心の異変
「……ったく、せっかく出てきたのに芳樹の奴……って、まあ仕方ないんだが」
休日、芳樹がボウリングにでも行かないかと誘ってきた。
基本的に休日を暇に過ごしている俺にとって、友人と遊ぶ時間というのは特に断る理由のないものだ。
だからこそこうして芳樹と遊ぶために外に出たのに……。
『すまん。母ちゃんが腰を痛めてよ……それで色々あってだな』
既に俺は待ち合わせ場所の近くに来ており、少し遅いなと思って本屋で時間を潰していたらこれだった。
まあでも、あいつへの憎まれ口はここまでだ。
家族に何かあったのなら仕方ないし、俺としてもあいつのお母さんとはそれなりに親しい仲だからな。
「えっと……精々看病してやれよっと」
そう芳樹に返事を返し、俺は本屋を出た。
ボーッとしながら騒がしい休日の街中を歩いていく……特に用もないし、このまま帰っても良いかなと思ったその時だった。
「あ、明人君」
「……あ」
ふと、声を掛けられて俺は咄嗟に視線を向けた。
声ですぐに分かったがそこに居たのは輪廻――彼女を見た瞬間、一瞬にして体の体温が上がったようにも感じた。
(っ……あの日からどうも輪廻を見ると顔が熱くなるんだよな)
輪廻に強く抱きしめられたあの日、あの日から何かが変わったような気がした。
変わらず学校では輪廻だけでなく黄泉とも会って話をするが、輪廻と二人っきりになると途端にぎこちなくなってしまう。
その空気は決して良いとは言えないのだが、妙な甘酸っぱさを感じるなと考えるあたりまだ余裕は持てているんだろう。
「おはようございます明人君」
「おう。おはよう輪廻」
「……………」
「……………」
あ、またこの空気だ……。
俺は特に分かりやすい変化があるわけではないけれど、輪廻は言葉を探すかのようにきょろきょろと視線を動かしている。
その様子は今まで見てきた彼女とかけ離れており、その落ち着きのなさが珍しいなと思いつつもどこか可愛かった。
(ここは俺が先陣を切らねばなるまい。男として、女の子を困らせるな!)
そう自分を叱責し、いつも通りを心掛けるように口を開いた。
「珍しい……とはならないけど、今日もお出掛けか?」
「あ、はい……その、暇を持て余しまして」
「そうなんだ。あ、そうなると黄泉はベッドの上かな?」
「……うふふ♪ そうですね、あの子はたぶんいびきもして爆睡中ですよ」
いびきは言い過ぎでしたと輪廻は笑った。
けど俺の機転というか話を振ったのは間違いではなかったらしく、しかも話題が黄泉のことなので輪廻もどこか雰囲気が前に戻った気がする。
でも……ここからどうしよう……?
(……って俺のおバカ! これじゃあ結局何も変わらないじゃねえか!)
せっかく会話が弾んだのにまた逆戻りだ。
ただ、俺は学習をする生き物……なので咄嗟ではあったが元々芳樹と合流したらしようと思っていたことを口にする。
「な、なあ輪廻。せっかくこうして会ったんだしカラオケでも――」
いや、ちょっと待てよ?
女の子を密室でもあるカラオケに誘うってのはどうなんだ……? 最近になってとことん仲良くなれたわけだけど、流石に二人っきりでカラオケは……いやでもこうして遊ぶとしたら初めてじゃないし……。
そう心の中でいくつもの葛藤をしていた俺だが、そんな俺の手を輪廻が握りしめてこう言った。
「カラオケ行きましょう! 私、かなり音痴ですけど大丈夫です! 明人君とカラオケに行きたいです!」
「わ、分かった! それじゃあ行くとしよう!」
「はい!」
……なんか、カラオケに行くことになりました。
俺と輪廻は言葉数少なめに近くのカラオケ店に入り、男性の店員が輪廻に見惚れるというある意味でありきたりなイベントはあったが部屋まで案内してもらう。
「ごゆっくりどうぞ~」
「ありがとうございます」
丁寧に店員に頭を下げた輪廻、そんな輪廻を見て店員さんは鼻の下を伸ばしながら照れていた。
これ、完全に俺という男が居なかったら連絡先を聞いていたなと思うくらいには輪廻のことを見ており、俺はさっさと行けよと視線で訴える。
「明人君?」
「いや、何でもない」
店員が去った後、早速何を歌うかを考える。
ただ……そこで輪廻があらっと声を上げた。
「どうした?」
「あの……こんなものがコップの下に挟んであって……」
「……あの店員め」
それは連絡先の書かれた紙だった。
基本的に飲み物とかは客が部屋に入ってしばらくしたら持ってくるもののはず、だというのにしっかりと飲み物が用意され、しかもそれをあの店員がわざわざ持った時点でおかしいなと思ったが……中々姑息なことを考える奴だ。
「電話番号と連絡アプリのIDですね」
「それ、捨てようぜ」
「当然ですよ。要りませんこんなもの」
輪廻は半分からビリッと破るだけでなく、両手でクシャクシャにするようにしてからゴミ箱に捨てた。
その容赦の無さは清々しいの一言で、見ている俺も気持ちが良いくらいだ。
さてと、それじゃあ曲を決めようか――そう考えた時にまた輪廻がボソッと小さな声で、けれども俺も聞き取れる声量で呟く。
「……私、男性とこういう場所に来たのは初めてです。ちょっと緊張しますね」
「……………」
やめて、改めて言われるとまた変に緊張してしまうからさ!
俺は顔に出ないようにと必死に曲を選ぼうとするが、コップを両手で持って口に付けながら飲まずにジッと輪廻が俺を見つめてくる。
その所作はちょっと可愛いなと思うほどで……あぁもう! この何とも言えない甘い空間は何なんだ!!
「……ふぅ」
いや、やっぱりちょっとトイレにでも行って落ち着くことにしよう。
俺はデンモクを置いて立ち上がろうとしたのだが、何故かここに来て急に足元から力が抜けて体勢が崩れた。
これは別に立ち眩みでも何でもなく、特に理由のないものだ。
「あ、危ないです!」
そんな俺を助けようとしたのか、手を差し伸べてくれた輪廻がこちらに向かう。
そして……なんでそうなったのか分からないが、輪廻もまた可愛い悲鳴を上げて体勢を崩してしまい、俺たちはギャグでもやってるのかと誰かが居たらツッコミを入れたことだろう。
「……あ」
「……っ」
彼女が転げそうになったのを見た俺の体は即座に反応し、一瞬にして足元の力を取り戻して輪廻に腕を伸ばす。
腰に腕を回すようにして抱き寄せたかと思えば、そのまま彼女の豊かな胸が俺の顔面にシュート! 俺はこのカラオケにおける密室の中、おっぱいサンドイッチを食らうのだった。
「……ごめん」
「い、いえ……」
すぐに俺たちは離れたが……お互いに相手の顔を見ることが出来ないほどに、顔が赤くなってしまうのだった。
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