第1話殺人鬼再び 籠の鳥は見た、独裁者の愛と絶望

 コンシェルジュリーの牢獄に収容されたマクシミリアン・ロベスピエールは


誰かがすすり泣く声とほおに水滴がかかる感触で目を覚ました。




「うう、あごが痛い……雨もりかな?


 それともこれは誰かの涙……?」




 下顎の骨が砕け、多量の出血でもうろうとしているマクシミリアンを


抱きしめて泣いているのはルイ・アントワーヌ・サン・ジュストだった。




「お願いマクシム、目を開けて。愛してる」


 天使とあだ名される中性的な青年はあばた面でみにくい小男の


額にチュッと音をたてて口付けした。




「ルイ・アントワーヌ、もう泣かないでくれ。君にこんなに愛されていると


 知っていたなら、わしはあそこまで荒れ狂ったりしなかったのに


 ……ああ、声が出ないのが恨めしい。何もかも手遅れだ」




 鉄格子のすきまから差し込んできた細い月の光が罪深い恋人たちに


さらさらと降り注いでいた。




「なぜだ!? なぜ、わしがこんな理不尽な目に

 あわねばならないのだ!? 

 わしはこの国のためを誰よりも思って、理想の世界を

 作り上げようと命がけで闘ってきたのだぞ!」


 ある年の夏の夕暮れに、一人の中年男が

顔中血みどろの状態で地べたに這いつくばってうめいていた。

前日までは一国の政府の最高権力者として

絶大な権力を握っていた身の上から突然滑り落ち、

今やみじめな罪人として、処刑場で

民衆の罵声を浴びながら、迫りくる死を待つばかりの

自身の境遇の変化を素直に受け入れることなど

できるはずもなく、血を吐くように冒涜的な

呪いの言葉を心の中で呟き続けていた。だがたとえ今この場で

最強の悪魔を呼び出そうとも、この急激かつ壮絶な

転落劇を現実から夢に変えることなどできない相談であった。


 その間ずっと仲間の首を次々と落としていく、

断頭台ギロチンの冷たい音が休みなく響いていたが

処刑人らの自分に対する雑な扱いへの怒りで

頭がいっぱいになっていた男は気にも留めなかった。


 突然、背後から甘い香りが漂ってきたとたん、

我に返った男は身震いしながら顔を上げた。

目の前には彼がこの世で最も愛した若者が

処刑人に手を引かれて立っていた。

肩にかかるほど長かった髪はバッサリ切られていたが、

皮肉なことにそのせいで若者の顔は

実年齢より幼くみえた。


「さようなら、先にあの世で待っています」

 あっさりした別れの一言に思いのすべてがこもっていた。

若者は振り返りもせずに傍らを通り過ぎ、

処刑台の階段を足早に駆け上がっていった。

そのあまりの潔さに周囲の人々から

ざわめきが上がる中、処刑人は淡々と

そして手際よく執行の準備を進めていく。


「おい、待ってくれ! わしを置いて行くな!」

 銃撃で負傷したあごから血が噴き出し

激痛に耐えながら発した男の声はか細く

誰一人聞き取ることはできなかった。

彼は必死で身を起こそうとして処刑人の助手に

思い切り背中を踏みつけられた。その直後、

刃が落ちる音が澄み切った夜空に響き渡った。


「思い知ったか殺人鬼め! 自分の順番が来るその時まで

 うんと苦しむがいい!」


「血に飢えた殺人鬼め、地獄に落ちろ!」

 群衆の嘲笑う声が響く中、

男は血と涙で地面を汚していた。



 ようやく順番がきて、ギロチンの刃が自分の首に

落ちてからどれくらいの時が過ぎたか。

何もない空間をゆらゆらと漂っていた彼の前に

血のように赤い髪と瞳をもつ少女が突然姿を現した。


「おまえは誰だ!? 何しに来た!?

 あの世にまでわしを追いかけて苦しめるのが目的か?

 首だけになったわしを嘲笑うのがそんなに楽しいか?」

 少女はニッコリ微笑みかけると、こう名乗った。


「魔法使いさん、こんにちは! 私の名前はギヨッチーヌ!

 いつもいっぱい、ごちそうしてくれてありがとね!

 あなたの血は激しい絶望と怒りで格別の味わいだったよ!」


「ほう! おまえは例の忌々しい

 断頭台ギロチンに取りついた魔物か!

 あんなに楽しませてやったのに何でおれまで食った!?

 それにおれを変なあだ名で呼びやがって!

 おれにはマクシミリアン・ロベスピエールという名前が

 ちゃんとあるのだぞ!」


「まあまあ、そう興奮せずに。

 あれ? キョロキョロして例の彼を探してるの?

