しいもんだな」

「そうだなぁ」


 昼休みになり、昼食を済ませてトイレに行った帰りのことだ。

 芳樹が居ないということで休み時間もそうだが、弁当を食べる時もアニメや漫画の話で盛り上がる彼が居ないのは中々に静かな時間だ。

 そこまで本気で寂しいと思ったわけではないが、やはり一人欠けると物足りない部分があるらしい。


「あ、そうだ正志。放課後なんだけど、終礼が終わったらちと待っててくれ」

「日直だろ? 了解だ」

「すまね」

「良いってことよ」


 日直だからすぐに帰ることが出来ないため伝えておいた。

 クラスだけでなく校内で有名な美人姉妹の片割れと一緒に日直をする……そんな特に何もないことでも注目を浴びるには十分だったので、芳樹も知っているのは当然だが念のためだ。

 彼女たちと日直になって羨ましがられるのは俺だけに始まったことではないので今更だが、よくこんなことで羨ましく思えるなと呆れてしまう。


「午後一発目は数学かよめんどくせえなぁ」

「文句は言わずにやるしかねえよ。俺たちは学生なんだからな」


 まあでも数学が面倒だという意見には賛成だがな。

 その後、教室に真っ直ぐ帰る正志と別れ、俺はそのままいつかのように屋上へと続く階段に向かった。

 今日は別に誰かを目撃したからではない。

 しかし以前にも口にしたが、少しだけ静かな場所で外の空気を吸いたくなる瞬間はやっぱりあるわけだ。


「ドアを開けた瞬間にまた告白現場に遭遇したりして――」

「それはないから安心してください」

「っ!?!?!?!?!?!?」


 屋上に出るドアに手を掛けたその瞬間、背後から聞こえた声に俺は驚いた。

 その驚きようは他人視点で見たいと思うほどに豪快だったはずだ。まずドアノブに掛けようとした手を思いっきりぶつけ、その痛みの反動で近くの置物に足の先をぶつけ……正に踏んだり蹴ったりだ。


(ぐおおおおっ……つま先がピンポイントに小指とか終わってる!)


 悶絶する俺に彼女――輪廻さんが心配するように声を掛けてきた。


「だ、大丈夫ですか!? ……その、やっぱり驚かせてしまいましたか?」

「……そだね」


 そりゃ誰だって突然背後から声を掛けられたらビックリするって……。

 輪廻さんは優しく俺の手を包み込み、まるで痛みを外に流そうとしてくれるかのように撫でてくれた。

 こうなってくると俺も単純なもので、彼女の手がスベスベだなとか色々なことを考えと急に痛みは引いていった。


「えっと……取り敢えずなんでここに?」

「ちょうど屋上に向かう明人君を見たので。それで二人になれるかなと思って付いてきてしまいました♪」

「……………」


 美しい笑顔から放たれた言葉は圧倒的な威力を誇る一撃だった。

 ただそこでニッコリと微笑んだ輪廻さんではあったものの、やはり驚かせてしまったこと、そしてこうして手などを痛めたことに罪悪感を感じているらしく、目尻を下げてまた謝ってきたので俺は大丈夫だからと伝えた。


「全然大丈夫だって。だから手を離してもらえると……」

「……あ、私ったらまた」


 今気づいたと、そう言わんばかりに輪廻さんは手を離してくれた。


「すみません。自分で言うのもあれなんですけど、ごく自然に明人君の手を握ってしまいました」

「いや……別に減るもんじゃないからな」

「ふふっ♪ そうですか」


 さっきまでは俺を驚かせてしまった罪悪感がありありと表情に出ていたが、輪廻さんはようやく笑みを浮かべてくれた。

 彼女を前にしても黄泉さんを前にしても同じことを考えてしまうのだが、本当に綺麗な微笑みでいつ見ても心臓がドキッとしてしまう。

 まだ少し手と足のつま先の痛みは残るものの、全く大したことはないのでそのまま俺は屋上に出た――もちろん輪廻さんも背後に続く形で。


「今日さ。黄泉さんと日直だからそれとなく話す機会が多いんだけど、やっぱり俺が見分けられることは伝えてないんだな?」

「はい。ですが過去のことについては少し伝えましたよ? 幼稚園はこちらで、小学校と中学校は別の場所だったことを」


 一応それについては喫茶店での別れ際に大丈夫だと伝えていたことだ。

 まあ仮に勝手に話されても知られて困ることじゃないし、むしろ二人の間に俺なんかの話題で良いのかよって気持ちもあるくらいだ。

 屋上の手すりに手を置き、遠くの景色を眺めながら輪廻さんは言葉を続けた。


「あれから何かないかと思って黄泉と一緒に過去の写真を見てみたんです」

「へぇ?」

「何も見つかりませんでした。小学校と中学校時代も念のため探してみましたけど、特にこれと思えるものは……ただ、幼稚園の頃の私たちはこんなだったなと黄泉と笑い合いましたけどね」


 幼稚園の頃の彼女たち……か。

 きっと可愛かったんだろうなと思っていると、意外な事実を輪廻さんは当時を思い出すように教えてくれた。


「私と黄泉って幼稚園の頃はやんちゃだったんですよ。それも写真を見て少しだけ思い出しました――黄泉に至ってはオレって言ってたんですよ?」

「……えぇ?」


 オレ……?

