意識

「……早まったかもしれない」


 そう呟いても時既に遅しだった。

 突然の激しい通り雨に見舞われた俺と黄泉だったが、俺は自然に彼女に対して取り敢えず俺の家が近いから来ないかと提案したのだ。

 誤解がないように言わせてもらえば下心は一切なかった。

 びしょ濡れになった彼女の胸元を見てしまってパニックになったのは確かだが、それでも決して邪な気持ちがなかったことだけは弁明したい。


「よし、これを持って行くとして……」


 俺が手に持っているのは普段使っているシャツとズボンだ。

 向かう先はお風呂……ゆっくりと扉を開くと、シャワーの流れる音が聞こえるのだが、脱衣所と浴室を隔てる一枚の戸から女性のシルエットが見えている。


「……………」


 俺は可能な限りそちらを見ないようにしながら着替えを置いた。

 すると、シャワーの音によって黄泉には何も聞こえていないはずなのに、キュッと音を立ててシャワーが止まった。


「明人君?」

「あ、あぁ……着替え持ってきたよ」

「ありがとう。でも……本当に良いの?」

「それは俺の台詞だろ。濡れたままの服を着せるわけにいかないとはいえ、俺の服で本当に良いのか?」

「良いわ……それが良いの。本当にありがとう」

「お礼なんて要らないって。悪いのはあのクソ天気野郎だ」

「……ふふっ♪ そうね」


 着替えを置いて俺は脱衣所を出た。

 いくらシャワーで体を温めるとはいえ、その後に着るものというのはやはり必要になるわけだ。

 あれだけびしょ濡れになったので頑張って乾かしてもまだ制服は乾かない。

 なので最初は母さんの服を引っ張り出そうとしたのだが、黄泉は俺の服で構わないと言ったのでこうなったわけである。


「……こういう時、どうすれば良いのか分かんねえ」


 取り敢えず……俺はリビングで彼女を待つしかない。

 幸いに今日は両親共に遅くなると連絡が入っているので、どれだけ遅くまで黄泉が居たとしてもこのような現場を見られることはなく、それだけは安心している。

 俺もシャワーを浴びたいところだったが、黄泉が帰ってから改めて風呂に入ることにし、俺は制服から私服に着替えて髪などもしっかりとタオルで拭いた。


「お待たせ」

「お、おう……」


 それからしばらく待っていたら黄泉が戻ってきた。

 俺のシャツとズボンを身に着けた彼女はやはり凄く新鮮に見え、それは彼女も同じらしく少しだけ動きが固かった。


「ちょっとおかしな感覚ね。男の子の服……というより、まさかこうして明人君の服を着ることになるなんて思わなかったもの」


 それは俺も同じだよと苦笑する。

 当然ながら黄泉に緊張した様子は見られたものの、それも一瞬で少しすれば俺の服を着ていることにも慣れて行き、俺は触れることが出来ないため黄泉は自分の下着を乾かしていた。


(……だからマジマジと見つめるんじゃないっての!)


 つい何も考えずに下着の手入れをする黄泉をみつめてしまっていたのだが、彼女はそんな俺に気付いていなかったようでホッとする。

 とはいえ……黒のレースという派手な下着だった。

 大人っぽい下着に少しドキドキしたが、スタイルの良い彼女だからこそ着こなせる下着だなとも納得出来た……ええい! だから考えるんじゃない!!


「……?」


 ブンブンと頭を振っていると黄泉と目が合った。

 彼女は下着を手にしながら俺を見つめており、ジッと見つめてきたかと思えばクスッと笑って綺麗な微笑みを浮かべ、少しだけ俺に近付いてこう言った。


「何を考えているかは敢えて聞かないわ。でも……別に良いんじゃない? 私が言うのもなんだけど、こういう状況においてそれは仕方ないと思うのよ。私、理解のある女で居たいから大丈夫」