 あの人……サン・ジュストはここには来ないよ」

 少女は意地悪い顔になってニヤニヤ笑ったので

ロベスピエールはむきになって言い返した。

「いや、約束したのだ。そのうち来るはずだ」


「いくら待っても無駄だよ。再び会う日はもう来ない」


「何だって!? 同じ日に死んだのになぜ!?」


「わかってないなあ。どんなに近しい間柄でも

 死の瞬間から魂は別々になるんだよ。

 たとえ互いの手首を縛って心中したって

 同じことさ」


「そんな! ああ! 過去に戻って

 やり直せたら! もっと早く対処していれば

 こんなことにはならなかったのに!」


「それが君の願い? いつも与えられっぱなしじゃ

 悪いから君のために特別に願いを

 かなえてあげようじゃないか。

 この書類に血を吸わせてくれれば

 契約は完了さ」

 元独裁者が自らの首の切り口から滴り落ちる血で

少女に差し出された真っ白な紙を赤く染めあげた瞬間、

周囲がグルグル回り始め、視界がかすむ中、

どこか遠くから声が聞こえた。


「さようなら、魔法使いさん。一応忠告しておくけど、

 次は誰も愛しちゃダメだからね! わかった?」




「あああああ!」

 真夜中に自分の絶叫で目を覚ましたロベスピエールは

横に寝ている側近ナンバーワンで愛人(男)でもある

ルイ・アントワーヌ・サン・ジュストを力いっぱい抱きしめた。

二人とも裸である。


「ルイ・アントワーヌ! また会えて良かった!

 もう絶対に離さない!」

 

 ロベスピエールの腕の中でサン・ジュストは

夢現のまま寝言を呟いた。

「ああ、幸せ。先生と一緒に死ねて良かった」


 驚いたロベスピエールは相手の肩をつかんで揺さぶった。


「何だって!? そんなの全然良くない!」

 

 それを聞いたこの若き愛人は

「そうか、先生はおれと死ぬのがいやなんだね」

と早合点し、涙が見えないように

背を向けて布団を被った。ロベスピエールは

オロオロしながらこう尋ねた。


「なあ、君も同じ夢を見ていたなら教えてくれないか?

 あの時、別れを告げたのは恋人としてなのか、

 革命の同士としてなのか……」

 いきなりサン・ジュストは振り返ると

返事の代わりにロベスピエールに濃厚な口づけをした。

その後は一晩中、ベッドがきしむ音と接吻の音が狭い家の中に響いた。

ロベスピエールは恍惚の表情を浮かべながら白々しい声で


「ああ、やめてくれ! 崇高な革命の理念を遂行するには

 厳しく禁欲しなければならないのに!」

と叫び続けた。痴態を繰り広げる二人の様子を

鳥かごから小鳥が死んだような目でじーっと見つめていた。


「ああ、おれは何の罰ゲームでこんなものを

 見せられなきゃならないのだ。これじゃデバガメだ。

 大体、おれがこの世界に派遣されたのはもっと

 高尚な目的のためなのに、あほらしくなってきた

 じゃないか。疲れたから、もう寝ようっと」

 目をそらした瞬間、鳥の体に電気ショックが走った。


「いてててっ! 何するんだ、おれを焼き鳥にする気か!?」

 自分の所属する組織の上司であり、監視役である

リリーに鳥は文句を言った。時空間接続がうまくいっている限り、

頭の中で声を出さずに通話が可能なのだが、パリのカタコンベ内に

極秘に造られた本部で一日中モニター画面を凝視している

彼女の機嫌を損ねると、こうして制裁を受けるのだ。


「あーら、ごめんあそばせ。ちゃんと

 見てなきゃダメよ? カメラ付きタイムドローンよりも

 あんたの目に映った光景が一番鮮明な

 映像を届けてくれるんだから。

 この二人が恋愛関係にあったという

 説は古くからあるけど確たる証拠はなかったから

 歴史的大発見だわ! しかもロベスピエールの方が

 受けだったなんて! うひゃひゃひゃ!」


「毎晩毎晩、合体してラブラブなのが

 わかったんだからもう十分だろ!

 あんたの腐女子趣味に付き合わされる

 こっちの身にもなってみろ! 早く帰りたーい!」

 

「あら、途中退場を希望するの? じゃあ次はニコライ二世の飼い犬に

 憑依して最期を共にしてもらいましょうかね。

 おいしいエサをたっぷり食べて、

 きれいなお姫様たちにナデナデされて可愛がられるけど、

 皇帝一家が銃殺された後、兵隊に捕まって壁に……」

 

「わかったよ。見ればいいんでしょ、見れば」

 籠の中の鳥は渋々、著名な革命家たちの熱い交わりに視線を戻した。


 その頃、隣の部屋ではロベスピエール宅の家主の娘、

エレオノーレ・デュプレ嬢が涙を流しながら

新聞から切り抜いたサン・ジュストの似顔絵を

針でブスブスと突き刺していた。


「先生、私はこんなにあなたのことを思っているのに、

 何であんなチンピラな男を選んだの!? 二人とも呪ってやる!」



1793年時点の登場人物たちの年齢

マクシミリアン・ロベスピエール 1758年生まれの35歳

シャルロット・ロベスピエール 1760年生まれの33歳

オーギュスタン・ロベスピエール 1763年生まれの30歳

ルイ・アントワーヌ・サン・ジュスト 1767年生まれの26歳

ジョセフ・ル・バ 1765年生まれの28歳 夫人はデュプレ家の三女エリザベト

エレオノーレ・デュプレ 1768年生まれの25歳



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