 あの超絶的美少女の黄泉さんがオレ? 幼い時期にやんちゃだったという過去は別に誰にも珍しいものではない……ないとはいえ、目の前に居る輪廻さんと同じ顔をした黄泉さんがオレ……全然想像出来ない。


「全然想像出来ないって顔ですね?」

「うん。全然出来ん」

「ちなみにこれは普段話をする友人たちも知っています。彼女たちも最初は信じてくれなかったんですけど、黄泉が私のことを姉貴と呼んでいるので段々察してきたという感じです」

「あ、確かに姉貴ってやんちゃっぽいイメージを感じさせるな」


 なるほど。だから黄泉さんは姉貴って呼んでるのか。

 そういう呼び方もあるなと思って気にはしてなかったけど……そうかぁ、彼女たちにやんちゃだったという過去があってのことだったんだな。


「輪廻さんは特に変わらないのか?」

「私は……そうですね。特に変わりはしないと思います……あ」

「うん?」

「……そういえば」


 そう言って輪廻さんは俺のすぐ前に立ち、また優しく俺の手を取った。


「何となく……黄泉にもそうですけど、仲の良い人にはこうしていた気がします。こうやって手に触れて……そこに居るんだと安心を感じるように――」

「ちょ……輪廻さん?」


 輪廻さんは俺の手を取ったまま、自身の頬に引き寄せた。

 大切な宝物に頬擦りするかのように、目を細めて彼女は俺の手の平に頬を当て……そしてハッとするように手を離した。


「ご、ごめんなさい……その、私ったらまた突然手を握ってしまって……」

「いや……減るもんじゃないし?」

「そ、そうですか……っ」

「……………」

「……………」


 また減るものじゃないって言っちゃったよ……って、そんなことはどうでも良い!

 輪廻さんの行動から今のような状況になったわけだけど、お互いに照れているこの状況に背中が痒くなる。

 今まで輪廻さんが手を握ってきたことはあったけど、さっきの頬擦りに関してはたぶん意識した行動ではなかったんだろう――だから目の前の彼女は顔を赤くして目をキョロキョロさせているんだと思う。


「その……ちょっと照れますね」

「……いえす」


 ……この空気、どうにかなりませんかね。

 俺たちの間に言葉はなく、彼女にドキドキしている心臓の鼓動が聞こえるんじゃないかと言わんばかりの静寂だ。

 しばらくその間が続いた時、パンと輪廻さんが手を叩いた。


「そろそろ教室に戻らないとですね!」

「……あ」


 そういえばそうだなと俺は頷いた。

 少しだけ慌てるように歩き始めた輪廻さんだったのだが、それがマズかったのか彼女が少し足を段差に引っ掛けてしまう。

 俺はそれを見て咄嗟に危ないと思い彼女の元に駆け寄った。


「輪廻さん!」

「っ……」


 正直、倒れるとまではいかなかったかもしれない。

 それでも俺は彼女の体を支えた――その拍子に思いっきり彼女を抱き寄せてしまったことで、彼女の豊満な胸が俺の体に押し当てられた。


「っ……大丈夫か?」

「は、はい……大丈夫です」


 ゆっくりと体を離し、さり気なく彼女の体を確認する。

 どこか捻ったりしたわけでもなさそうで一安心だが、この距離は俺の心臓に悪いためすぐに離れなければ――そっと体を離そうとした時、俺はまたあの不思議な感覚を覚えた。


『ありがとうあきくん!』

『ありがとあっくん!』


 まただ……また聞き覚えのあるような、懐かしい声が響いた。


「明人君?」

「わ、悪い!」


 そっと輪廻さんの体を俺は離した。

 かなりの至近距離で見つめ合う形になってしまったけれど、とにかく彼女に何もなくて良かったとホッと息を吐く。

 それから屋上から校内に戻った時、そっと輪廻さんが呟いた。


「ありがとう明人君」


 階段を下りていた途中での言葉だ。

 下から見上げる形だったが、俺を見下ろしながらの微笑んでいた輪廻さん――先ほどのことを思い出してしまい頬が熱くなったが、俺は最大限のスマイルを心掛けるように親指をグッと立てた。


「……ぷふっ!」


 笑うんじゃないよ!

 不満そうな顔をしていたらしく、すぐに輪廻さんに謝られてしまったが……それにしても、やっぱりとてつもなく良い匂いだったなとさっきのことは強く記憶に刻まれることになりそうだ。

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