第44話 愛され過ぎて

 酔った勢いでギロチンに登ろうとした天使サン・ジュストは


見知らぬ男に羽交い締めにされ、身動きが取れなくなった。




「小僧、何者だ? さては我が愛しの女神様の首を落としたのと


 同じ刃で死ぬ栄誉をおれから奪おうとする泥棒猫に違いない!


 痛めつけてやる!」





「ワーッ! こいつ頭がおかしい、誰か助けにきて!」


 美人暗殺者、シャルロット・コルデーに恋焦がれ、すっかり頭が狂った男は


逃げ出そうともがいている天使の手足をへし折ろうとしたが、


上空から巨大な物体が猛スピードで突進してきた。




「ありゃあ、でっかい鳥に人が乗ってる!? しかもすごい美人……」


 ホレっぽい性質の男は黒髪をなびかせて現れた美女の虜になってしまったが、


彼の新しい女神様はポカンと口を開けて突っ立ったまま、自分にみとれている


崇拝者を一撃のもとに倒した。




「まったく、なんて世話の焼ける悪党だろう」


 女は痛さのあまり地面にうずくまっていた天使を


抱え上げると、再び鳥に乗ってどこかに飛び去った。




「おお、あれはまさしく天から舞い降りてきた女神様!


 ありがたや! あの気高く美しい女神様を失った今、


 この世には絶望しかないと思い詰めていたが、


 救われた気分だ!」 


 ついさっきまでコルデーの後追い自殺をすることしか


頭になかった男は地面に這いつくばったまま、真っ赤になって


新たな崇拝対象であるシャルロット・ロベスピエールが


去っていった方向を長いこと見つめていた。






「ねえ、さっきはすごく怖かったよ。慰めてえ」




「ハイハイ、ちょっと静かにしててね。もうすぐ兄さんの


 家に着くから」


 シャルロットはイライラしていたので、背後で媚態を振りまく


天使の方をちらりとも見ずに無愛想な返事をした。




「おねえさまの意地悪。おれのこと、もう一人の弟だって


 言ってたじゃん。弟を甘やかして」


 恋に恋焦がれて熱しやすい上に、吊り橋効果まで加わったせいで


大胆になっていた天使は鳥に二人乗りして夜空を飛行している間中、


シャルロットにちょっかいをかけていた。




「あんたねえ、姉の髪の毛にさわったり


 耳に息吹きかけたりする弟がどこにいるのよ!


 オーギュスタンはそんなこと、しないわよ!」


 ついにブチ切れたシャルロットがこっそり突き落してやろうという


衝動に駆られた時に魔犬に乗ったマクシミリアン・ロベスピエールと


遭遇した。シャルロットは兄の表情を見てこれから起きるであろう


災難の予感に怖気を振るった。




「ヤバい。激おこだ。兄さんのはげ頭から湯気が立ち上っている」




「シャルロット! わしの夫つまと空の上で密会して


 イチャつくとはいい度胸だな! 今すぐアラスに送り返す!」




「兄さんのために彼を助けたのに、何でそんなひどいこと言うの!?」


 兄と妹の言い争いが始まった。




「モテすぎちゃってどうしよう。兄と妹でおれの奪い合い……


 おれってそんなに魅力的? イヒイヒ」




「バーカ! 組織から護衛対象に指定されていなければ、


 あんたなんて絶対助けないっつーの」


 シャルロットに冷たい目で見られていることにも気づかず、


調子者の天使はすっかりうぬぼれて、一人でくねくねしていた。






 童貞は再びライン軍に派遣された天使恋しさに、毎晩、通信用の魔道具で


やりとりしていたが、体内に貯蔵された規格外の魔力を総動員して


水鏡で相手の様子を盗み見ていた。




「マクシム、君の声が聞けてうれしいよ。


 軍隊の規律がめちゃめちゃでしばらく戻ってこれないのが


 残念だ。独り寝は寂しいな。早く会いたいよ」




「よくもぬけぬけとそんなウソをつけたものだな!


 後ろにル・バがパンツ一丁で寝転んでいるじゃないか!


 今すぐ浮気現場に乗り込んでやる!」






 その頃、オーギュスタン・ロベスピエールはナポレオンボナパルトを


ベッドに連れ込んでいた。




「ああん、議員殿、もっと奥まで攻めて」




「よしよし、いい子だ。今度の人生でもおまえを出世させてやる。


 兄さんに紹介してやろう」




 二人の激しいプレイをのぞき見ていたシャルロットはあきれ顔だった。




「未来の皇帝が痔になった原因はうちの弟か。


 あんなシワシワのチビ、どこがいいのかしら」




「君、おれとマクシムのこと、治してくれたんだって?


