第18話 君の名は
そんなことがあった数日の後、デュプレ家の居間で
ジョゼフ・ル・バの妻であるエリーザベトが
ハンカチで目頭を抑えながらシャルロットと向かい合っていた。
「主人が、ジョゼフがもう何日も家に戻ってこないの。新婚なのに
よそに女ができて私を捨てる気に違いないわ。母や姉(エレオノール)に
相談しようとしてもすっごく不機嫌で話も聞いて
くれなくて、どうしたらいいのかわからない」
親身になって話を聞いているふりをしつつ
内心面白がっているシャルロットは例のごとく
小鳥と念話に興じていた。
「不機嫌の原因は母娘そろって童貞眼鏡君(マクシミリアン)に
袖にされたせいね」
「こんな若くてきれいな奥さんを放っておいて男と浮気するなんて
ル・バって男はどうかしてるよ」
淑やかで美しい若妻は母や姉に冷たくされたせいで
ますます取り乱し、めそめそ泣くばかりであった。
「かわいそうに。私でよければいつでも相談に乗るわよ」
デュプレ家の三姉妹のうち一番シャルロットと仲が良い
エリーザベトは意を決してこう言った。
「ねえ、私、考えたんだけど、もしかしたらあなたのお兄様の
ロベスピエールさんがうちの主人を極秘の任務で地方に派遣した
のではないかとも思うの。妻の私にも行先を教えられないなんて
よっぽど危険な仕事なのかと思うと、心配で
夜も眠れない。どうかお願い、ロベスピエールさんから
それとなく聞き出していただけないかしら?」
「ああ、面倒なことになったわ! こうなったら
全部バラしちゃおう」
シャルロットの中身は未来から意識だけ飛んできた
意地悪腐女子のリリーだったので、残酷な真相をさっさと打ち明けた。
「あの、とても言いにくいことなんだけど、マクシムが言うには
サン・ジュストさんはうちの兄と愛し合っていながら、
あなたのご主人のル・バさんとも肉体関係を結んだあげく、
この前の地震が起きた日の夜に男同士で駆け落ちしてしまったのよ」
こんなことを聞かされて、さぞや怒り狂う
かと思いきや、エリーザベトは
頬をぽっと赤らめてうっとりしながらこう言った。
「まあ! あの人とうちのジョセフが! なんということでしょう!
私はジョセフを介してあの美しい人に触れていたのですね!」
この発言を聞いたシャルロットは驚きのあまり、目を白黒させた。
「ひゃー、予想外の反応だわ! 嫉妬するどころか喜ぶなんて、
発想が斜め上をいってるなあ! あんなサイコパスな天使(サン・ジュスト)を
美しい人と呼ぶなんて悪趣味だこと。恋は目を腐らせるのね!
男版マドレーヌ・モーパンのできあがりだわ」
ゴーティエ作「モーパン嬢」のヒロインのように一組のカップルの
双方と関係をもつ天使の姿を想像して一人で興奮しているシャルロットに
小鳥が念話で話しかけた。
「そういえば思い出したけど、ル・バ夫人は
ロベスピエールと側近たちの死刑が執行された後、
サン・ジュストの肖像画をすごく欲しがって譲り受け、
86歳で大往生するまで手元に置いていたという
逸話が残されているくらいだから、
夫の友人である彼にひそかに
恋心を抱いていたのかもしれないね」
その後、色々な妄想にふけりながら二階の窓から
外を眺めていたエリーザベトは驚きの声をあげた。
「あら、ロベスピエールさんがお帰りになったわ。
隣にいるのはサン・ジュストさん? 一体どういうこと?」
「ああ、あの人はね……」
シャルロットが説明する間もなく、問題の二人が目の前に現れた。
ロベスピエールの見た目がしょぼくれているのは
いつも通りだが、天使の方はいつにもまして女性的にみえる。
「あっ、初めまして。私、ルイ・アントワーヌの妹の
ジャンヌです。兄の行方がわかるまで
ロベスピエール先生のそばにいて
兄の代わりを勤めさせていただきます」
「性別違うのに替え玉!? 絶対バレるって。
まさか夜のお相手まで……」
小鳥は興奮のあまり羽をバタつかせてフンをまき散らしたので
危うくお仕置きの電気ショックを食らう所であった。
エリーザベトが帰った後、シャルロットと
ジャンヌ・サン・ジュストは互いにジロジロ見つめ合った。
「あなた、昔どこかでお会いしましたっけ?」
リリーは宿主(シャルロット)の記憶をのぞき見て
すぐに目当てのものを見つけた。
テルミドールの反動から数年後、天涯孤独の身の上になった
シャルロットが兄たちの眠るエランシ墓地に
墓参りに行った時のこと。墓の上には空に届くほどの巨木が
枝を広げ、風で散った桃色の花びらで足元の地面を埋め尽くしていた。
その下に立っている人物を見て、彼女は思わず後ずさりした。
「サン・ジュストさんの女装した亡霊……じゃなくて
お身内の方ですか?」
目立たないが趣味のいい服装の女は兄よりずっと妖艶な顔で微笑んだ。
「うふふ。私は昔から兄とよく似ているって言われます。そういうあなたは
オーギュスタン・ロベスピエールにそっくりね。
ねえ、この花きれいでしょ? この木の下に埋められた人たちの
体から怨念を吸い取って咲いた花だもの、当然よね」
頭と胴体を切り離された死者たちが誰からも忘れ去られ、
石灰の下で分解されても魂だけは消滅しないと証明する
かのように目の前の木は満開の花を咲かせていた。
「気味が悪いこと言わないでください」
「知ってる? この墓地の名前は復活までの
短い休息という意味だそうよ。それからこの花の名前は……」
「もうやめて! それ以上、聞きたくないから失礼するわ」
動揺したシャルロットはその場から逃げ出した。
「あなた、もしかして私の同類?」
男装の麗人、ジャンヌはシャルロットの問いかけに
「当たり。でも私はあなたたちみたいに傍観するだけじゃくて
いい方に改変する許可を得ているの」
と答えると、いつものごとく上の空で
考え事にふけっているマクシミリアンに
「ねえ先生、死刑制度を廃止しましょうよ」
と話しかけた。
「とんでもないこと! 革命にとって粛清は不可欠、
両者は一体化しているのだ!」
「いつも話を聞いていないくせに、何でこういう時だけ
すぐ即答するのかしら」
シャルロットはあきれてものも言えなかったのだった。
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