「……そですか」

「えぇ」


 それなら少しだけ気楽に考えることにしよう。

 黄泉から視線を外して外を見た。俺たちがこんな目に遭う原因になった通り雨は既に止んでおり、雨雲さえも通り過ぎたのか太陽の光が照り付けている。

 こんなことなら最初から降るんじゃねえよと文句を言っても仕方ないが、本当に空気の読めない天気だった。


「けどこれは姉貴にマウントが取れるわね。流石の姉貴も私が明人君の家に居るだなんて思わないだろうし」

「それほどか?」

「それほどよ。何なら今からテレビ通話でもして姉貴~見てる~? って言いたい気分だわ凄く」

「流石に止めとこうか。俺も恥ずかしいし」


 そう言って俺は立ち上がり冷蔵庫に向かった。

 中から取り出したのは母さんが買ってきていたプリンで、いつでも良いから食べなさいと言われていたものだ。

 ちょうど二つあったので俺の分と黄泉の分でちょうどだった。


「良いの?」

「あぁ。これくらいしか今は出せなくて申し訳ないけど」

「そんなことないわ。凄く美味しそう♪」


 それから二人で雑談を交えながらプリンを味わう。


「美味しい♪」


 幸せそうにプリンを食べる黄泉を見ていると自然と頬が緩んでくる。

 しかし……当然ながら自分の服を美少女が目の前で着ているというのはやっぱり気になってしまう。

 男女の体格は違うし、シャツに関して俺は少し大きいのを買う癖があるので黄泉が今着ているシャツも結構ブカブカだった……そのはずだが、スタイルが良い故に胸元は盛り上がっており、本当に刺激的な光景であることは否めない。


「ほれ、ジュースもあるぞ」

「ありがとう♪」


 気を取り直すようにコップに注いだジュースも渡す。

 少しだけ熱くなっていた頭を冷やすため、俺もジュースを喉に通す――ひんやりとした感覚が喉を通じて体全体に広がっていくように、段々と熱も引いて気分も落ち着いてくる。


「私、こうやって男の子の家に来たのって初めてなのよ」

「そうなのか?」

「えぇ。今の私はどう見えてる?」

「どうって……」


 美少女が俺のシャツを着ているという風にしか見えないが……。

 まだ半分程度ジュースが残っているコップを置いて彼女は更に俺との距離を縮め、いつものように肩ドンをかましながら言葉を続けた。

 上目遣いで、頬を若干染めながら。


「こう見えて結構ドキドキしてるわ。あなたの傍がとても落ち着くのは確かで安心出来るけれど、やっぱり初めてのことって緊張するもの」

「……だな。そう考えたら俺も女の子を家に呼んだのは初めてだけど」

「そうなんだ……」

「うん……」

「……………」

「……………」


 君が始めた会話だろ! なんで止まるんだ止まるんじゃねえぞ……っ!!

 互いに見つめ合ったまま照れるというだけの時間が過ぎていくも、俺は少しだけ別のことを考えていた。

 それは過去に黄泉と二人だった時、どうしていたのかと……それを考えていたからなのかどうかは分からないが、俺は自然と黄泉の肩に手を置いていた。

 抱き寄せるわけではなく、ただそうやってポンポンと軽く触れるだけ。

 これは俺がというより、よく彼女が俺にやっていたことのように思える。


「……あ、そういえば昔……よくこうしてたかもね」

「黄泉がな」

「そうだっけ……うん。そうかもしれないわ……思い出してきた」


 当時の彼女は輪廻以上にわんぱくだった。

 隣に座る俺とよく肩を組んでゲラゲラ笑っていたのも思い出す。


「……よし」

「?」


 そこで何かを思い付いたのか黄泉はニヤリと笑い、俺の方へ視線を向けたかと思えば腕を肩に回してきた。

 それはまるで過去の姿を再現するかのようなもの……にししと笑う黄泉の笑顔はどこか少年のようで、一瞬だが女性ということを忘れるほどだった。


(……これだもんな。これだから変に意識するのも馬鹿らしくなる)


 いつの間にか黄泉は自分のペースを取り戻して俺に身を寄せているので、こうなってくると俺一人だけ緊張しているのも馬鹿らしくなるわけだ。

 肩を組むということは彼女の膨らみが触れる……しかし、それすらも黄泉の浮かべる笑顔の前にはどうでも良いとさえ思えてしまう。


(……ちょっとトイレ――)


 その時、トイレに行きたくなって俺は立ち上がろうとした。

 俺の意図を汲み取ってくれた黄泉が腕を離してくれたものの、ずっと胡坐だったせいで足が痺れていたようだ――体勢を崩しそうになった俺を黄泉が受け止めようとしたがそれがマズかった。


「っ……」

「あ……」


 こんなことが現実であって良いのかよと言いたい……でもあった。

 黄泉を押し倒す形になり、右手がちょうど黄泉の胸に触れていた――以前に輪廻の胸に触れた手が今、黄泉の胸にも触れていることにある意味で運命を感じさせる。

 俺が上で彼女が下だからこそ、むぎゅっと指が沈んでいるのがよく分かる。


「ご、ごめん――」


 すぐに離れて俺は謝った。

 黄泉はしばらく呆然としていたが、全然大丈夫と言って起き上がった。


「大丈夫よ。こういうハプニングも偶には良いんじゃない?」

「……そんなもんかな?」


 彼女が特に気にしていないのであれば良かったと、俺は心から安心した。

 それからある程度制服が乾くまで黄泉と他愛無い雑談をしたが、時折チラチラと俺の横顔を見つめてくる彼女と目が合い、すぐに黄泉がサッと視線を逸らすことが続くのだった。

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