 どうもありがとう」




 数日後、天使に礼を言われて照れた蛇は


くねくねしながら自分の体でハートマークを作った。




「おや、白い蛇が赤い蛇になった。もしかしておれのこと、好きなの?」


 蛇は丸を作った。




「ふうん、じゃあお願いがあるんだけど。おれがまた元気になるには


 ……が欲しいんだ」


 蛇は承知したと伝えると、出て行った。




「ずいぶん遅いなあ。まさかバレたんじゃないだろうね」


 長々と待たせた後で蛇は頼まれたものをもって戻ってきた。




「ああ、いい香り。お姉さまったら、隠れ巨乳なのね」


 


「ルイ! 大丈夫か……って、何やってんだ!?」




 見舞いにきたル・バは女物の下着の山に埋もれ、


パンツを頭にかぶって寝そべっている天使を発見して絶句した。




「あら坊や、そんなに私の下着が欲しかったの?


 下着だけじゃなく、私の身体もあげるのに」


 石像のように固まっているル・バの後ろから顔を出した


デュプレ夫人の言葉に仰天した天使はあわてて下着を投げ捨てた。




「ゲッ! これ全部、エロババア(デュプレ夫人)のだったのかよ!


 どうりでサイズが大きいと思った! ちくしょう、


 あの蛇め、おれをだましたな!」




 さかのぼること、数日前。




「あんた、私の下着を口にくわえたり、体に巻き付けたりして


 一体、どこに持っていく気!? あのエロ天使にほれて


 私を裏切るなら、ただじゃおかないよ!」


 シャルロットの下着を盗もうとして見つかった蛇は


体にぐちゃぐちゃの結び目を何個も作られて折檻されたあげく、




「エロババアの下着で代用しろ! 命令に従わなければ、


 このまま外に投げ捨てるよ」


と脅されたのであった。






 この事件の後、小鳥はシャルロットをしきりにからかった。


「天使の奴、おまえさんに気があるみたいだな」




「やめて。天使あいつはデュプレのババア以外なら、


 誰でもいいのよ。それより、そろそろ誰かリヨンに行って


 シャリエを救出して来ないと、虐殺が起きちゃうよ」




「おれたちの組織の中でも腕利きの隊員が何人も向かっているから


 信じて待とう」


 虐殺の口実となった、革命家処刑を防ぐ重大任務に自分たちの組織の


精鋭たちがこれまで何度も失敗していることを思い出したシャルロットは


ため息をついたのだった。




 ところで未だ昏睡状態のままの童貞マクシミリアンは


いつの間にかデュプレ家の寝室に運び去られ、


エレオノール・デュプレが添い寝していたが、


シャルロットお手製の最強度の魔法の貞操帯がつけられており、


純潔は守られたのであった。



シャルロットが兄、マクシミリアンのためにレース編みで


スケスケの下着を作っていると、小鳥が念話で話しかけた。




「今、本部からシャリエの救出任務失敗の知らせが来たぞ」




「やっぱりね。風見鶏フーシェの野郎が大砲で殺戮の限りを尽くす前に


 我々の仲間がリヨンに先回りすればひょっとしたら……」




「その前に エ・ロ・オノールにベッドに連れ込まれた


 兄ちゃんを救出するのが先だろ」






 その頃、デュプレ家の寝室では不毛な格闘が続いていた。


「キーッ! 何なの、この貞操帯、どうやっても外れない!


 先生が眠っている間に急いで既成事実を作らなくちゃならないのに!」


 モテない長女エレオノールは奇声を発しながら


マクシミリアンの下腹部を覆っている鋼鉄の魔防具を


憎々しげにげんこつで叩いたがびくともしなかった。




「ルイ・アントワーヌ、愛するわしの美しい天使」


 彼女のことなど眼中にない童貞マクシミリアンの寝言を


聞いてますますイライラしたエレオノールが




「もういっそ、先生の身体ごと爆破してやろうかしら」


などと恐ろしいことを考え始めた頃、「愛するわしの美しい天使」こと


サン・ジュストが訪ねてきて、ドアをノックした。




「マクシム! そこにいるんでしょ。お見舞いに来たよ」




「そうだ、多分あの男ならこれを開けるカギを持っているはず。


 あいつが錠を開けた途端、私が後ろから殴って気絶させて


 その間に私が先生の身体を……ぐふふ。最高権力者の妻の座は


 すでに手に入ったようなもの。私も今年でもう25歳、


 何としても妹たちの夫より地位が高い男をモノにしてみせる」


 腹黒い女は不気味なニヤニヤ笑いを浮かべながら戸棚の中に身を隠した。




「マクシム、愛してるよ」


ずかずかと部屋に入ってきた天使に耳元で甘く切なげな声でささやかれた


童貞は必死で体を起こそうとしながら途切れ途切れにこう呟いた。




「ルイ……わしの想いは……どうすればおまえを……


 誰が何と言おうと、死刑を無くさ……ギロチンを……」




「ねえ先生、よく効く薬を手に入れたよ。アーンして」


 まだ頭がもうろうとしている状態の童貞は目の前に差し出されたスプーンに


盛られた粉末を飲み込もうとしたが、突然、悪意に満ち満ちた、


恐ろしい声が頭の中でこだました。




「キャハハハ! 楽勝、楽勝!! 愛する天使様に毒を盛られる


 気分はどうですか、童貞チビメガネさん?


 声まで兄貴にそっくりで得したわ」




「何だ、今のは!? わしに対する強い敵意を感じたぞ。


 もしや、ここにいるのはルイではないのか?」


 ぎょっとした童貞は怪しい粉薬を全部吐き出した。




「……おまえ、誰だ?」




「チッ! 意外と勘が鋭いな。この薬で当分眠らせておこうと思ったけど、


 バレた以上は力ずくで拉致するしかない!」




 天使によく似た妹は童貞を担いで連れ去ろうとしたが、戸棚の中から


飛び出してきたエレオノールが戸口に立ちはだかった。


だがにせの天使はすかさず刃物を童貞の首に突き付けた。




「童貞こいつがどうなってもいいのかな?」


 さすがのエレオノールも思い人を人質に取られては


手も足も出ない。この騒ぎを聞きつけ、天井裏から


飛び降りてきたシャルロットがにせ天使の不意をついて倒した。




「あんたもまだまだね。兄さんをあげることはできないわ」




「何ですって!?」


 女同士でにらみ合いになっている間に本物の天使サン・ジュストが現れ、


小柄な童貞をお姫様だっこして連れ去った。




「マクシム! 一体、何があったんだ? もしやおれの妹が


 君にひどいことを……」




「いいんだ、わしは無事だったんだから。ルイ・アントワーヌ、


 わしを抱いてくれ!」


 二人は抱き合って熱い口づけを交わした。


天使は童貞のやせこけた体の隅々まで激しい愛撫を加えたが、


肝心な場所が封じられていた。




「こんな仰々しいのがあったら邪魔……ウオーッ!


 何てうまいんだ、もうイッちゃうじゃん!」


 チュウチュウ音をたてて吸われて膨張した例の部分に


触れたとたん、固く閉ざされていた貞操帯は粉々に砕け散った。




「なるほど、おれのモノがこの帯のカギなのか……」




「では早速、おまえにも同じ帯をつけ……アアアア!」


 貞操帯をつけさせられてはたまらないと焦った


天使はすごい勢いで腰を動かして童貞を失神に追い込んだ。 


 




「ジャンヌ! おまえ、どうしてマクシムを目の敵にするんだ!?


 もしかして、お兄ちゃんを取られたからヤキモチを焼いているのか!?」


 椅子に縛り付けられたジャンヌは口の端にうっすらと笑みを


浮かべて自分に生き写しの兄を見つめた。




「なぜですって? 兄さんをどうしても死なせたくないからよ。


 いくらロベスピエール先生を崇拝しているからって、


 死の世界にまでお供することないじゃない。私はもう二度と、


 大事な家族を失いたくないの。母さんも心配しているよ」


 泣き虫な天使は妹の一言に自分への愛情を感じてほろりとしたが、


実のところ、この妹に憑依中の未来人は自分の所属する組織から


テルミドールの政変後まで天使を延命させるように厳命されていたのだ。




「馬鹿ね。あんたを救出するために私が色々動いているのは


 任務だからに決まっているじゃないの。こっちはあんたが


 しょぼくれメガネと心中してあの世の道連れになろうが、


 どうでもいいんだよ!」


 心の中で悪態をつきながらも若く美しい妹は泣きまねをしてみせた。




「おまえ、そんなにおれのことを……。おれは生まれてすぐ里子に出されて


 十歳から寄宿学校に入ってたからおまえと一緒に暮らしたことも


 ほとんどなかったのに。おれは愛するマクシムを傷つける人間には


 容赦しないと誓っていたけど、どうすればいいんだ……。


 あの頃、おれの心はマクシミリアンから離れつつあったが、


 どうしても彼を見捨てることが出来なかったのだ……」


 泣き虫な天使はハンカチをビショビショにしてさんざん泣いたあげく、


とうとう妹を逃がしてしまったのである。その様子を小鳥が盗み見ていた。




「こっそり解放するなんて意外とシスコンなのかな? それとも


 マクシミリアンへの愛が薄れてきたとか?」 

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